水滸伝④(以下は『新・水滸伝』吉川英治著からの抜粋
2026年3月17~20日に作成)
🔵宋江は妾をもつが、部下の張文遠に寝取られる
晁蓋たちが梁山泊に加わり、その上層部になると、梁山泊の勢威が増してきた。
それで近県に「梁山泊に警戒しろ」との布告が回った。
鄆城県の知事の時文彬はこの布告が来ると、部下の宋江に見せて「ひとつ、これを複写して県下の村々に配布してくれ」と命じた。
宋江は鄆城県の押司(役所の書記長)をしており、役所の幹部クラスであった。
宋江はその仕事に取りかかり、若くて頭のいい助手(部下)である張文遠に配布を任せた。
宋江は30がらみの独身男で、下宿暮らしをしていたが、人の面倒見が良いので皆から慕われていた。
彼は鄆城県に住む閻ばあさんが夫を亡くした時、葬式代がないと言うので代わりに出してあげた。
閻ばあさんには、19歳の婆惜という娘がいた。
この娘は若年から芸を仕込まれ、美人なのもあって、色街の芸者姐さんや料理屋の主人から養女にほしいと話があるほどであった。
閻ばあさんは宋江の人柄に惚れ込み、娘を宋江の妾にしたいと考え、親友の王ばあさんの助けをかりて話を持ちかけた。
話を聞いた宋江は、自分の地位なら女一人ぐらい囲ってもよかろうと考え、承諾した。
そして役所の近くに一軒を借りて、そこに婆惜を囲った。
閻の母娘はこの家に住み始めると、家具と衣裳を買いそろえ、食べ物も贅沢になった。
宋江は初めは熱心に通ったが、元々あまり女に興味のない男で、すぐに飽きて疎遠になった。
ある夕方、宋江は1名の客をそこに連れて来た。
それは彼の部下で次長をしている張文遠で、通り名は小張三だった。
閻婆惜は張三を見たとたん、多情なのもあって耳まで紅く染めたが、側で見ている宋江は妬むことすら知らなかった。
やがて婆惜は上機嫌になって「こんなに楽しい晩ってないわ」と言った。
張三は婆惜が楽器を弾けると知ると、「どうです、私は笛を吹けるので、あなたは胡弓をお弾きになりませんか。」と誘った。
2人が合奏して陶酔するのを、宋江も隣りで見聞して楽しんだ。
婆惜は、宋江の堅物な人柄に味気なさを感じており、遊び人タイプの張三にすっかり魅了された。
色道の玄人である張三も、「こいつはものになる」と見た。
その後、張三はこっそり通い始めた。
閻ばあさんは黙認した。
これから起こることを考えれば、宋江が張三を妾宅へ連れて来たのは一代の大失策であった。
やがて宋江は、張三が隠れて婆惜のところに通っていると聞いたが、ぼそりと独りで呟いたにすぎなかった。
「仕方ない。父母が選んでくれた女房ではないし、私が行かなければすむことだ。当分のあいだ足を抜いていよう。 」
🔵宋江は劉唐からお礼を受け取る
宋江は婆惜のことを忘れて、妾宅に通わなくなった。
初夏になったある日、彼は下宿先に帰る途中で声をかけられた。
「もし、お待ちなすって。私は晁蓋さんの所に身を寄せていた劉唐でございます。」
「あ、これは驚いた。意外な所で。」
「あの節(晁蓋や劉唐たちを宋江が逃がした一件)はお世話になりました。
少しそこらの飲み屋までお顔を拝借できないでしょうか。」
2人が飲み屋の2階の小部屋におちつくと、劉唐はひざまずいて言った。
「昨年の秋は、宋江さまのおかげで九死に一生を得ました。
頭領の晁蓋以下に代わりまして、真底からお礼を申し上げます。」
「やあ、お手をお上げ下さい。給仕人が来ます。
そんな慇懃さでは怪しまれます。」
「それではご免なすって」と言って劉唐も椅子につき、2人は酒を交わし始めた。
劉唐は言った。
「我々は、ただ今では梁山泊にて子分を擁して、上手くいっております。
晁蓋以下、大恩人のあなたを忘れたことはありません。
ここに晁蓋頭目のお手紙と、黄金100両を持ってまいりました。
どうぞ一同の心として、お収め下さい。」
宋江はうやうやしく頭を下げると、「では、いただきます」と言って、手紙と10両ずつ入った固まりのうち1つだけを受け取った。
劉唐はまごついて「どうぞあとの90両もそちらへ」と言ったが、
宋江は「いやいや、本来はもらうべきものではないが、ご一同のおこころざしが嬉しく一封だけは頂戴しました。」と答えた。
「それでは手前が困ります。」
「では私からご一同へ宛てて返事をしたためましょう。
そうすればあなたのお顔も立つし、私の心も届く。」
宋江が返書を書いて劉唐に渡すと、2人はまた飲んだが、やがて2人は店を出た。
「すぐに梁山泊の山塞へお帰りですか」
「いえ、あの節は県の捕手を率いる雷横さんと朱同さんにもお助けをうけたので、そちらへもお礼を言ってこいと申しつかってますので。」
「左様ですか。しかしカネはやらぬほうがいいでしょう。
とくに雷横は大酒飲みで、大金を持たせぬほうが当人のためですよ。
それに、あの事件以来、この町は捕手が増員されています。劉唐どのも気を付けたほうがいいですぞ。」
「ありがとうございます。それではさっそく退散します。」
劉唐は笠を眉深にかぶって去っていった。
見送ってから宋江は呟いた。
「他人事ではない。もし私が梁山泊の使いと会っていたことが役所の誰かに知られたら……」
急にソワソワしてきて、急いで家に戻ろうとしたところ、あいにく閻ばあさんとばったり会ってしまった。
「あら、だんな。どうなすったんです。近頃はちっともお見えになりせんね。」
「どうもせんさ。役所が忙くってね。」
「いけませんよ、娘が可哀そうじゃございませんか。今夜はお連れせずにはいませんよ。」
「おい離せよ、人が見るではないか。」
「この婆だってだんな様に見放されたら、どうすればいいか。」
「おや泣くのかい。往来中で見っともない。分かった、行くよ。」
🔵宋江と閻婆惜は破局へ
閻ばあさんは、我が家に入るやいなや、大声で階下から二階へどなった。
「婆惜よ、待ちこがれていた宋押司さまが来たよ。」
すると真っ暗な2階で、にわかにバタバタと物音が始まった。
婆惜は張三と性交の最中だったので、びっくり仰天の張三は慌ててあっちこっちにぶつかったのだ。
婆惜が2階の裏窓を開けた。
「張さん、こっちよ。こっち。屋根からお隣りの塀を伝って逃げて。2~3日のうちにまた来てね。」
男を逃がすと婆惜は灯りをつけ、階下を覗いて舌打ちした。
閻ばあさんがあたふたと上って来て叱った。
「静かにおしよ。たんと楽しんだ後だろ。少しぐらいな勤めは商売だとお思いよ。」
「嫌ですよ。あたしは押司さんの顔を見ると胸がムカムカしてくるんですもの。」
「そんなこと言ったって、母子で贅沢に暮らせるのはあの人のおかげじゃないか。」
閻ばあさんは階段の下に待たせている宋江へ向かって言った。
「さあさあ、お上がり下さいませ。
あんまりお見えにならないので、この娘はすっかり拗ねているんですよ。おほほほほ…。今すぐお酒でも支度してまいりますから。」
宋江が二階へ上がると、脱ぎっ放しの寝衣(ねまき)やら枕が乱れていた。
閻ばあさんは、男女が1つの所にいればなるようになるという哲学の持ち主だった。
ところが案に相違して、酒と料理をつくって2階に運んでみると、2人は黙って向かい合っているだけであった。
そこに、深夜なのに人が訪ねてきた。
閻ばあさんが扉を開けて、
「だれかと思ったら、漬物屋の唐牛児じゃないの。」
「宋江さまはいるかい。
俺の恩人で親分の宋江さまに、また助けを仰がなくっちゃならねえんだ。」
「お、唐牛児か」と言って、宋江は立ちかけた。
いつもは小遣いをせびる厄介者だが、今は天の救いと、これを機(しお)に牛児を連れて出て行こうとした。
だが閻ばあさんが何のかんのと言って宋江を元の所へ押し戻し、牛児に向かっては「出ておゆき、図々しいったらないね、お前は」と叱り飛ばした。
「なんだって人を突き飛ばすんだよ」
「お前の恩人様がシッポリ愉しんでいらっしゃるのに、何だって邪魔するんだい。」
2人は取っ組み合いを始めたが、とうとう牛児は尻尾を巻いて逃げ失せてしまった。
閻ばあさんは水をがぶがぶ呑んで戻ってくると、いよいよチーンと白けている娘と宋江を見て作り笑いし、ペチャクチャとしゃべって香を焚べたりした。
「さあ枕を2つ並べておきますからね。
娘や、お前もいつまで拗ねているのさ。夜が明けてしまうじゃないか。
可愛い殿御をお床へ寝かせて、色ようしてお上げ。」
閻ばあさんが階下に降りていくと、宋江はふと思った。
「婆惜と張三の仲は怪しいが、見届けたわけではない。そうだ、この女がどんな風に俺に接するか見てやろう。」
見ると婆惜はすでに布団に入り、後ろを向いてふて寝している。
宋江は服を脱ぐと布団に入り、女とは逆を向いて夜具を被った。