(『ナンバー2018年1月18日号』から抜粋)
岡崎慎司
「南アフリカW杯(2010年)では、(出場したが)W杯を理解してなかった。
ブラジル大会で初めて、他の大会と全く違うと痛感した。
小さな不安が、いつも以上に大きな不安に変わってしまうんです。」
ブラジルW杯では、1ヵ月前から始まった合宿でハードな練習が続き、疲労がとれなかった。
岡崎
「ブラジルの暑さも想定外だった。走れないなぁという感覚がずっと残っていた。」
初戦(対コートジボワール)については、こう回想する。
「先制点は獲れたものの、うまく行ってないという空気が漂っていた。
相手のサイドバックがけっこう上がってきたので、その対応に追われた僕もキツさを感じていた。」
前半は1-0で終えたが、ハーフタイムで「守り切るのは日本のスタイルじゃないだろう」との意見が出た。
「このまま守っていれば相手も焦ってくる。
そこでカウンターを狙えばという気持ちもあった。
でも言えなかった。
結果的に(後半に)クロスボールから2失点したので、耐えきれなかったかもしれないけど、逃げ切る策もあった。
チームがうろたえた時に、それを修正する行動やプレーを僕は起こせなかった。」
第2戦の対ギリシャ戦。
ザッケローニ監督はこれまで右で使ってきた岡崎を、左に置いた。
「右で崩して左で仕留めるという、アジア予選で作ってきた形だけでは、世界の舞台で戦えなかった。
その打開策だったのかもしれないけど、いつもとは違っていた。
新しい布陣に対応しようとしたが、ポジションにとらわれず、裏へ走るとか自分の強みを発揮すべきだったかもしれない。
とにかく走りきるとか自分らしさを出せば、チームに変化を生み出すことができたかもしれない。」
結果として岡崎は、ここまでの2戦でシュートを1本も打てなかった。
第3戦の対コロンビアは、岡崎は1得点したが、日本は1-4で敗れた。
「足元では打開できないので、裏を狙い続けた。
青山がそれを見て(パスを)くれた。
第3戦では自分の良さは出せたが、総合的には力が足りないと感じる大会だった。」
コロンビア戦の終わった夜、岡崎の部屋に本田圭佑がやってきて2人で話した。
「選手起用やコンディションの話はなかった。
2人とも、自分で何とかするために努力してきたから、他人のせいにはしなかった。
僕たちには、別のプランや形がなかった。
うまくいかない状況下で、グラウンドにいる選手たちは「じゃあこうしよう」との行動が起こせなかった。
それが、この大会での一番の反省点。
圭佑と一致したのは、もっと個を磨くべきだという事。
ここでいう個は、身体能力や技術だけじゃなくて、行動や思考や意識も含まれる。
自主性が高くないといけないから、自然と『日本の教育を変えなくちゃW杯には勝てない』という話になった。」
その後、岡崎はSNSでの発信を始めた。
「海外ではどんな思考でプレーしているかを、日本の若い選手に伝えたかった。
どんな状況でも戦える選手になるために、僕がなにを考えているかを拡げたかった。」
しかし、今は発信回数が激減している。
「やっているうちに、試合後に反省するよりも、伝えることに生活の重点が置かれていると気付いた。
日本代表でも、若手を育てなくちゃいけないと考え始めて、おかしな感覚に陥った。
自分の欲が薄まっていると思ったし、僕の変な勘違いだった。
レスターに移籍して貪欲さを思い出せた。」
ハリルホジッチ監督が就任して最初のミーティングでは、ブラジルW杯の日本代表の映像を見た。
ハリルは中央でボールを奪われる悪癖を指摘したが、岡崎は「このダメ出しから逃げちゃいけない」と思った。
その後、岡崎はレスターで磨いたものが評価されず、日本代表に招集されなくなっているが、こう話す。
「今、自分のキャリアでプレーは最も充実した状態にある。
だから、(2018年の)ロシアW杯後の代表についても考えることがある。」
(2018年3月16日に作成)