タイトルソグド人、中央アジア

(以下は『紙の道』陳舜臣著から抜粋)

🔵ソグド人について

ソグド人は、サマルカンド(現在のウズベキスタン)を中心にしてザラフシャン川の流域に住んだ、イラン系の民族をいう。

この地は古くからアジア大陸の東西交易の要で、オアシス国家がつくられた。

ザラフシャン川は、その中・下流域は古くからソグディアナと呼ばれ、オアシス都市を育んだ。

ソグド人は、中国では漢の時代から「粟特」と表記された。

🔵イスラム軍が中央アジアを征服

アラビア半島でイスラム教が誕生し、版図を拡大すると、イスラム軍が攻めてくる危険が中央アジアに生じた。
そこで商業を得意とし戦争は苦手なソグド人たちは、戦争に強いトゥルギシュ・トルコ族を用心棒としてカネで雇った。

ちなみにトゥルギシュ・トルコ族は、中国の文献では「突騎施」と書かれている。

中央アジアの諸国は、イスラム軍を追い出そうとして突騎施の武力に頼ったのである。

イスラム教のウマイヤ朝は、クタイバという将軍を、中央アジアを征服するために派遣した。

派遣されたクタイバは、康国(サマルカンド)などを攻め落とした。
その後にクタイバは、サマルカンドで自立しようとしたが、715年もしくは716年に部下に殺された。

当時の突騎施の首長は吐火仙(とかせん)という人で、唐朝の支配する砕葉城(スイアーブ城)を奪った。

そこで唐は軍を送って739年に砕葉城を奪回し、吐火仙は捕虜となった。
吐火仙は赦免されて唐の将軍となり、自立していた突騎施はこの時に消滅した。

(以上は2026年1月18日に作成)

(以下は『秘本三国志』陳舜臣著から抜粋)

1972年に、李賢(654~684年)の墓が発掘された。

李賢は則天武后の第二子で、30歳の時に母から死ぬよう命じられた悲劇の人である。

彼は学問好きで、『後漢書』に注釈したものが残っている。

(以上は2025年10月18日に作成)


BACK【中国史 唐の時代】 目次に戻る

目次【中国史】 トップページに行く

目次【世界史の勉強】 トップページに行く

home【サイトのトップページ】に行く