(『韓国歴史地図』から抜粋)
1961年5月16日に、朴正煕を中心とした一部の軍人が、反共と経済開発をスローガンにして軍事クーデターを起こし、政権を掌握した。
朴正煕は、全国に戒厳令を布き、憲法を停止させた。
それから2年間は、軍政を布いた。
1963年10月の大統領選挙で、朴正煕は大統領に当選した。
朴政権は、韓・米・日の軍事協力を強化し、経済開発を促進した。
この政策を行うために、日本との国交正常化を急いだ。
日本との協議では、過去の清算よりも、経済開発にための金を日本から引き出すことに関心を置いた。
そして65年6月22日に、5億ドルの援助を受けることで合意して、『日韓基本条約』は調印された。
学生と市民は、この「屈辱的な外交」を批判し、その批准に反対した。
大規模なデモが行われたが、政府は戒厳令と休校令で押さえ込み、軍隊も動員した中で条約を批准させた。
(2013.5.12.)