2010年W杯(南アフリカ大会)の日本代表

(『サッカー・マガジン2017年11月号』から抜粋)

2010年のサッカーW杯(南アフリカ大会)に向けて、日本代表・男子の監督は、イビチャ・オシムが就任した。

(※オシムはJリーグでも監督として好成績を上げ、日本で名将と言われていた)

しかしオシムは、W杯のアジア2次予選までは率いたが、病いで倒れてしまった。

そこで、過去に1度代表監督をしていた岡田武史が、緊急の登板となった。

岡田監督は、2008年2月からのアジア3次予選を指揮したが、2戦目のバーレーン戦で、0-1のまさかの敗戦をした。

これを岡田は「最大の屈辱」と語り、これを機に「自分のやり方でチーム作りを進める」と決断した。

そしてオシム色は徐々に消え、岡田色が濃くなっていった。

岡田は、前任のオシムが抜擢した今野泰幸や阿部勇樹はチームに残したが、「水を運ぶ人」とオシムが絶賛していた鈴木啓太を外し、山岸智や羽生直剛も外した。
(※山岸と羽生は、オシムが監督をしていたジェフ市原の選手だった。教え子を起用した形だった。)

代わって出場機会を得たのは、長谷部誠や長友佑都だった。

さらにアジア最終予選に入ると、それまで未招集だった本田圭佑や岡崎慎司を起用した。

岡田は、「接近、展開、連続」というコンセプトを掲げて、最終予選を勝ち抜けた。

ところがW杯イヤーの2010年に入ると、テスト・マッチの内容が振るわず、4月のセルビア戦、5月の韓国戦に敗れて、批判が高まった。

一時は、ファンが退任を求める運動まで起きた。

岡田監督はW杯本大会に臨むにあたり、メンバー選考で「自発的な一体感を生むかどうか」を求めた。

そして長くリハビリ中だった34歳の川口能活を、サプライズ招集した。

川口は第3GKだったが、チームを支えて、指揮官の求める自発的な一体感を生み出した。

(※キャプテン・マークをつけていた長谷部の回想によると、W杯での実質的なキャプテンは川口だった)

岡田はさらに、アジア予選で未招集だった岩政大樹も、空中戦の強さを買って選んだ。

相手がパワー・プレイを仕掛けてきた時の対策だった。

FWで長身の矢野貴章をサプライズ招集したのも、同じ理由だった。

岡田ジャパンは守備重視の戦い方をして、ベスト16の成績となった。

(2023年4月14日に作成)


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