タイトル水滸伝④
宋江など

(以下は『新・水滸伝』吉川英治著からの抜粋
2026年3月21~24日に作成)

🔵宋江は妾をもつが、部下の張文遠に寝取られる

晁蓋たちが梁山泊に加わり、その上層部になると、梁山泊の勢威が増してきた。

それで近県に「梁山泊に警戒しろ」との布告が回った。

鄆城県の知事の時文彬はこの布告が来ると、部下の宋江に見せて「ひとつ、これを複写して県下の村々に配布してくれ」と命じた。

宋江は鄆城県の押司(役所の書記長)をしており、役所の幹部クラスであった。

宋江はその仕事に取りかかり、若くて頭のいい助手(部下)である張文遠に配布を任せた。

宋江は30がらみの独身男で、下宿暮らしをしていたが、人の面倒見が良いので皆から慕われていた。

彼は鄆城県に住む閻ばあさんが夫を亡くした時、葬式代がないと言うので代わりに出してあげた。

閻ばあさんには、19歳の婆惜という娘がいた。

この娘は若年から芸を仕込まれ、美人なのもあって、色街の芸者姐さんや料理屋の主人から養女にほしいと話があるほどであった。

閻ばあさんは宋江の人柄に惚れ込み、娘を宋江の妾にしたいと考え、親友の王ばあさんの助けをかりて話を持ちかけた。

話を聞いた宋江は、自分の地位なら女一人ぐらい囲ってもよかろうと考え、承諾した。

そして役所の近くに一軒を借りて、そこに婆惜を囲った。

閻の母娘はこの家に住み始めると、家具と衣裳を買いそろえ、食べ物も贅沢になった。

宋江は初めは熱心に通ったが、元々あまり女に興味のない男で、すぐに飽きて疎遠になった。

ある夕方、宋江は1名の客をそこに連れて来た。

それは彼の部下で次長をしている張文遠で、通り名は小張三だった。

閻婆惜は張三を見たとたん、多情なのもあって耳まで紅く染めたが、側で見ている宋江は妬むことすら知らなかった。

やがて婆惜は上機嫌になって「こんなに楽しい晩ってないわ」と言った。
張三は婆惜が楽器を弾けると知ると、「どうです、私は笛を吹けるので、あなたは胡弓をお弾きになりませんか。」と誘った。

2人が合奏して陶酔するのを、宋江も隣りで見聞して楽しんだ。

婆惜は、宋江の堅物な人柄に味気なさを感じており、遊び人タイプの張三にすっかり魅了された。

色道の玄人である張三も、「こいつはものになる」と見た。

その後、張三はこっそり通い始めた。
閻ばあさんは黙認した。

これから起こることを考えれば、宋江が張三を妾宅へ連れて来たのは一代の大失策であった。

やがて宋江は、張三が隠れて婆惜のところに通っていると聞いたが、ぼそりと独りで呟いたにすぎなかった。

「仕方ない。父母が選んでくれた女房ではないし、私が行かなければすむことだ。当分のあいだ足を抜いていよう。 」

🔵宋江は劉唐からお礼を受け取る

宋江は婆惜のことを忘れて、妾宅に通わなくなった。
初夏になったある日、彼は下宿先に帰る途中で声をかけられた。

「もし、お待ちなすって。私は晁蓋さんの所に身を寄せていた劉唐でございます。」

「あ、これは驚いた。意外な所で。」

「あの節(晁蓋や劉唐たちを宋江が逃がした一件)はお世話になりました。
少しそこらの飲み屋までお顔を拝借できないでしょうか。」

2人が飲み屋の2階の小部屋におちつくと、劉唐はひざまずいて言った。

「昨年の秋は、宋江さまのおかげで九死に一生を得ました。
頭領の晁蓋以下に代わりまして、真底からお礼を申し上げます。」

「やあ、お手をお上げ下さい。給仕人が来ます。
そんな慇懃さでは怪しまれます。」

「それではご免なすって」と言って劉唐も椅子につき、2人は酒を交わし始めた。

劉唐は言った。

「我々は、ただ今では梁山泊にて子分を擁して、上手くいっております。
晁蓋以下、大恩人のあなたを忘れたことはありません。

ここに晁蓋頭目のお手紙と、黄金100両を持ってまいりました。
どうぞ一同の心として、お収め下さい。」

宋江はうやうやしく頭を下げると、「では、いただきます」と言って、手紙と10両ずつ入った固まりのうち1つだけを受け取った。

劉唐はまごついて「どうぞあとの90両もそちらへ」と言ったが、
宋江は「いやいや、本来はもらうべきものではないが、ご一同のおこころざしが嬉しく一封だけは頂戴しました。」と答えた。

「それでは手前が困ります。」

「では私からご一同へ宛てて返事をしたためましょう。
そうすればあなたのお顔も立つし、私の心も届く。」

宋江が返書を書いて劉唐に渡すと、2人はまた飲んだが、やがて2人は店を出た。

「すぐに梁山泊の山塞へお帰りですか」

「いえ、あの節は県の捕手を率いる雷横さんと朱同さんにもお助けをうけたので、そちらへもお礼を言ってこいと申しつかってますので。」

「左様ですか。しかしカネはやらぬほうがいいでしょう。
とくに雷横は大酒飲みで、大金を持たせぬほうが当人のためですよ。
それに、あの事件以来、この町は捕手が増員されています。劉唐どのも気を付けたほうがいいですぞ。」

「ありがとうございます。それではさっそく退散します。」
劉唐は笠を眉深にかぶって去っていった。

見送ってから宋江は呟いた。
「他人事ではない。もし私が梁山泊の使いと会っていたことが役所の誰かに知られたら……」

急にソワソワしてきて、急いで家に戻ろうとしたところ、あいにく閻ばあさんとばったり会ってしまった。

「あら、だんな。どうなすったんです。近頃はちっともお見えになりせんね。」

「どうもせんさ。役所が忙くってね。」

「いけませんよ、娘が可哀そうじゃございませんか。今夜はお連れせずにはいませんよ。」

「おい離せよ、人が見るではないか。」

「この婆だってだんな様に見放されたら、どうすればいいか。」

「おや泣くのかい。往来中で見っともない。分かった、行くよ。」

🔵宋江と閻婆惜は破局へ

閻ばあさんは、我が家に入るやいなや、大声で階下から二階へどなった。

「婆惜よ、待ちこがれていた宋押司さまが来たよ。」

すると真っ暗な2階で、にわかにバタバタと物音が始まった。
婆惜は張三と性交の最中だったので、びっくり仰天の張三は慌ててあっちこっちにぶつかったのだ。

婆惜が2階の裏窓を開けた。
「張さん、こっちよ。こっち。屋根からお隣りの塀を伝って逃げて。2~3日のうちにまた来てね。」

男を逃がすと婆惜は灯りをつけ、階下を覗いて舌打ちした。

閻ばあさんがあたふたと上って来て叱った。

「静かにおしよ。たんと楽しんだ後だろ。少しぐらいな勤めは商売だとお思いよ。」

「嫌ですよ。あたしは押司さんの顔を見ると胸がムカムカしてくるんですもの。」

「そんなこと言ったって、母子で贅沢に暮らせるのはあの人のおかげじゃないか。」

閻ばあさんは階段の下に待たせている宋江へ向かって言った。

「さあさあ、お上がり下さいませ。
あんまりお見えにならないので、この娘はすっかり拗ねているんですよ。おほほほほ…。今すぐお酒でも支度してまいりますから。」

宋江が二階へ上がると、脱ぎっ放しの寝衣(ねまき)やら枕が乱れていた。

閻ばあさんは、男女が1つの所にいればなるようになるという哲学の持ち主だった。

ところが案に相違して、酒と料理をつくって2階に運んでみると、2人は黙って向かい合っているだけであった。

そこに、深夜なのに人が訪ねてきた。

閻ばあさんが扉を開けて、
「だれかと思ったら、漬物屋の唐牛児じゃないの」

「宋江さまはいるかい。
俺の恩人で親分の宋江さまに、また助けを仰がなくっちゃならねえんだ。」

「お、唐牛児か」と言って、宋江は立ちかけた。
いつもは小遣いをせびる厄介者だが、今は天の救いと、これを機(しお)に牛児を連れて出て行こうとした。

だが閻ばあさんが何のかんのと言って宋江を元の所へ押し戻し、牛児に向かっては「出ておゆき、図々しいったらないね、お前は」と叱り飛ばした。

「なんだって人を突き飛ばすんだよ」

「お前の恩人様がシッポリ愉しんでいらっしゃるのに、何だって邪魔するんだい」

2人は取っ組み合いを始めたが、とうとう牛児は尻尾を巻いて逃げ失せてしまった。

閻ばあさんは水をがぶがぶ呑んで戻ってくると、いよいよチーンと白けている娘と宋江を見て作り笑いし、ペチャクチャとしゃべって香を焚べたりした。

「さあ枕を2つ並べておきますからね。
娘や、お前もいつまで拗ねているのさ。夜が明けてしまうじゃないか。
可愛い殿御をお床へ寝かせて、色ようしてお上げ。」

閻ばあさんが階下に降りていくと、宋江はふと思った。
「婆惜と張三の仲は怪しいが、見届けたわけではない。そうだ、この女がどんな風に俺に接するか見てやろう。」

見ると婆惜はすでに布団に入り、後ろを向いてふて寝している。

宋江は服を脱ぐと布団に入り、女とは逆を向いて夜具を被った。

逆向きで横になった2人は、まんじりともしていない。

そのうち婆惜は「ク、ク、ク」と冷たく笑った。
宋江は、布団のうちでかっと身体が熱くなった。

女が舌打ちし、「ええもう、寝苦しい」と呟いたのを機に、宋江はバッと布団から飛び出た。

「なにを笑うんだ、バカにするな!」

「おかしいからよ。男なの、あんた」

「言ったな婆惜、もう来ない!」

「おお嬉しい。お引き止めしませんわよ。」

宋江は怒りのままに服を急いで着ると、ドドドと階段を駆け降りた。

「あらっ、だんな。どうなすったんですよ」と閻ばあさんは声をかけたが、一顧をくれる余裕もなく外に出た。

🔵大事な忘れ物をする宋江

家の外に出てみると、深夜で人ひとり居ない。
だが少し歩くと深夜営業の屋台の灯が見え、それは生姜湯を売る王爺さんだった。

「おや、宋押司さま。お役所仕事の夜明かしですか。」

「なぁに友達の家で少し飲みすぎてね」

「酔いざましにどうですか」

「そうだ、一杯もらおう。」

宋江は生姜湯を飲みながら言った。
「お前さんは、いつも代金を取らないね。」

「当たり前ですよ。
私どもがやっていけるのは、だんな方が悪い奴から守って下さるからこそで。」

「そう言われちゃあ、面目ないよ。
そういえば、お前はいつか人並みに棺桶ぐらいは買っておきたいと言ってたっけ。あの時、私が棺桶を買ってやると約束したな。」

「お覚えでしたか。分にすぎた望みかもしれませんが、それが叶うならこんなに嬉しいことはありません。」

その頃の風習として、生前に自分の棺桶を家に備えておくことは、老後の最大の美風とされていた。

人間は自己嫌厭や慚愧の後は、美徳のまねごとをして救いを得たくなるらしい。

宋江は懐中をさぐり、劉唐から受け取ったあの10両を王爺さんにめぐんでやろうとした。

「おや?手紙とカネは一緒に入れていたはずだが...」

「押司さま、今でなくても。」

「しまった!こうしちゃいられない。
爺さん、きっと後日に買ってやるからな。」

言い捨てるやいなや、彼は疾風のように来た道を駆けていった。

少し時は戻る。
婆惜は宋江が帰った後、起き上がって、
「嫌だとなると、同じ男でもこんなものかしら。あいつが寝た布団だと思うと温みや匂いまで嫌になる」と布団を払ってバタバタさせた。

その時「おや?」と気付いた。
宋江の「鸞帯(らんたい)」、大事な物を入れて肌身に付けておく腹帯が、手すりにかかっていた。

「あいつ、腹立ちまぎれに忘れたんだわ」

婆惜は寝ながら灯りの下で中身を調べ始めたが、 短刀、10両、梁山泊の頭目・晁蓋からの手紙が入っていた。

梁山泊のことは誰でも耳にしている。気付くと彼女は手紙をくり返し読んでいた。

🔵婆惜の態度にキレて殺してしまう宋江

婆惜が手紙を読みふけっていると、そこへ、「ミシッ、ミシッ」と忍びやかに階段を上がって来る足音がした。

彼女は慌てて鸞帯を懐に入れ、そら寝入りをつかった。

「…おや、無いな。婆惜、お前がしまってくれたのか」

「誰?うるさいわね」

「起きてくれ、忘れ物をしたのだ。それをここへ出してくれ。」

「知りませんよ。そんな物」

「知らんはずはない。…さては隠したな。」

「あたしを泥棒だと言うの。泥棒と親しいのはそちら様でしょうに。」

「げっ!読んだのか手紙を!」

宋江は片膝をついて頭を下げながら言った。
「頼む。あの手紙を知られては世間に誤解される。私は破滅する。」

「なんであんたに梁山泊から金100両も贈ってきたのかしら。よっぽどの事がなくっちゃ...」

「お前の言うことは何でも聞く。だから返してくれい。
このとおりだ。男が頭を下げて頼む。」

「3つの条件を聞くならいいわよ」

「何でもきく」

「じゃあ第一に、私の妾証文を私に返して。そして張三の所へお嫁に行っても苦情はないと一札をちょうだい。」

「よろしい」

「第二には、この家の家財道具は全て私の物よ」

「それも合点だ」

「第三に、あんたがもらった100両を手切れ金としてちょうだい。」

「今はない」

「出し惜しまないで。梁山泊の使いから受け取ったでしょ!」

「10両だけ取って、あとは返したのだ。90両は後から工面しよう。」

「嘘ばっかり。出さないなら、こっちも返さないから」

「家財を売り払ってでも数日中に持って来る」

「じゃあ、その時に引き換えよ」

宋江は涙を浮かべながら、
「なあ婆惜、金は後から揃えて渡す。あれを返してくれ。
お前の気にさわったことがあるなら、私が悪かった。あやまるよ…」と必死に訴えた。

だが婆惜は、「嫌よ!100両出すのが惜しいなら、お上からご褒美を頂戴するわ。
100両の半分でも、お上からなら大威張りだし。」と拒絶した。

ここで宋江の眼じりが裂けて見え、婆惜をつかんで引っくり返した。

「何するの、どなるわよ」

「お、これだ。これさえ返れば」

「離すもんか、死んだって」

揉み合ううちに、女の懐から短刀だけが転げ落ちた。

宋江が拾い上げるのを見ると、婆惜は本能的に「人殺しっ」と悲鳴を発した。

その声がかえって宋江の狂気を呼んでしまった。

宋江の持つ短刀は、いつの間にか彼女の脾腹をえぐっていた。

どたん、と床へ死骸を投げ出すと、彼は大きな息を肩でついた。

手早く鸞帯を改め、晁蓋の手紙は灯にかざして焼き捨てた。

この時、物音で眼をさました閻ばあさんが二階に上って来た。

「今の音はなんですかえ」

「見ろ、あそこを。お前の娘を殺してしまった」

「冗談でしょ、だんな」

「下手人の私自身も信じられん。だがやってしまった」

死体を見て、ばあさんは腰を抜かしかけた。「どうぞお助け下さいまし」

「心配するな、お前を殺すほど狂乱はしていない」

「どうしましょう、このババはもう食べてゆかれません」

「一生、お前は食うに困らせぬ。
葬儀屋へ行って棺桶をあつらえて来い。近所へは急病で死んだことにしておこう。」

「だんな、動転して物もうまく言えません。葬儀屋まで一緒に行って下さいませんか。」

で、宋江は台所で手に付いた血を洗い流すと、ばあさんを連れて外へ出た。

🔵逃亡生活に入る宋江

外へ出てみると、すでに夜明けになっていて、往来の人も増え始めている。

葬儀屋に向かっていると、閻ばあさんは急に宋江の袖を固く掴み、「町の衆、人殺しだよ!この人が殺しやがった。」と叫んだ。

宋江は狼狽し、両手でばあさんの口をふさいだが、人々が集まってくる。

ところが宋江が人格者と知っている町の人々は、人殺しという話を信じない。むしろ宋江に同情し、閻ばあさんの狂態を弥次りだした。

そこに一人の男が飛び込んできて、ばあさんの頬をはり倒した。

見ると唐牛児で、「さ、旦那、早く行ってしまいなせえ!」と宋江を逃がす気だ。

宋江はこれ幸いと、脱兎のように逃げて行った。

閻ばあさんは起き上るや、「唐牛児、お前も下手人の片割れだ。さあおいで」と牛児の胸ぐらをつかんで役所に連れて行った。

県知事の時文彬は、閻ばあさんと唐牛児から話を聞いたが、いつも宋江が良吏なので仰天した。

知事は、宋江を助けてあげたくなって示談に持ちこもうとした。

ここで動いたのが張三(張文遠)である。
宋江を有罪にするため、事件の捜査を買って出ると、近所に住む人から供述をとり、凶器となった短刀も押収した。

このため知事も逮捕状を出さずにいられなかった。

宋江はすでに行方をくらませていたので、張三は宋江の実家を調べるよう命じた。

宋家村にある実家には、宋江の老いた父親と、宋江の弟の宋清が住んでいた。
2人は「宋江がどこにいるか知らない」と述べた。

張三は納得せず、県知事に進言して、捕手頭の朱同と雷横に宋江の実家をすみずみまで調べるよう命じさせた。

調べた朱同と雷横の2人は、隠し部屋を見つけた。

朱同が部屋に入ってみると、そこに宋江がいた。
だが朱同と雷横は親友の宋江を逃がすため、見なかったことにした。

朱同と雷横は役所に戻ると、「宋江は実家にも姿を見せておらず、すでにこの地にいないようです」と報告した。

それで県知事は、「罪状触れと人相書を作成して、諸州の役所へ送れ」と命じた。

こうして事件は諸州へ布令された。

宋家では、宋江の父が「兄弟で旅立て」と命じたので、宋江は弟の宋清を連れて逃亡することになった。

2人が目指したのは、滄州・横海県にある柴進の屋敷である。

柴進は名家の大金持ちで、広大な敷地に住み、大勢の食客を抱えていた。
彼は有名な侠客であった。

柴進は宋兄弟を受け入れ、屋敷にかくまうことにした。


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