(『ZONE2014年9月号』から抜粋)
田中マルクス闘莉王
「ザック監督は4年間を費やして、ポゼッションを高めてパスで崩すサッカーをやろうとしてきた。
だが、それにはチーム全体に圧倒的な技術が必要で、日本はそこまでのレベルではない。
1点取られたら2点取る? 自分たちのサッカーをすればいい?
口で言うのは簡単だが、ブラジル代表ですら自分たちのサッカーをできず、オランダ代表ですら(伝統とは異なる)カウンター・サッカーだった。
やりたいサッカーが自由に出来るほど、W杯は簡単ではない。
今回の日本の3試合を振り返ると、この結果と内容では何も残していない。」
闘莉王は、「W杯では、守備に重心を置く戦術を採ったほうがいい」と、かねてから主張してきた。
闘莉王
「去年のコンフェデ杯で失敗した事を、繰り返してほしくなかった。
4年前の日本代表は、(アジアカップ優勝を逃したため)コンフェデに出られなかった。
だから世界との差を計る機会がなく、本番直前にイングランドやコートジボワールという強国と対戦して、不安を抱えながらW杯に入った。
今回は、コンフェデであれだけやられて、『自分たちのサッカーが世界を相手にできない』と気付いていたはず。
それなのに、対策の痕跡が感じられなかった。」
昨年6月のコンフェデ杯では、日本は3試合で4得点9失点だった。
守備の強化の必要性は明らかだったが、ブラジルW杯でも3試合で6失点してしまった。
闘莉王
「『4年間も準備してきたのに、どうなっているのか』という不信感が、ファンにはあると思う。
前回大会(2010年W杯)の日本代表は、「ロッキー」の様だった。
守って守ってボコボコにされながら、最後に相手のあごに一発当てて勝つ。
見苦しいかもしれないが、そこには揺るがぬ団結があった。
今回のギリシャ代表を見ればいい。
必死に守って、決勝トーナメントに進んだ。
日本もそれ位のレベルなんだ。」
2010年W杯での日本代表を、スタローン演じるボクサーになぞらえる闘莉王。
彼は、「今回の代表からは一体感も不屈の闘志も感じなかった」と指摘した。
闘莉王
「カウンターとポゼッションのどちらのスタイルを選ぶかは、正直好き嫌いの範囲。
スタイルの優劣は付けられないが、守備が強くなければ世界では勝てない。
日本代表のトップ(監督)には、日本人の心を知る人が立たないといけない。
それに、監督の名前を頭に付けて、その人のチームと印象付けるのは違うと思う。
トルシエ・ジャパン、ジーコ・ジャパン、岡田ジャパン、ザック・ジャパンと変わってきたけど、『日本代表は皆のものだ』という発想が大事。
監督が辞めたら何も残らないようでは、4年間の意味はない。
日本の良さは、サムライの心(自己犠牲の心)だと思う。
今回の代表は、実力や体調を重視せず、勝敗よりもファミリー感を大事にした様にさえ感じた。」
闘莉王は、次の2018年W杯では37歳になる。
日本代表への熱情はまだあるのだろうか。
闘莉王
「37歳でのW杯は、一般論では難しい状況。
でも、チームの歯車が狂った特に必要になるのは、ベテランの力だと思う。
苦しい時にどれだけ力になれるかで、人は試される。
自分は、そういう時にこそ代表の力になれると信じている。」
○ 村本のコメント
私が驚いたのは、2010年W杯での日本代表について「ロッキーの戦い方。見苦しかったかもしれない。」と述べていることです。
私は2010年W杯もTV観戦しましたが、日本代表の戦いぶりに心が傷つきました。
「勝つための戦術かもしれないけど、これはきっついなあ。
この戦いぶりを世界で中継されるなんて、恥ずかしいよ。
これはサッカーと呼べるのか微妙だなあ。」と思い、つらかったです。
そんな試合ぶりでしたが、グループリーグ突破の成績から評価する人は多いですよね。
だから、中心となって活躍した闘莉王さんは、「素晴らしい内容の試合をした」と大いに自慢するのかと思っていたのです。
だが、そうじゃなかった。
私は、闘莉王さんの強気な性格から考えて、「2014年W杯の日本代表よりも、2010年の代表の方が上。試合したら絶対に2010年代表が勝つ。」みたいな事を言うのかと思っていました。
だが、冷静に2010年代表の試合ぶりを表現するのを見て、「この人は自分を冷静に見られる大物だ」と感心しました。
「~ジャパンと、監督の名を頭に付けるのは良くない」という意見は、説得力がある。「なるほど」と思いました。
だが、~ジャパンと書くと分かり易いのも事実です。
私の場合も、闘莉王さんの意見に共感しつつ、分かり易さを重視してハリルジャパンとか書いてしまいます。
「今回の代表は、実力よりもファミリー感を大事にしていた」との意見も、一理あると思いました。
ザックはイタリア人だが、イタリア人はファミリーをとても大切にし、絆を重視します。
イタリア代表はベテランを重用する傾向がありますが、それは絆を大切にする文化があって監督がベテランを切る決断をしないためです。
ザックは自分が信頼する選手の場合、調子が悪くても使うところがありました。
長谷部さんが怪我で調子が上がらないのに、W杯本番で使ったのには、私は違和感を持ちましたよ。
闘莉王さんは「今回の代表は一体感がなかった」と云うのですが、私は一体感はあったと思います。
ファミリー感に基づく一体感はあったが、自信を持って臨んだだけに、2010年の時よりも泥臭さに欠けたなあ。
(2015年12月30日に作成)