フランス統治の時代⑤
アレクサンドレッタ県は、仏の思惑でトルコに併合される

(『シリアとレバノン』小山茂樹著から抜粋)

トルコは、シリアのアレクサンドレッタ県に重大な関心を寄せ、独立させるようにフランスに求めた。

(この県には、トルコ人がたくさん居住していた)

フランスは2度にわたって拒否したが、結局は国際連盟で処理する事になった。

国際連盟の視察団が派遣され、同地区は完全自治にするように勧告がなされた。

そこで、それに基づいた選挙が同県で行われることになった。

トルコは選挙に介入し、自らに有利な人物を当選させた。

その結果、1939年7月にアレクサンドレッタ県の議会は、「トルコによる併合」を決議し、フランスはこれに同意した。

フランスは、「ナチス・ドイツが台頭するヨーロッパにあっては、トルコの協力が必要になる」と計算していた。

トルコ併合が39年9月に実施されると、シリア全土で暴動が起きた。

するとフランスは、シリア議会を停止し、フランス・シリア条約の破棄を宣言した。

そして、シリアは再び分割され、ドルーズ地区とラタキア地区に分離された。

(2016年2月4日に作成)


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