(『シリアとレバノン』小山茂樹著から抜粋)
1932年にシリアでは、憲法によって議員が選出されて、ムハンマド・アリが大統領となった。
議会の民族主義者たちは、フランスの支配に対し様々な注文をつけた。
このため、フランス当局は33年10月に議会を停止させた。
36年5月に、フランスでブルム内閣が誕生すると、フランスは態度を軟化させた。
シリアと条約を結ぶことに同意し、36年9月に『フランス・シリア条約』が成立した。
同年10月には、『フランス・レバノン条約』も成立した。
フランス・シリア条約では、次の事が約束されました。
① 批准後3年間の暫定期間をおいてから、委任統治を終了させる
終了後は、諸権限をシリア政府に移譲する
② 条約発効後に5年間は、ドルーズ地区とアラウィ地区に
フランス軍を駐留させる
両地区はシリアへ合併する
③ 暫定期間の終了を待ってから、国際連盟への加盟が認められる
1936年11月に選挙が行われると、民族主義を主張するナショナル・ブロック党が大勝した。
そして、ブロック党の総帥ハーシム・アル・アタシが大統領に就任した。
議会は満場一致で、フランス・シリア条約を承認した。
こうして、37年1月から暫定期間に入ったものと認識された。
しかし、この条約はフランスでは批准されなかった。
39年5月に、フランスは正式にこの条約を廃棄した。
(2016年2月4日に作成)