司馬熾(懐帝)の即位(以下は『司馬炎』福原啓郎著から抜粋)
306年11月に晋朝の2代目皇帝である恵帝が亡くなった。
すぐに司馬熾が後を継ぎ、3代目皇帝となった。(懐帝の即位)
司馬熾は、武帝(司馬炎、初代皇帝)の第25子で、恵帝の異母弟である。
284年生まれで、306年11月に即位した。
この即位では、いささか紛糾があった。
恵帝の妻である羊皇后が、自分が司馬熾のあによめにあたるので皇太后になれないと考え、恵帝の甥の司馬覃を擁立しようと企てたのである。
侍中の華混が変事を察知して動いたので、事無きを得た。
羊皇后は皇太后になれずに去った。
(※当時は皇太后が大きな権力を握れた)
307年1月に、八王の乱で生き残った司馬越が、輔政の任(皇帝の代行者)に就いた。
八王の乱で晋朝は弱体化しており、各地で反乱が起きた。
そして永嘉の乱の結果、晋朝はいったん滅亡することになる。(西晋の滅亡)
(2025年11月23日に作成)