独立運動が盛り上がり、日本は統治手法を切り替える
中国で大韓民国臨時政府が樹立する

(『韓国歴史地図』から抜粋)

日本の統治に対する不満は、1919年3月1日の『三・一運動』となって爆発した。

3月1日に独立を求めるデモが始まり、4月末には全国に広がった。

この運動は、外国の状況変化を契機として起こった。

17年のロシア革命、18年のパリ講和会議でのウィルソン米国大統領の民族自決権への発言が、朝鮮独立の意識を覚醒させた。

デモは徐々に、農民や労働者が中心となった。

日本は警察と憲兵を動員して、武力でデモを鎮圧した。

デモ参加者の多くが逮捕されて、拷問をうけた。各地で虐殺も横行した。

デモは成功しなかったが、これ以後の「植民地統治」と「民族解放運動」に重大な影響を及ぼした。

日本は、強力な抵抗に直面して、朝鮮人の自由と権利を部分的に認める『文化政治』に統治手法を切り替えた。

一方、運動家たちは「独立運動を統一する機構」の必要性を感じて、上海に『大韓民国臨時政府』を樹立した。(1919年4月13日)

この政府には、大部分の独立運動勢力が結集した。

しかし間もなく、内部対立が起こり、武装闘争を主張する人々などが離脱した。

日本が中国侵略を本格化させると、臨時政府は中国の内陸部に移っていった。

(2013.4.18.)


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