(『ZONE 2016年5月号』から抜粋)
ドイツ・リーグのバイエルンを指揮するジョゼップ・グアルディオラ監督は、新しい戦術を次々と生み出してきた。
今期のヒット作は、「サイドバックのボランチ化」だ。
これまでもダビド・アラバを、左サイドバック、ボランチ、インサイドハーフと3点移動させたり、右サイドバックのラームをボランチ化させた事はあった。
しかし今期は、(攻撃時には)ラームとアラバの(サイドバックの)両方が、シャビ・アロンソの両脇を固めるように内側に移動している。
場合によってはアンカーが下りて3バックになるが、そうでなければ2バックによるビルド・アップである。
ボールが前方に進むと、ラームとアラバは完全にMFとして攻撃に加わるので、「2バック・システム」と解釈できる。
実は、2バックは90年前は主力のシステムだった。
なぜグアルディオラ監督は、そんなものを発掘してきたのか。
サッカー史を振り返ると、新しい戦術の多くは切羽詰まった事情から生まれている。
1950年代のハンガリー代表における「ゼロトップ」、60年代にマリオ・ザガロ監督が創出したMFと左ウイングの兼任、70年代の攻撃するリベロとしてのベッケンバウアー選手、80年代のブラジル代表の「黄金のカルテット」。
これらはいずれも、綿密な計画性は見られず、レギュラー選手の負傷欠場をきっかけとしている。
これに対しグアルディオラ監督は、毎週のように監督室にこもって、策を練るという。
その策の奇抜さに目を奪われてしまうが、対戦チームの分析と自チームの持ち駒を考え抜いた結論なのは間違いない。
グアルディオラのサッカーは、ベースにあるのは、彼が現役時代に長く在籍したFCバルセロナのスタイルである。
彼がそこでプレイしていた時に、監督として黄金時代を築いたのがヨハン・クライフで、そのサッカーの影響下にある。
だがクライフ監督は、対戦相手のビデオを見なかった人である。
クライフの場合は、自分の出身地であるオランダから持ち込んだサッカーを、(スペインの)FCバルセロナに植え付けること自体が、すでに改革だった。
クライフは、「良い選手は走らない」と力説していた。
世間の常識だと「良い選手はよく走る」だが、クライフは「ボール・コントロールとポジショニングが向上すれば、無駄がなくなり、走る必要がなくなる」と考えていた。
この考えは当時は理解されづらかったが、グアルディオラがバルセロナの監督になると、その考えでチームを作り、チームは世界最強になって正しさが証明された。
グアルディオラが監督時代のバルセロナは、走行距離は常に対戦相手よりも少ないことが、数字で示されていた。
優れた技術とポジショニングがあれば、ボールを保持して相手を走らせることができる。
そして相手が疲れた時に、温存していた体力を使って、ゴールを奪えるのだ。
グアルディオラのバルセロナは、クライフ時代のドリームチームをより完璧に仕上げたものだった。
ボール支配、ポジションの流動性、前進守備(前線からの守備、高いディフェンスライン)の3要素のサッカーを発明したのは、オランダのリヌス・ミケルス監督だった。
ミケルス監督のチームで中心選手だったヨハン・クライフは、自分が監督になるとFCバルセロナにそのサッカーを移植した。
そしてクライフ監督の下で中心選手だったグアルディオラは、そのサッカーをバルセロナの監督になってからさらに高めた。
だが元祖のミケルスは、「このサッカーは、私の以前にも存在していた」と言う。
(※ボールを自分たちが持ち続けるとか、守備を積極的にしてどんどんボールを取りに行くとか、ポジショニングを重視するというのは、サッカーをより楽しむ事につながります。
だから特別なことではなく、昔からあったのでしょう。
それを高度な戦術にしたり、チームの皆で貫徹したのが、ミケルス、クライフ、グアルディオラなのです。)
(2022年11月21日に作成)