(以下は『サッカーマガジンZONE 2014年2月号 宮本恒靖の記事』から抜粋)
ザック・ジャパンは親善試合で、強豪国と連続で良いサッカーをした。
2013年11月16日のオランダ戦は、0-2になったが、そこから2-2に追いつき引き分けた。
11月19日のベルギー戦は、3-2で勝利した。
この2試合のポイントは、ボランチの位置だった。
オランダ戦の前半は、日本の選手はマークする相手を気にしすぎて、ボールにプレッシャーをかけなかった。
(※先発したボランチは、長谷部誠と山口蛍である)
その結果オランダは、最終ラインにいるボール保持者が自由に前へボールを運べた。
それで日本は、それぞれがマークする選手に引っ張られて、チーム全体が後ろに下がってしまった。
後半になって遠藤保仁が、長谷部誠に代わってボランチに投入されると、ザック監督の指示が出たのか、前からボールを奪いに行く意識が強くなり、守備が大きく改善された。
日本は前からプレスをかけて、ボールを高い位置で奪えるようになった。
自分のマークに気を取られすぎず、状況に応じた対応をしたことで、守備が安定し、攻撃も機能するようになった。
攻撃が機能し始めると、選手たちは三角形をしっかりと作り、連動しながら順次、新しい三角形を作っていた。
だからオランダは的を絞れず、捕まえきれなくなった。
日本の2点目のすばらしいゴールは、選手たちが同じ絵を描くことが不可欠なゴールだった。
複数の選手が連動できれば、どんな強豪チームも崩せる。
その起点となったのが遠藤だった。
次のベルギー戦は、オランダ戦と同じく、ボランチの先発は長谷部と山口だった。
長谷部と山口のどちらかが前に行っても良かったが、攻撃時も2人は横に並列で、攻撃に厚みを出せなかった。
だが前半36分に、ボールを奪った山口は、サイドにいた本田圭佑へパスを出した。
それまで山口は、ボールを後ろに下げることが多かったが、この時は前に出して攻撃につなげた。
ゴールが生まれたのはその1分後で、山口は後ろにいるのではなく、前のスペースに顔を出した。
それにより相手SMFの注意が山口に行き、酒井宏樹にスペースができて、酒井のクロスを柿谷曜一朗が決めた。
後半から遠藤が入り、さらに攻撃的になった。
遠藤は相手陣の深いエリアまで入り、数的優位を作って、香川真司や本田圭佑が前を向いてプレーできる状況を作ろうとした。
オランダ戦とベルギー戦は、遠藤という高い戦術眼を持つ選手がチームに変化を起こした。
だが本来は、選手全員が自ら考えて、ピッチ上で臨機応変にプレーすべきだ。
(2024年6月10日に作成)
(以下は『ナンバー2014年6/25臨時増刊号』から抜粋)
「本番から逆算して、チームをトップフォームに持っていく」
2014年5月21日のキャンプ初日に、ザッケローニ監督はこう決意を語った。
まず追い込みから始めて、選手にトレーニングで徹底的に負荷をかけた。
「肉離れするんじゃないか」との声がチーム内から漏れるほどの荒行だった。
同時にキャンプ初日から、4-2-3-1のフォーメーションをおさらいした。
ミーティングルームでは、「35m以内に全体を収め、高いラインを保ってコンパクトに戦う」とホワイトボードに書いた。
これは、『いかなる強豪が相手であろうとも、攻撃的なスタイルで臨む』という、明確な意思表示であった。
6月2日のコスタリカ戦では、前半からボールを動かして相手を疲弊させ、後半に入ってから3点を取り勝利した。
ザックは喜び、「主導権を握って自分たちのサッカーをやるんだ、という気持ちがあったのが良かった。ボールを奪われた時にカウンターをされる可能性もある中で、それは評価できる。」と会見で言った。
6月6日のザンビア戦では、一転して不機嫌になった。
4対3で勝ったが、ザックはこう話した。
「チームのロジックに従ってプレーすれば、勝利の可能性は高まる。
逆の場合ならば、敗北の可能性が高まる。
今日の試合は、後者だった。
4ゴール奪っての勝利だが、そこに興味はない。
ロジックに則っていたかどうか、だ。
自分たちのサッカーに集中させる事を考えていきたい。」
ザンビア戦では、前線からの連動した守備が達成されなかった。
6月10日。
コートジボワール戦(W杯の初戦)まで4日と迫る中、ザック監督はその日を完全オフとした。
100%のコンディションに仕上げるためのプログラムの一環だった。
オフ明けの11日に、ようやくコートジボワールの情報が選手に伝えられ、対策が具体的に伝えられた。
キャプテンの長谷部誠は、こう述べた。
「(コートジボワールの情報を)監督がここで入れてきたのは、オフを挟んで初戦に向けてやっていくぞっていうメッセージもあると感じています。」
(2014年11月12日に作成)