水滸伝⑧(以下は『新・水滸伝』吉川英治著からの抜粋
2026年4月28~30日に作成)
🔵ここまでのあらすじ
宋江は殺人を犯したが、自首して出て、江州の牢獄に入ると決まった。
護送されて江州に入ると、毒を盛られたが、高名な義士なので助けられて、そこを取り仕切る裏社会のボスたち(李俊など)と出会った。
李俊たちに見送られて、いよいよ江州の牢獄に入ることになったが、そこで待っていたのは…。
🔵宋江は江州の流刑地に着き、入獄して戴宗と知り合う
李俊らから様々な餞別物をもらった宋江は、彼らに見送られて舟に乗り、護送役2人に見守られつつ揚子江を使って江州城へと向かった。
その日のうち江州城に着き、城内の牢獄へと宋江は連れて行かれた。
江州の行政を見る長官は、蔡得章という人で、宋朝の中央政府で権力をふるう蔡京の9番目の息子であった。
そこで彼は「蔡九さま」と呼ばれていた。
宋江は、所持金を賄賂として刑吏たちに分け与えたので、入獄する新入りが必ず食うはずの棒百叩きを免除された。
ある時、刑吏の頭が宋江に注意した。
「君はなぜ牢の節級(長官)どのへは袖の下を差し上げないのか。あの人は大変お気を悪くしているぞ。」
「いや、放っておきましょう」と宋江が答えたので、「おいおい、どうなっても知らんぞ」と刑吏頭は呆れた。
果たせるかな、間もなく宋江に節級から呼び出しが来た。
会ってみると、節級はコワモテの男で、抜いてない剣を自分の前に立てて、それへ両手の平を乗せている。
高官にしては思いのほか若い年齢だった。
現れた宋江を見て節級が言った。
「なんだ?規定の棒百叩きを病人ゆえ猶予しとると聞いたが、ピンピンしてるじゃないか。けしからん。さっそく俺の面前で百打の棒を食らわせる。」
宋江が口をはさんだ。
「私からのつけ届けがないので、あなたの自尊心を傷つけているのでしょう?」
「なにっ!」
「つまらないお人だ!」
宋江の露骨な反抗の態度に、室内は氷のようにシーンとなり、刑吏たちは皆が顔色を変えた。
節級は、かあっとなって、剣のこじりで床をトンと突き鳴らした。
「こやつ、よくも面罵したな。ヒイヒイ言わせてやるぞ。」
「いよいよ愛想がつきる。呉用学人ほどな人の知人にも、こんなくだらぬ人がいたのか。」
これを聞いた節級は俄かに慌て出し、「皆、室外へ立ち去れ」と命じて、刑吏たちを追い出した。
そして辞色をかえて尋ねた。「もしや、あなたは宋江さんではないのか」
「そうです。呉用さんの手紙を持参していますが、梁山泊の軍師・呉用と、官吏の節級が知り合いとあっては、ちと外聞がまずいのではと思い、申し上げずにいたのです。」
「おおっ、こっちへも呉用さんから手紙が来ていた。
だが宋という姓は多いし、あなたは入獄の時に下の名がなかったので、つい失礼をしてしまった。しかし会えて良かった。」
このあと宋江はすぐに独房へ移され、牢の鍵まで彼の手に持たされるという特別待遇になった。
数日後、節級は宋江を連れて町に出かけ、酒楼に入ってゆっくりと話をした。
この節級は、戴宗という名で、江州では「戴院長」と敬称されている。
戴宗は「神行法」という道術を身につけており、甲馬に踏みまたがり脚に呪符を付けることで、1日に500里を飛ぶように駆けて移動するという神技を持っている。
それであだ名を神行太保といった。
🔵李逵の登場
宋江と戴宗が酒楼で飲んでいると、店の人が「お客が暴れているので止めてほしい」と戴宗に頼みに来た。
戴宗は「またか。しようのない奴だ」と言って席を立つと、少ししてから色黒のカチカチに肉のしまった筋肉質の男を連れて戻ってきた。
「宋江さん、暴れていたのはこの男です。黒旋風の李逵といいまして、牢の番人をしている私の部下です。
二挺の斧を両手に使う達人で、拳法や棒術も心得ているので、鉄牛の李なんて言われてますが、とにかく酒ぐせが悪くて困っています。」
宋江がなぜ暴れたのか訊ねると、金を貸せと言って断わられたからだと言う。
宋江が銀10両を取り出して、「これで足りますか。よかったらお使い下さい」と言うと、李逵は雀躍り(こおどり)して、「ありがてえ。これで目が出たら倍にして返すぜ。おごってやるよ。」と言うなり、出て行ってしまった。
戴宗は眉をひそめて、「お貸しにならんほうが良かったですな。あいつはカネを見たらすぐ博打ですよ」と嘆いた。
「まあ、いいじゃありませんか」と宋江。
「あいつは弱い囚人は可愛がってやるが、上司には毒づくし、仲間の牢番人で威張る奴にはたてつくしで、問題児なのですよ。」
その頃、李逵は博打場に現われて、眼の色を変えて丁半博打に金をかけたが、すぐに負けて銀10両を取られてしまった。
李逵が胴元の前にあるカネのうち10両を取ってふところに入れたので、「賭場荒らしをする気か」と騒ぎになった。
李逵は暴れ出したが、誰も止められず、ケガ人が続出。
胴元の張乙は逃げる李逵を追いかけたが、そこに騒ぎを聞いた戴宗と宋江が現れた。
「なぜ人の物を盗むのだ!」と叱る戴宗。
「ごめんなさい。勝ったことにして宋江さんに大きな顔でおごりたかったんです」
宋江が笑い出し、「カネが欲しいなら私が上げるものを。奪ったカネを返しておやり」と諭した。
それだけでなく、ケガした人たちの薬代として、別に銀子を張乙に渡した。
🔵李逵と張順の大喧嘩
宋江と戴宗と李逵の3人は、気分を変えて飲み直すことにし、居酒屋に入った。
ところが李逵は、出された魚が古いと言い出し、店の者を呼んで怒鳴りつけた。
店の者が言うには、魚問屋の親方が不在のため、新しい魚が水揚げされていない。
聞いた李逵は、「俺が市場へ行って2、3匹もらって来ら!」と言って、店を飛び出した。
揚子江の岸辺に李逵が行くと、百隻をこえる漁船が岸につないであった。
「おい、漁師たち。なんでもいいから見事な魚を2~3尾よこしねえ」
「なんだいてめえは!」
無礼者を見て、たちまち漁師やら買出し商人やらが集まって来た。
「いいか、魚問屋の親方さんが来ねえうちは、小魚の一尾だって揚げられねえんだよ」
「そんなのは百も合点だ。問屋のおやじが来たら李逵様のお買い上げがありましたと言っておけ。魚をもらっていくぜ。」
「あっ、この野郎!」と5~6人が組みついたが、李逵にはね飛ばされた。
漁師たちが李逵をもてあましているところに、長身の色白な男が現れた。
彼こそ魚問屋の旦那である。
男は李逵の横面を拳で殴ったが、李逵には効かず逆に足蹴りをもらってよろめいた。そこを李逵が押し倒し、鉄拳を男の顔に打ちつけた。
ここで「やめないか李逵」と声がかかった。
戴宗と宋江が来たのである。
「お二人さんか。放っといておくんなさい。殺したって罪はあっしが一人でかぶりゃいいんでしょ。」
「バカ者!こっちへ来い」と、2人は李逵をつかんで男から離し、なだめつつ元の居酒屋へ連れて戻ることにした。
ところが魚問屋の男は諦めなかった。
舟に乗って追いかけてきて、岸辺を歩く彼らに近づくと、「やいっ!李逵とかいう野郎、逃げるのか!」と挑発した。
次の瞬間、李逵は舟の方へすっ飛んで行き、相手の舟に跳び乗った。
待っていたとばかりに、男は両手を広げると、舟を両脚で踏んで大きく揺らし始めた。
李逵は「俺を恐れて男らしくねえ手を使ったな」と非難したが、男はさらに大きく揺らして舟を引っくり返した。
落ちた2人は、水中に沈んでなかなか出てこない。
漁師たちは嬉しそうに「上手くやったね、親方は」、「あの方は浪裏白跳だからね!」、「あの牛野郎はたっぷり水を飲むだろうよ」と、快哉し合う。
宋江は驚いて尋ねた。
「あの主人はあだ名が浪裏白跳なのですか?」
「そうですよ、張順さんが本名ですぜ」
「しまった!私は兄の張横から手紙をもらっている。
江州ではぜひ張順と会って下さいと紹介されていたのだよ。」
それを聞いて戴宗が漁師たちに命じた。
「漁師ども、私は牢城の戴院長だ。李逵を助けて連れて来い。」
舟が助けに出て、李逵を運んできた。
張順の手で溺れた李逵はゲッゲッと鼻や口から水を吐いた。
宋江と戴宗は、李逵と張順を連れて元の居酒屋に戻った。
そして和解の乾杯をした。
宋江が、「張順さん、あなたの兄さんとは掲陽鎮でお会いし、お世話になりました」と挨拶すると、
「えっ、あなたが宋江さんでしたか。兄から手紙が来て、ぜひお目にかかれといわれてました。」と驚く。
張順は「はからずも3名の豪傑に一度にお会いでき、こんなに嬉しいことはございません。これからは弟と思ってお叱り下さい」と頭を下げ、ここに新たな交わりが結ばれた。
張順が市場から新鮮な魚を持ってきたので、4人はそれを食べながら飲んだ。
そこに流しの父と娘の芸人コンビが来て演奏した。
娘の名は宋玉蓮であったが、李逵が娘に酌をさせて、何が気に入らないのか叩いて昏倒させてしまった。
宋江は代わりに謝まって、慰謝料として銀子も渡した。
🔵再び逮捕される宋江
戴宗、李逵、張順と飲み食いした翌日、宋江は食べ過ぎたのか激しい下痢となった。
そのまま牢獄にて10日余りも寝込み、散歩できるまでさらに10日もかかった。
思えば済州から罪人として送られてきた長旅の疲労が今出たのかもしれなかった。
ようやく元気になった宋江は、江州の有名な酒楼である潯陽楼に1人で行き、のんびりと食事した。
久しぶりに酔った勢いで、部屋の白壁に筆で詩を書きなぐり、「鄆城県人の宋江が作った」と書き添えた。
江州の対岸に、無為軍と呼ばれる田舎町がある。
そこに住む黄文炳は、金持ちで贅沢な生活をし、出世欲から江州府の長官である蔡九にしょっちゅう賄賂を送っていた。
黄文炳は、下にはいばり、上には媚びる男で、人々からひどく嫌われていた。
この男が潯陽楼に来店し、白壁にある宋江作の詩を読んだ。
彼は詩の内容が宋朝への謀反を語っていると解釈し、蔡九に報告した。
蔡九は詩を読むと、「これは革命者の心胆のほとばしりだ。世を呪う奴の声だ。」と危険視し、宋江を重罪にするよう命じた。
宋江が詩作により重罪になったといち早く知った戴宗は、神行法を使って風の如く移動し、宋江に会って危険が迫っていると告げた。
宋江は酔って書いた記憶のはっきりしない詩を思い出そうと俯いたが、記憶が蘇るや蒼白な顔になった。
戴宗は考えついた一計を話した。
「宋江さん、捕まったら狂人を演じて下さい。蔡九の前へ連行されたら、狂態をつくして下さい。」
「いや、やめましょう。私はもう覚悟しました。」
「しかしあなたを見殺しにしたら、友人の呉用をはじめ、梁山泊の面々に私は恨まれてしまう。江州で義を結んだ男どもにも顔が立ちません。」
「こんな愚かな私が捕まっても、誰があなたを不義としましょうか。
それに私は、狂人を装う芸などありませんよ。」
戴宗は諦めて、長いため息をつくしかなかった。
間もなく宋江は蔡九の所へ連行された。
口述書をとられ、死刑囚のつける重さ25斤の首枷がはめられ、牢に放り込まれた。
牢獄の長の戴宗は、それからも宋江を丁重に扱った。
🔵戴宗は梁山泊の面々と会う、呉用の計略
宋江が重罪犯となった後、黄文炳が蔡九に助言した。
「宋江は国事犯ですから、その処罰をどうするか首都・開封まで使いを出して、お伺いを(大臣の)お父君にしたほうが良いと思います。」
「よく気がついた。その献言を用いよう。
わしが昇進したらお前も栄職につけてやるぞ。
よし、戴宗を呼んで使いを命じよう。」
戴宗は蔡九に呼び出されたが、蔡九は別の用事も言いつけた。
「わしの父・蔡京大臣は7月15日が誕生日じゃ。だからこの祝い品を、その日に間に合うように届けてくれ。」
戴宗は当惑したが、即日に出立して開封に向かった。
戴宗が山東の一角まで来た時、休憩で居酒屋を訪れた。
すると店主が「もしや戴宗さんではありませんか?」と訊いてくる。
「どうしてわかった?」
「あっし達の仲間の呉用先生が、神行法を使う男・戴宗の話をよくしてるもので。
じつはあっしは、この近くにある梁山泊の一員で、早地忽律の朱貴という者です。」
「そうだったのか、呉用さんは今もおいでか?」
「おりますとも。呉用先生たちは、あなたのおられる江州に流された宋江さまの身を案じて胸を傷めておりますよ。」
宋江の話が出たので、戴宗は宋江が難にあって死刑になりかかっていると、事の次第をつぶさに話した。
朱貴は仰天して息まいた。
「戴宗さん、あんたは開封に行ってる場合じゃないですぜ。
宋江さまのお命はどうなるんだ。」
「しかし使いを果たさねば、私も江州へ帰れぬ身なのだ。」
このままではいかんと、朱貴は急いで梁山泊に連絡し、この事を伝えた。
戴宗は出発しようとしたが、朱貴が無理に止めているうちに梁山泊から早舟が来たので、そのまま戴宗を梁山泊へと引っ張っていった。
朱貴の通報があってすぐに、梁山泊の首領・晁蓋は頭目たちを呼び集めた。
それで戴宗が来た時にはずらりと頭目が揃っていた。
呉用と戴宗は久しぶりな邂逅でもあり、手を取り合って喜んだが、呉用が言った。
「ここには山塞の主な者が揃っている。
戴宗どの、もう一度、宋江先生の難を説明して下さらんか。」
戴宗が話し終えると、一同は「江州へ行って牢獄をぶち破り、宋先生を奪い取ろう」といきり立った。
呉用がそれを制して、「ヘタに動けば宋先生を殺すことになる。この計略は入念を要するぞ」と戒めた。
晁蓋が訊く。「呉用軍師には何ぞ妙計がありますか?」
「うむ、無くもない。
まずは戴宗どのには開封へ行ったことにして、蔡京大臣の偽手紙を持ち帰ってもらい、それで蔡九をあざむくのだ。
その偽手紙にはこう書いておく。
宋江は国事犯なので地方で処刑するな、首都・開封へ送れと。」
「なるほど。その途中を待ち伏せて、宋先生を奪えばいいのか。
けれど軍師、蔡京の筆蹟はどうしますか。
息子の蔡九が見れば父の筆蹟と違えば見破るでしょう。」
「案じるには及ばん。私が以前に済州城で世話した書生で、蕭譲(しょうじょう)という者がいる。彼は偽筆の名人なのだ。
聖手書生のあだ名が付いてる男だが、刀槍を持たせても相当に使う男だ。」
「けれど大臣の手紙には印章も要ります。大臣の印章はどうしますか?」
「同じ済州に住む印刻師で金大堅、あだ名を玉臂匠という者がいる。
これが印章作りの達人だ。」
「それでは」
「うむ。戴宗どのが山伏に化け、神行法で済州の町へ行って、二名人を連れ出すのだ。
二人には『泰安州の嶽廟に石碑を建てるので、巨匠であるあなた方にお仕事をお願いしたいと言って、銀子50両ずつ渡せばいいだろう。」
呉用のこの計略に晁蓋以下が賛同し、戴宗も異存はなく、すぐさま戴宗は山伏に姿を変えて済州へと向かった。
🔵蕭譲と金大堅は騙されて梁山泊へ
済州の蕭譲は、貧乏世帯の独り者で、自宅で仕事をしているところに戴宗が訪ねてきた。
戴宗が銀子50両を出して鄭重に碑文の揮毫を依頼したので、蕭譲は引き受けた。
「実は建碑の日が決まってまして、すぐに山へお越しいただき、ご執筆をお願いしたいのですが。」
「さっそくの旅立ちってわけかい。だが石彫りのほうはどうなさるんで?」
「当所には名人の金大堅という方がいると聞いてますので、そちらへ依頼にゆくつもりですが。」
「大堅なら友達だし、仕事も良いよ。じゃあ一緒に行ってやるよ。」
蕭譲はもう大乗り気で、すぐに連れ立って表へ出た。
金大堅の家に行くと、ここも貧乏世帯である。
戴宗が「泰州の嶽廟に有志の手で、石碑が建てられることになりました」と話し、銀子50両を前に置くと、
大堅は一も二もなく、「ようござんすとも!東嶽大帝をおまつりしてある嶽廟の碑を手がけるなんざ、彫師一代のほまれだ」と大機嫌で引き受けた。
翌日の明け方に3人は出発したが、半日歩いたところで戴宗は「先へ行って出迎えを用意します」と言って先行した。
その少しのち、蕭譲と金大堅の2人が疲れた足で歩いていると、一団が現れた。
梁山泊の王英が率いる集団で、「カネを出し、身ぐるみを脱げ」と立ちふさがった。
2人は腕におぼえがあるから立ち向かったが、逃げる王英を追ったところ梁山泊の宋万らの伏兵が襲ってきて、捕まってしまった。
2人は捕縛され、そのまま梁山泊まで運ばれた。
梁山泊に着き、縄を解かれてみると、思いがけない旧知の恩人の呉用が笑って居るではないか。
「呉用じゃよ。驚かせてすまなかったな。」
「先生、帰しておくんなさい!大堅には家族もいるんですよ!」蕭譲が訴えた。
「案じなさんな。その家族も明日あたりにはここへ連れてくる手筈になっておる。
この山塞におまえ方の住居は用意してある。」
「冗談じゃねえ、どうしてこんな所へ。」
「お前たちの腕を見込んでの頼みごとだ。
お前たちも知っているあの宋江さんが困っている。お前たちの技術(うで)で助かるのだ。」
話を聞くと、2人も宋江を敬慕していたので、義心を燃やして仕事を引き受けることに決めた。
🔵偽手紙を作成するも…
かくして蔡京・大臣の偽手紙が作り上げられた。
戴宗はそれを携えて、神行法で江州へと帰って行った。
戴宗が出発して少しのち、呉用が顔色を変えて「しまった!」と呼んだ。
「この呉用一代の失策だ。あの手紙が宋江さんの命取りにならねばいいが…。」
「軍師、どうしたんです?」
「印章を過った(あやまった)。
『翰林蔡京』という字を彫らせたが、手紙を受け取る蔡九は蔡京のせがれだ。
子が父へ宛てた手紙に蔡京の諱(いみな)の印は捺さない。諱は目上に対して名乗るのもの。
まして地方の長官へ中央政府の大臣が出す文に諱の印は使わない!」
だが戴宗を追いかけようにも、相手は神行法の使い手で追いつけるはずもない。
危機に対処するため、急いで梁山泊の精鋭が江州へ向かうこととなった。
🔵斬刑に決まる宋江と戴宗、それを梁山泊の者たちが救出する
戴宗は、江州に戻ると蔡九に偽手紙を届けた。
蔡九は偽物と気付かなかったが、黄文炳は「閣下、これは偽物です」と見抜いた。
「この印章は、蔡京さまがまだ翰林院の学士でいられた当時のもの。現在はお用いではございますまい。
それに父から息子へ宛てた書面に、どうして諱の印を捺されましょうか。」
戴宗は呼び出されて逮捕された。
黄に拷問された戴宗は、ついに計略を白状してしまった。
蔡九は「宋江と戴宗を斬刑に処せ」と命じた。
6日後。
江州郊外にある処刑場は、有名人が処刑されるため見物人で一杯となっていた。
宋江と戴宗が死刑囚として、白い死衣を着せられ、刑場へと曳かれてきた。
役人たちは罪文を読み上げ、2人の首枷を取り外させると、首斬り役人が「観念しろ!」と言って刀をふり上げる。
その瞬間にジャン、ジャンと銅鑼(どら)が大きく鳴り、刀を持った者たちが現れるや、刑吏たちに襲いかかった。
刑場が大混乱となる中、宋江と戴宗は消えうせた。
救われた宋江と戴宗が運ばれた先は、出張ってきた梁山泊の頭目、晁蓋たちが集まる所だった。
「私ごとき者を忘れないでいて下さる諸兄の義気、言葉もありません」と宋江は泣いた。戴宗も嬉し泣きである。
「ここはどこです?」と宋江が尋ねると、揚子江の河畔の白龍神廟であった。
梁山泊の面々が言うには、2つの斧を持った黒色の男が「殿(しんがり)は俺に任せろ」と言って追手と戦っていた。
その李逵が馳け込んできた。
「江州城内では蔡九と黄文炳の指揮で数千の大軍が集合中だ!早く揚子江を渡って逃げろ!」
宋江と戴宗が彼を呼んだ。「李逵、こっちへ来い。梁山泊の頭領たちに引き合わせてやる」
「おおっ、こっちもそのつもりだ」
🔵合流する江州の三覇たち、黄文炳を討つ
宋江たちが逃げようとしていると、そこへ三隻の船で駆けつけて来た一群がある。
張横と張順の兄弟、穆兄弟、薛永、李俊と李立、童威と童猛といった、「揚子江の三覇」といわれる者どもであった。
宋江は、「おかげ様で助かりました。梁山泊のみんなに会って下さい」と仲に立って、晁蓋以下と引き合わせた。
後世の人々は、好漢の多くが集まったこの日のことを、「白龍廟での仮の勢揃い」 と呼んでいる。
彼らは襲来した官軍を迎え討ってしりぞけると、船に乗って掲陽鎮にある穆家の屋敷に行った。
そこで大酒宴になったが、衆議して「奸人の黄文炳を倒すべきだ」と決まった。
薛永が「手前が黄の住む無為軍の町へ偵察に行きます。いささか地理に詳しく、知人もいますので」と言うと、一同は「じゃあ行ってくれ」と拍手を送った。
2日後。薛永は1人の小男を連れて帰ってきた。
この小男は侯健という名で、通臂猿のあだ名を持っている。
薛永が言った。「彼は裁縫師で、神技みたいな技能の持ち主です。この春まで黄の家庭に住み込んで働いてました。」
侯健が、黄家の内情を詳述した。
「黄文炳の悪評は隠れもなく、毒蜂刺と町の人から呼ばれていて、その屋敷で働く40~50人の召使いも1人として彼を慕っていません。
これに対しその兄の黄文燁は、黄仏子(仏の黄さん)と呼ばれるほどの善人で、貧民を救い、公共の橋を自費で架け、災害があれば私財を投じて助けてきました。
黄文炳の屋敷は、使用人たちにやる気がないので、見かけは厳重でも踏み込むのは簡単です。」
黄文炳を征伐するため、7隻の船に皆が乗り込んで、無為軍の町へ忍び入った。
その日の深夜。黄文炳の屋敷に火がかけられ全焼した。
だが筋向かいの黄文燁の屋敷は襲われず無事だった。
黄文炳はその夜、蔡九の屋敷に居た。
自宅が全焼したと聞いた黄は、急いで自家用の豪華船で無為軍に戻ってきたが、そこを待ちかまえていた梁山泊の者らに捕まり、斬殺された。
黄文炳の屋敷にたくわえられた財貨は、焼かれる前に運び出され、全て梁山泊行きの船に移された。
三覇の面々は、「こうなってはこの地に居られません」と言って、梁山泊入りを求めた。それで穆家の資産も梁山泊へと運ばれた。