水滸伝⑭(以下は『新・水滸伝』吉川英治著からの抜粋
2026年8月13日に作成)
🔵前回のあらすじ
梁山泊は近隣の裕福な土豪である祝家を戦争で滅ぼした。
この戦争を経て李応や扈三娘などを新たに仲間にした。
戦勝後の大宴会で宋江は、王英と扈三娘を結婚させる事を発表した。
そこに1人の客が現れ、新たな物語が始まる。
🔵雷横が梁山泊に立ち寄る
梁山泊では、王英と扈三娘の結婚という慶事に宴会がさらに沸いていた。
そこに、梁山泊の対岸にある、見張りを兼ねた飲み屋を経営する朱貴が、急使をとばしてきた。
使者が言った。
「鄆州の捕手頭をする雷横ってお方が、旅の途中とかで店に寄り、統領(晁蓋)や副統領(宋江)に会いてえと言っておりやすが」
聞いた晁蓋、宋江、呉用は大喜びで、「なに、雷横さんだと?それはわしらの恩人だ。丁寧にお連れしろ。」と命じた。
晁蓋たちは、雷横も官吏たちの腐敗に苦しみここに逃げてきたのだと考えたが、会ってみると違った。
雷横はごく普通の様子で、
「俺は県知事の命令で東昌府へ出張し、その帰り途に朱貴の茶店に入って一杯飲った。
するとスパイだと思われたのか、朱貴は子分どもに俺を襲わせた。
で、名乗ったついでに、各々方の消息を聞いてみたまでのことさ。」
と説明する。
「それはどうも...。しかし朱貴の無礼がかえって倖せ。あなたのご壮健を拝し、こんなに嬉しいことはない。」
宋江がこう言えば、晁蓋と呉用も「どうぞ、ごゆるりなすって下さい」と誘った。
(※晁蓋や宋江は、かつて故郷で犯罪者となった時に、友人で警察幹部の雷横に見逃してもらった恩がある)
晁蓋たちの誘いに、雷横は「ありがたいが、急ぐ公用なのでな」と困り顔。
それでも晁蓋たちは歓待して、それとなく仲間入りの水を向けた。
すると雷横は「おふくろの年が年なので故郷を離れられない」と断った。
雷横は2日居ただけで別れを告げ、晁蓋たちは見送りに出た。
見送った帰りに晁蓋たちは朱貴の店に寄り、「この店に楽和を手伝いによこそう。こんな間違いでよかったが、事件を起こしては困るから。」と話し合った。
🔵酔った雷横は、ケチと言われたのに怒り、演劇小屋で大暴れしてしまう
さて。
雷横は、鄆城県の我が家に帰り着くや、老母の部屋を見舞い、翌日には役所へ出勤して 出張先の要務を復命した。
その日、夕方になり仕事を終えて帰宅すると、途中で遊び人の李小二と出会った。
「おお、雷の旦那、いつお帰りで」
「帰ったばかりさ。まだ旅疲れだよ」
「それじゃあ厳しいかな。面白い演劇(しばい)小屋ができて、水芸をする太夫さんも出てるんですが、ちょっと見物しませんか」
「そんな旅芸人が来ているのか。いや今日は遠慮する。そのうちおふくろと一緒に観に行くよ。」
雷横は酒癖が悪いという悪習がある。
数日後、役所帰りに悪友たちと飲み、グデングデンに酔ってしまった。
おふくろにこの姿は見せられないと、友達と別れてから酔いざましに雷横は、李小二が噂していた演劇小屋に足を運んだ。
小屋の者は雷横が役所の捕手頭だと知っていて、上等な桟敷席へ案内した。
といっても雷横は酔ざましが目的なので、すぐに居眠ってしまった。
舞台では、水芸をする女太夫の白秀英が観客の大喝采をあびていた。
彼女の演技の後、座長の老人が出てきて言った。
「てまえは白玉喬と申します。
ただいまご喝采をいただきました我が娘の白秀英は、開封・東京で芸を叩き上げた本場仕込み。そこんじょそこらの大道芸とは違いまする。
今のはほんの序の口。当人も大張り切りで芸を尽くしてお目にかけたいと言っております れば、ゆるゆるとご観覧あれ。」
現れた白秀英は舞踊を見せ、万雷のような拍手が送られた。
これを目を覚ました雷横も見た。
ここで白玉喬が手に盆を持ち、客たちから祝儀(はな)をもらうため客席を回り出した。
はっと当惑したのは雷横だ。もう無一文である。
自分の前へ盆を持った白玉喬が廻ってくると、雷横は「あっ、いけねえ」と懐をさぐり、
テレ隠しの仕草で「うっかり財布を忘れてしまった。2~3日のうちにお袋を連れてまた見物に来るよ。その時にはうんと色をつけるからな」と釈明した。
白玉喬は小バカにした顔をし、
「テへへへ。 そう言ったお客に2度とお目にかかったためしはねえや。
こんな上席にいて一杯機嫌の旦那が、祝儀の出し惜しみをして、ごまかそうってんだから恐れ入っちまうじゃありませんか。このしみったれなご面相でさ。」
「なに、しみったれだと!?」
「お前みたいな野暮天のクソなんざ、くれると言ってもお断りだ。
けっ、すっかり場内のお客さんを白けさせてしまったい。」
「黙れ、この野郎」
「おや、大きく出なすったね。お前みたいな人がよく言う見かけ倒しだ。」
「言ったな」
雷横の母親がつねづね心配していたのが、これだった。
キレた雷横の一拳で白玉喬はすっ飛んでいった。
小屋中の客がワッと総立ちになり、舞台上の白秀英は悲鳴を上げて助けを呼んだ。
🔵罰として演劇小屋の前でさらし物になる雷横
翌朝、雷横の母は夜遅くに帰ってきた息子の官服を膝に広げて、泥をはらい、ほころびを縫い、血らしい汚染(しみ)があるのに胸を傷めていた。
そこへ玄関に、どやどやと大勢の声がした。
出てみると、雷横の役所の朋輩たちである。
役所の同心と捕り手たちは、気の毒そうに「知事の公命です。雷横君をお願いします。」と告げた。
老母はあたふたと奥へ駆け、しばらくすると雷横が腫れぼったい瞼をもって衣服を着けて現れた。
左右からパッと寄った同僚たちは、すばやく彼の両手へ手錠をかけ、
「知事の命令です。ゆうべの演劇小屋の木戸まで歩いておくんなさい」とうながした。
演劇小屋まで行ってみると、事態は容易ではない。
白玉喬は片腕が折れて包帯で前に吊っているし、小屋の他の連中も包帯したりビッコをひいたりだ。
昨夜の舞台は途中で中止になったので、朝からその客たちが「銭を返すか、今夜の舞台を無料で見せろ」と押しかけていた。
役所から役人が来て、それらの群集をしずめていた。
手錠姿の雷横は、そんな大勢の前で知事の戒告文を読み聞かせられ、懲罰として演劇小屋の木戸前の上り旗の所に、さらし物として縛りつけられた。
しばらくすると、雷横の番人となった役人が、そっとささやいた。
「お頭、我慢しておくんなさいよ。明日になれば解放されますから。
それにしても、お頭は何もご存知なかったんですねえ。」
「えっ?何のことだ」
「赴任してきた今度の知事は、この小屋の女と訳ありなんですよ」
「女?」
「女太夫の白秀英と知事は古くからの馴染みで、こんな田舎に巡業に来たのは自分の情夫(いろ)旦那が知事になったからなんでしょう。
なんでもお互いが開封東京にいた頃からの馴染みですとさ。」
「そうだったか。しかしそれなら知事は小屋の者をなだめて、事を内輪に収めてくれるだろう。」
「どうでしょうねえ。知事は女に泣きつかれたそうですよ」
🔵雷横は白秀英を殺してしまう
その日の夕方、この日も公演日なので、白秀英が輿に乗って楽屋入りしてきた。
近所の女子供がわっと周りにたかって来るが、白秀英は見向きもしない。
彼女は雷横の前まで来ると、笑い抜いて、
「これが県の与力とは呆れたもんだこと! よくも昨夜は私の舞台をめちゃめちゃにしてくれたわね。」
雷横はじっと女を睨み返していたが、白秀英にすればその眼光も挑戦と受け取れたに違いない。
背後に知事が控えている驕りも手伝って、激しく罵った。
「なにを睨むのさ。口惜しいのは私の方だよ。
こんな仕置ぐらいでこっちの腹が癒えるもんか!
そうだ、ご贔屓の皆さん。あなた方もこのヘボには日頃から恨みがあるでしょ。石でも泥でも投げつけておやんなさいよ。
この生まれ損ない!」
ここで走り出てきた老婆がいる。
白秀英の胸をどんと突いて叫んだ。
「売女(ばいた)め! 人の子をつかまえて生まれ損ないとはよう言えたもんじゃ」
「あらっ、お前はどこの山出し婆さんだえ」
「雷横の母じゃ。
そなたは紅白粉を塗りたくって艶めかしゅうしているが、ひと皮剥けばその下は狢(むじな)か狐じゃ。女の淫を売る女狐じゃわ。」
「おだまり、くそ婆。 いつ私が淫売したのさ。」
「訊けば、知事とお前は昔からの深間の仲じゃそうな」
「悪かったわね。知事を情夫に持ってはいけないなんて掟は、芸人にはございませんのよ。 お妬きでないよ。」
老母が白秀英の胸にしがみつくと、秀英はその白髪頭の毛を掴んで、
「しつこいね、いいかげんにくたばっておしまいよ」と言って、地上をぐるぐると引きずり廻しした。
ここで事態は急転直下。
白秀英は、きゃっと言って口からも鼻からも血を噴くと、のけ反りにクルッと仰向(あお)に仆れてしまった。
番役人が仰天して言った。
「お頭、やりましたね。白秀英を蹴殺してしまいなすった!」
番役人は急いで雷横の手錠を外すと、「お逃げなさい」と。