タイトル水滸伝②

(以下は『新・水滸伝』吉川英治著からの抜粋
2026年3月14日に作成)

🔵禁軍の師範・林冲は罠にはめられ流刑になる

首都の開封・東京にある大相国寺を目指して旅してきた魯智深は、ようやく着いた。

大相国寺を頼った魯智深だが、ここの僧たちは人殺しをした暴れ者の彼を嫌い、少し離れた場所にある野菜畑の管理人になるよう命じた。

近所に住むゴロツキの青草蛇(あおだいしょう)・李四と迂路鼠・張三は、魯智深が管理人となった野菜園にしょっちゅう盗みに入っていた。

彼らは新任の管理人を脅かすため、20~30人の手下を連れて現れた。

だが魯智深は剛腕の大男で、花の刺青があることから「花和尚」のあだ名がある男。

えらく強いのを見て、李四と張三は子分のようになってしまった。

ある日、魯智深が自慢の錫杖を振り回して腕前を李四らに見せていたところ、通りかかった禁軍(首都・開封の近衛軍)の武術師範である林冲は、思わず「見事だ!」と声をあげた。

林冲は豹子頭というあだ名で、豹のような狭い額、琥珀色のひとみ、あごの鋭い人だ。34~35歳の長身で、見るからに武人のよそおいである。

見ている林冲に気付いた魯智深が挨拶し、誘って酒を飲みながら話し始めたところ、気が合ってたちどころに仲良くなった。

そのまま魯智深が兄、林冲が弟で義兄弟の盃をかわした。

2人が酒を飲んでいると、林家の小間使いの錦児が現われ、「奥さまが大変です」と告げた。
それで林冲は急いで現場に向かった。

林冲は結婚したばかりで、新妻がいたが、その妻が若者10人ばかりにからまれていた。

その若者の首領は、大将軍・高俅の養子で、養父の権力をかさにきて悪さばかりをするので開封・東京の嫌われ者であった。

林冲が現れると、彼は軍の師範で腕が立つので、高俅の養子たちは逃げ去った。

それからというもの、林家は妻が襲われかけるなど、何度か危ない事件が続いた。

秋に入ったある日に林冲は、道ばたで稀な名刀を売っている浪人と出会った。
護身の意味も込めて、彼はその刀を買った。

その3日後、殿帥府(高俅の役所)の副官である陸謙から手紙が来た。
「お前が名刀を手に入れたと聞いた。高閣下はその刀を鑑賞したいとおっしゃっている。明日、使者を出すから来い。」との内容であった。

翌日、林冲は正装して刀をたずさえ、迎えの者と共に高俅の役所へと向かった。

案内されるままに奥に進むと、白虎節堂に入った。

節堂は軍の機密を議するところなので、ぎょっとして立ち去ろうとしたが、そこに高俅将軍が現われて「出あえ、曲者だぞ。私はお前など召し出してない。こいつを捕まえろ。」と叫んだ。

林冲は兵士に囲まれて捕まり、獄に入れられた。

林冲の取り調べを担当したのは孫定で、慈悲心のある良吏として知られていた。

孫定はすぐにこの事件はでっち上げだと感づいた。

林冲は「私は高俅の養子にはめられた」と裁判で主張し、裁判官もそれを事実と認めたが、権力者の高家が恐くて無罪にできなかった。

孫定が「死罪ではあんまりだし、流刑でどうしょうか」と助言し、それに決まった。

材冲は罪人の証として顔の額に刺青を入れられ、首に枷をはめられた状態で流刑先の滄州(現在の河北省にある)に連行されることとなった。

🔵林冲は刺客を撃退するが、殺人者としてお尋ね者に

林冲は流刑地に出発する時、見送りに来た妻に「お前は身を隠せ。そして良縁があったら私のことは忘れてそこへ嫁ぎなさい。」と言って、離縁状を渡した。

妻は「私をそんな女と思っていらっしゃるんですか。離縁は嫌です」と慟哭した。

董超と薛覇(せつぱ)という刑吏に、林冲は流刑地まで引かれて行った(連行された)。

この2人の刑吏は出発前に、陸謙(高俅の副官)にカネで買収され、道中で林冲を殺すと約束していた。

2人は林冲を殺す機会をうかがったが、殺そうとした正にその時、心配して後を尾けていた魯智深が止めに入った。

魯智深は林冲に「逃げたいか」と尋ねたが、林冲は「私が逃げたら妻や家族に大難がある」と言って流刑地に行く覚悟だった。

それで魯智深は、そこからは一緒に流刑地に向かった。
魯智深を恐れて刑吏2人は下僕のような形で付き従った。

滄州(流刑先)の近くまで来ると、魯智深は銀子20両を林冲に渡し、開封・東京に戻っていった。

滄州は、小旋風・柴進という名家の旦那が侠客として活動しており、何十人も食客を抱えていた。

柴進は34~35歳の美丈夫だが、囚人として当地に来た林冲を見るなり、ただ者ではないと見抜き、自邸に招いて酒宴を開いた。

柴進は護送役の董超と薛覇に賄賂を渡して、林冲の首枷を外させた。

客人となった林冲の武技を見た柴進はすっかり感心して、滄州の役人たちに宛てた添書と賄賂用のカネを林冲に持たせた。

これにより林冲は、入獄のさいに行われる棒で百叩きの洗礼を免れた。

他にも、裸にされて四つん這いにされ肛門に金棒を入れられるといった侮辱の儀式も免除された。

さらに苦役も免除され、閻魔大王を祠るお堂の番人役という、楽な仕事をすることになった。

柴進の差し入れの効果で、林冲はたまに街へ出かけるのも許された。

ある日、林冲が街へ行くと、彼が開封・東京にいた時に近所に住んでいた、李小二とばったり会った。

聞くと李小二は、滄州に引っ越して小さい飲み屋をやっていると言う。

その年が終わり、翌年になったある日のこと。

李小二が顔色を変えて林冲のところに来た。

そして「陸謙と富安が高俅の命令を受けて、あなたを殺しに滄州に現れた」と告げた。

それから少しすると、林冲は職場替えを命じられた。

新しい職場は人気のない所で、夜もそこに宿泊する。

林冲が夜寝ていると、陸謙と富安たちが襲ってきた。

上手くかわして陸謙ら4人を殺した林冲は、そのまま逃亡した。

🔵林冲は梁山泊に入る、楊志の登場

逃亡した林冲は、すぐに逃げ場に窮して村人たちに捕まったが、これを知った柴進は林冲を引き取って匿った。

柴進は林冲に説いた。

「ここにいるのもまずいから、山東の梁山泊へ落ちのびて下さい。

梁山泊は山東の江に臨んだ水郷で、そこの砦に700~800人の日陰者の巣があります。頭領は王倫で、その下に副頭領の宋万と杜選がいます。

その3人は私がよく知っている間柄ですから、紹介状を書きましょう。」

林冲は20日間ほど旅して梁山泊に着いた。

そこの賊徒は宋の政府に対抗して、義の盗賊を自称し、旅人などを悩ましていた。
要害になっていて、巨大な無法地帯であった。

梁山泊の入口となる渡船場では、茶店の主人として梁山泊の幹部である朱貴が働いていた。

林冲はその茶店に入ると、柴進からの紹介状を見せた。

梁山泊の首領の王倫は、元は学問を志して進士の試験勉強した人。
だが政府の腐敗に失望し、試験にも落ちて、無頼の生活を始め、梁山泊に来て首領にまつり上げられていた。

林冲は王倫に会うと、柴進の紹介状を渡した。

ところが王倫は、「食料不足なので他を当たってくれ」と断わった。

驚いた宋万と杜選が説得した結果、
王倫は「仲間に入れてもいいが、まず私の命令を3日以内にこなすのだ。3日以内に役人なりしかるべき者の首を1つ持ってこい」と林冲に言った。

林冲は王倫の態度を見て狭量な奴と軽蔑したが、他に行く所もないと諦め、首を取るために街道で狙った。

そこ現れたのが、顔に大きな青痣のある30がらみの武士である。

林冲がこの武士に身分を問うと、「俺は皇帝・徽宗の旗本に列していた、貴族の末裔だ」と答えた。

この男なら不足はないと林冲は首を取ろうと襲ったが、相手は強くて互角だった。

2人が戦っていると止める声があり、それは白衣秀士・王倫らで、彼らは様子を見ていたのであった。

王倫は酒宴を開いて、2人の仲直りを図った。

王倫は、林冲を見た時にすぐ、梁山泊に加えると自分の地位が危うくなると感じた。

そこで「もう1名互角の者を加えれば、牽制し合って御しやくなる」と胸算用し、この青痣の男、青面獣・楊志を仲間にしようと誘った。

だが楊志は、「開封・東京には屋敷があり、一族も暮らしているので。いま東京に戻る途中なのです」と断った。

楊志は酒宴のなかで、身の上話をした。

「私は高俅閣下の直属の親衛軍で将校をしていました。

ところが昨年に皇帝・徽宗が離宮に庭園を造ると言い出し、私は西湖に派遣されて名石や花木を調達する役を命じられました。

調達した名石などを船に積んで戻る途中に、暴風で船が沈み、面目なさで田舎に隠れていましたが、このたび赦免の令が出たので、開封に戻るところです。」

話をきいた林冲は、罪人の証である自らの額の刺青を指しつつ、こう説いた。

「あなたの身の上を聞けば、私の元同僚といっていいでしょう。

私の例を見て下さい。
高俅は佞奸な人物ですし、徽宗皇帝ら朝廷の者たちも腐敗し堕落しています。

あなたが東京に戻っても、長く安穏には暮らせないでしょう。それよりもここで我らと生きませんか。」

楊志は「心惹かれるものもあるが、一族が東京に居ますし」と、やはり断った。

🔵楊志は開封・東京に戻るが復職できず、街のチンピラを殺してしまう

楊志は梁山泊を離れて、無事に東京に帰還した。

ところが復職のために殿帥府に赴くと、高俅は「どの面下げてここへ来たか。お前は皇帝の御命令を受けていたのに、船を難破させたのみか、そのまま行方をくらませて自首せずに隠れていた。」と責め立てた。

「不届き者め!赦免の令はお前に出したのではない。復職は許さん、とっとと帰れ。」と楊志は追い出された。

楊志は復職の運動で賄賂をいろんな役人に渡していたから、カネが無くなっており、食うに困る状態となった。

それで家宝の名刀を売ることにし、街の辻に立って道行く人々に呼びかけた。

すると酒に酔った大男が絡んできた。
この男は無毛虎・牛ニという者で、街のチンピラだった。

牛二は刀に三千貫の高値がついているのを見て、「三千貫の宝刀なら何が斬れるんだ?」と訊ねた。

「驚くな。銅や鉄を斬っても刃こぼれ1つしない刀だ。髪の毛を吹きかければ毛も斬れるから、吹毛ノ剣という。」

「それでも生きた人間を斬れねえんじゃ、何にもなるめえ。」

「人を斬っても刃に血の痕をとどめぬ。どうだ、もう十分だろう。」

「面白え。そんなら、これを斬ってみろ」
牛二はひと掴みの銅貨を塔みたいに積み重ねた。

「この銭を斬ってみろ。そしたら三千貫くれてやるが、斬れなかったらただじゃおかねえぞ。」

楊志が見事に銭を斬り分けると、見物人は喝采を送った。

しつこい牛二は、自分の髪の毛を一掴みむしり抜くと、「これを斬ってみろ」と挑発した。

楊志はそれを受け取ると、「よく見るがいい」と言って刃に向って静かに吹きかけた。
毛は見事に2つに斬れて落ちた。

牛二はさらに、「人を斬っても刃に血の痕を残さねえという証拠を見せろ」と迫った。

「見せてやるから犬を曳いてこい。人は斬れぬ。」

「そう言うだろうと思ったぜ。騙り者の逃げ口上は決まってら。出来ねえなら見物人に 謝れ。」

楊志は「まあ、このくらいで勘弁せい」と言って話を打ち切ろうとしたが、牛二は止まらない。
楊志の手首をとって「この刀は俺が買う。お前は約束通りに生きた人間を斬って刀の値打ちを証明しろ。それとも四つん這いに手をついて謝るか?」と脅した。

ここに至って楊志も堪忍の緒を破った。牛二を一瞬で斬り倒した。

これには群衆も戦慄したが、楊志の言う通り、刀には血脂の曇りもとどめてなかった。

楊志は群衆に対し、「あなた方に迷惑はかけません。これから奉行所へ自首して出ます。」と宣言した。

大人しく出頭する楊志を見て群衆は感動し、口々に奉行所の門前で「牛二が悪かったんだ。牛二は普段から街の者たちを泣かせてきた」と証言した。

60日間の留置期間も助命運動が盛り上がった。

それで罪は軽くなり、「北京へ流罪とし、北京の大名府の軍卒にする」との判決が出た。持っていた宝刀は役所に没収となった。

楊志は罪人として額に刺青をほられ、棒で背を打たれた上で、北京に送られることとなった。

北京(ほっけい)は当時、大名府とも言い、北方の女真国(金)や遼の侵攻に備えて、 留守司(北京軍の司令官)が常駐していた。


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