(以下は『Number 2007年4月12日号』からの抜粋
2026年7月27日に作成)
※以下は、信藤健仁と杉山茂樹の対談で、サッカー日本代表・男子の戦術について語っている。
本質を突いていると思うので、要点を抜粋して書く。
この対談が行われたのは、イビチャ・オシムが監督の時期である。
杉山
オシムが監督に就任したことで、戦術を議論する雰囲気が生まれましたね。
信藤
そう。オシムのようにしっかりした理論を持っている人が監督じゃないと、世界と戦っていけない。だから良かったと思う。
杉山
日本代表を振り返ると、オフト監督の頃は、戦術を議論する雰囲気はなかった。
戦術が無くて、そのままふぁーっと試合に入る感じがあった。
信藤
もともとオフトは、1984年に日本リーグ(Jリーグの前身)のマツダが招いた監督で、日本に初めてスリーバックを持ち込んだ人です。
杉山
でもオフト監督時代の日本代表は4-3-3でしたよね?
信藤
そう。4バックは全員がストッパーで、サイドバックは前線に上がらなかった。
サイドバックは、攻撃陣をハーフラインぐらいまでサポートしたら終わりだった。
杉山
当時は、サイドバックで上がるのは左の都並だけで、右の堀池はベタ引きでしたね。
それで都並がケガをしたから、よけいに上がらなくなった。
信藤
その結果、ドーハの悲劇(W杯アジア予選での劇的な敗退)が起きました。
杉山
でもあの時は、アジアで3位だったから、(当時のルール、アジア枠では)W杯には出られなかったけど、戦力を考えれば上出来ですよ。
当時は、どの選手を試合に出すかだけで、戦術の議論なんてほとんどなかったです。
信藤
Jリーグが始まって色んな外国人が来てから、創造的なプレーが何かとか、ようやく分かり始めたんです。
杉山
でも世界では、すでに1988年や89年のACミランのサッカーをきっかけに、プレッシングの時代に入っていた。
信藤
フラットな4-4-2で、縦と横の2方向からプレスをかけるサッカーですよね。
杉山
その世界の流れを受けて、日本代表監督に就任した加茂さんは「プレッシング」を口にしたけど、ACミランは中盤が横一列なのに、加茂さんはボックス型だった。
加茂さんは中盤を攻撃的MFと守備的MFに分けたんです。
そして攻撃的MFの前園や森島や藤田の負担が重くなり、後半の半ばになるとチームが機能しなくなった。
信藤
本当は要所でプレスをかけるべきなんだけど、プレスをかけ続けようとするから、バテてしまう。
杉山
で、戦績が悪いので、加茂さんから岡田さんに交代した。
信藤
岡田監督が目指したのは、まず相手の良い所を消すことでした。
杉山
岡田さんは3-5-2のシステムを使って、最初は攻撃的に見えたけど、5バックになっていった。
信藤
攻撃陣と守備陣が完全に分かれていて、7人で引いて守って、3人で攻めるサッカーでしたね。
杉山
それで0-0ならまだいいけど、0-1で負けるから、全く収穫がない。
信藤
あの頃の日本代表は、DFの1人がペナルティ・ボックス内にいるのが当たり前になっていた。
つまりディフェンス・ラインが、ペナルティ・ボックスの中にある。
世界では、中盤で相手を止めて、それがだめならペテルティエリアの前で止める発想になっていたのに。
ボールの製造技術(ボールのスピードや正確性)が上がり、選手の戦術眼も上がっているから、引いているだけではやられるというのが、1998年W杯のクロアチア戦やアルゼンチン戦ではっきりした。
ルールの変更も大きい。勝利の勝ち点が2だった時は、引き分けの勝ち点1が重かった。
でも勝利の勝ち点が3になってからは、皆が勝利を狙うようになった。
杉山
ルール変更により、引き分けの1は負けと大差なくなりましたね。
欧州チャンピオンズリーグでも、アウェーゴールのルールができてからは、サッカーがより攻撃的になりました。
信藤
ベンチ入りが7人に増え、交代枠が3人に増えたことも、戦術の重要性を高めましたね。
杉山
加茂監督は、そういうサッカーの変化に追い付けなかった。
日本では、1998年のフランスW杯で3連敗してからは、強い相手と闘うにはどういう戦術で臨んだらいいかを、皆が考えるようになった。
フランスW杯の後に日本代表監督になったトゥルシエは、人格に問題はあったが、取材する側と戦術の議論ができました。
信藤
トゥルシエは、システムは前任の岡田と同じスリーバックだけど、ディフェンス・ラインを上げようとした。
日本のDFだと待ち構えているだけでは守れないと考えて、だったらラインを上げようと試みた。ACミランのプレッシングに似ていたと思う。
ただし、徐々に引いて守るだけになってしまった。
杉山
2001年にフランスとの親善試合で0-5で大敗し、その1ヵ月後の対スペイン戦ではフラットな5バックになってしまった。
0-5で負けて「マズイ」と思ったんでしょうけど、トゥルシエは「これで守備はオーケーだ。あとは攻撃だ」なんて言っちゃった。
それをマスコミは真に受けて、守備と攻撃を分ける野球とかアメフトみたいな捉え方で報道した。
信藤
トゥルシエは、攻撃的にいって0-3で負けるより、守備を固めて0-1で負けた方が、日本では評価されることを知った。
その時からディフェンス・ラインが下がり始めたんじゃないかな。
(※信藤氏のこの意見は、重要な指摘だと思う。
私はこの価値観が、日本のサッカーをつまらなくて弱いままにしている最大の理由だと思っている。
攻撃的なチャレンジするサッカーを応援し続けられないメンタリティが、日本サッカー界の大問題だ。)
杉山
逆に韓国は、98年W杯でオランダに0-5で負けたけど、攻撃的なサッカーを続けて2002年の日韓大会で3位まで行った。
信藤
日韓W杯は、日本もベスト16まで行ったけど、攻撃的にいったわけではないし、運が味方した結果でしたね。
杉山
対戦相手のベルギーやロシアが勝手にこけてくれた。
信藤
日韓W杯の後は、いきなりジーコ監督の就任が発表され、話題作りばかりが先行してしまった。
日韓W杯でせっかく土台ができつつあったのに。
杉山
戦術が全てスタート時点のゼロに戻った感じでしたね。
信藤
ジーコ監督は、いつまで経っても「自由」しか言わなかった。
そして気付けば1980年代のマツダと同じスリーバックに戻っていた。
杉山
トゥルシエの時はラインを高くしようとしていたのに、ジーコだとまたスリーバックが下がってしまった。
ジーコにはライン・コントロールやプレスをかける発想はなかったですね。
信藤
ジーコにとっては、スリーバックもフォーバックも関係ないんですよ。
杉山
海外組が戻ってくるとボックス型の4-4-2になるし、誰かが欠けると3-5-2になる。
しかも使い分ける基準もないし、相手の出方とかも関係ない。
そのサッカーで2006年ドイツW杯で惨敗してしまった。
ドイツW杯では、初戦のオーストラリア戦の前にジーコはスタメンを発表しちゃった。
相手はヒディング監督で引き出しが多いから、対応するのなんて簡単ですよ。
信藤
ジーコの後任のオシム監督は、あまりフォーメーションにこだわらない。
相手がこうきたらこう、と対応する姿勢がある。
杉山
そういう人だから、常にDFを1枚余らせて数的優位をつくる、という発想も好きじゃない。
守れても攻撃に人数をかけられず点が取れなければ意味はないと考える。
オシムが強調するはサイドで、一流チームはサイドバックが強いから、これを止めないとダメだと。
信藤
巻を使う理由も同じで、点を取れるFWは他にもっと良いのがいるけど、FWが守備すると後ろの守備が楽になる。
で、守備ラインがコンパクトになると、攻撃も速くなる。
杉山
オシムになってから、選手たちは練習で四苦八苦している。
ジーコの時は「足元、足元」だったけど、今は常に走りながら考えなきゃならない。
日本にとっては良い監督だと思います。