1920年代に入ると、大衆文化が発展する

(『韓国歴史地図』から抜粋)

1920年代に入ると、映画が人気を呼び、24年には朝鮮人が初めて制作した映画が上映された。

35年には、初のトーキー映画が制作された。

大衆歌は、従来の唱歌風から、今日の演歌風に変化した。

レコード会社が設立され、ヒット曲も生まれた。

都市には西洋式の居酒屋が増え、ダンスホールも登場した。

スポーツでは、サッカーと野球が普及した。

文学でも、様々な傾向の作品が発表された。

25年には「朝鮮プロレタリア芸術同盟」が結成され、活躍した。
しかし、日本によって35年に解散に追い込まれた。

(2013年5月1日に作成)


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