(『シリア・レバノンを知るための64章』から抜粋)
紀元前4000~1200年に、シリアでは都市文明が発展していった。
一般的に世界最古の都市とされるのは、前3500年頃のウルクを中心とした南メソポタミアの遺跡である。
しかし現在、北メソポタミアのジャズィーラ地方において、より古い都市が調査されている。
前3800年頃のテル・ブラク遺跡だ。
ここでは、絵文字と想定される粘土板が発見されており、今のところ南メソポタミアよりも古い。
前2600年頃になると、シリア各地で城壁をもつ都市が生まれた。
これらの遺跡から出土した粘土板文書からは、人々がセム語を話していたこと、王や官僚が政治を担っていたこと、都市間で合従連衡がくり返されていたこと、が分かる。
これらの都市は、前2300年頃に放棄されてしまった。
その原因には、自然災害とアッカド王国の侵攻が考えられる。
各都市の王宮などは、前2300年頃に焼き打ちにあったように破壊されており、アッカド王国の侵攻とアッカド崩壊後の混乱が大きく関わっているのは否定できない。
その後、前1800年頃までに各都市は再建されたり新たに発展した。
これらの都市を造ったのは、新たに登場したセム系のアムル人である。
しかし、アムル人の天下は長く続かなかった。
前1600年頃から、シリアは次々と外敵から侵略された。
前1600~1200年のシリアは、北からはミタンニ人とヒッタイト人、東からはアッシリア人の侵略をうけた。
当時の粘土板文書は、国際語だったアッカド語の他に、ヒッタイト語やフリ語も交じっている。
前1274年には、ヒッタイト王ムアタリとエジプト王ラムセス2世が、シリアで激しい戦いを繰り広げた。
前1200年頃になると、侵入してきた「海の民」によって、ヒッタイトもエジプトも滅ぼされてしまい、青銅器時代は終焉を迎えた。
メソポタミアやエジプトで発達した大規模な灌漑農耕と一極集中型の大国家は、シリアではついに生まれなかった。
シリアは大国家から圧迫を受け続けたが、金属・ガラス加工に代表される工芸技術や、アルファベットの発明といった、文化面で傑出していた。
(2014年8月13日に作成)