清仏戦争

(『馬占山と満州』翻訳・陳志山、編訳・エイジ出版から抜粋)

1884年にフランスは、キリスト教カトリック派の信徒の保護を口実に、ベトナムに出兵した。

そして諸都市を陥落させて、ソンユイ河のデルタ地方を制圧した。

清朝は、ベトナムの宗主国として、ベトナム政府の要請をうけて援軍を送った。

そしてベトナム軍と共にフランス軍と戦って、敗走させた。

フランスはこの敗走により、フェリー内閣が総辞職した。

ところが、清の直隷総督である李鴻章は、フランスに買収されたのか、早期の講和を主張して、フランス軍のベトナム駐留を認める『中仏(清仏)の改訂ベトナム条約』に調印してしまった。

そのため「清国は戦争に勝って、外交に負けた」と言われた。

(2022年9月21日に作成)


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