(以下は『サッカーマガジンZONE 2014年2月号』から抜粋)
○日本の育成環境の問題点
日本のサッカー選手は、12歳までは非常にレベルが高い。
しかし15~18歳になると伸び悩む。
スペインの選手育成システムに詳しい佐伯夕利子は、こう話す。
「スペインでは、学校とは別に、クラブとアカデミーがあり、どの選手も実戦で成長していけます。
しかし日本は、学校が中心で、1つの学校に100名も選手が集まり、プレーできない状況が発生しています。
中学と高校はそれぞれ3年間もあり、そこで試合に出ないと選手の成長は行き詰まります。
全員がどこかでプレーできる(試合に出られる)環境が必要です。
さらにスペインでは、礼儀さえわきまえれば、選手が指導者と対等に意見し議論できます。
ここも日本より優れた点です。」
1993年にJリーグが誕生すると、サッカークラブやサッカースクールが乱立するようになった。
今ではJリーグのクラブにとって、子供に教える「スクール事業」は、おいしい黒字事業となり、元プロ選手の就職先にもなっている。
近年は、バルセロナやアーセナルといった名門クラブも、日本でスクール事業を展開している。
スクールに子供を通わせる母親たちは、Jクラブのユースに入る「お受験」に熱心である。
有力なJクラブにわが子を入れることは、自慢の種にもなる。
だがJクラブのユースに入ることが、必ずしも才能のある事の証ではない。
実のところユースに合格する子供は、4月生まれが多数派で、1~3月生まれは非常に少ない。
Jクラブでは、トップチームでも、4~6月生まれが全体の6割を占めることがある。
これは子供の単純な成長だけを見ているからで、育成年代の選手を見極めるのは、それほど困難なのである。
サッカーの「お受験」に落ちたことで親が失望し、それを見た子供が絶望してしまう例も多い。
「お受験」に価値を見いだすのは、結局は子供のためにならない。
「お金のないクラブは育成に投資しろ」と言う識者は多いが、大抵の親は月謝を払ってスクールに子供を通わせているから、別のクラブとプロ契約するのもいとわない。
それをクラブ側が止める正当性もない。
○ベルギーの育成方針
近年、ベルギーは次々と優秀な若手選手を生んでいる。
ベルギーの育成では、ゴールを増やして楽しいサッカーにするため、少人数の試合を多くしている。
5~7歳は2対2、9歳までは5対5、11歳までは8対8で、12歳から11対11になる。
守備の指導では、ゾーン・ディフェンスを推奨している。
マンツーマンで守ると、1対1には強くなるが、マークする相手ばかりを見てしまい、視野が狭くなったり、考えることが少なくなるからだ。
ゾーン・ディフェンスで要求される、判断力とコミュニケーション能力を重視したのだ。
○バルセロナの育成の一例
FCバルセロナで主将をしているカルレス・プジョルは、センターバックの選手である。
彼は、サッカー・サービス(バルセロナの指導者集団)の助言を受けて、プレーを向上させた1人だ。
プジョルは、1対1の守備は世界レベルだったが、ボールのない所の守備、つまりスペースを消す守備に未熟さがあった。
例えば相手選手がタッチライン際から攻めてきた時、サイドバックがケアすべき場面でも、責任感の強いプジョルはボールを奪いに行こうとしていた。
その結果、ゴール前にスペースを空けてしまうことがあった。
サッカー・サービスは、「ボールを持つ選手がクロスを上げる可能性が高い時は、ゴール前に戻る方が重要だ」と助言した。
また、相手選手がプジョルの背後のスペースに走る際も、むやみに付いていって最終ラインを下げるのではなく、MFのラインとの距離感を意識して、バイタル・エリアにスペースを作らないよう助言した。
その結果、プジョルは最終ラインを乱すことが少なくなり、安定感が向上した。
(以下は『サッカーマガジンZONE 2016年8月号』から抜粋)
○玉乃淳のアトレチコ・マドリー時代の回想
1984年生まれの玉乃淳は、子供の頃、サッカーの天才少年と見られていた。
玉乃は言う。
「僕は足が速く、ボールを奪われない技術があり、点も取れた。
DFをやっても止めまくっていた。
それで読売ヴェルディ・ジュニアの入団試験に参加して、合格者2名に入りました。」
玉乃は、ヴェルディのジュニアユースでも活躍した。
「僕だけ練習メニューが違い、他の人が基礎のパス練習をしている時も、『玉乃はこれでいいんだ』と言われてました。
学校の先生も、休み時間にリフティングをしていると、授業が始まっても『ボールを落とすまで帰って来なくていいよ』と言ってくれた。
周りからは、プロ選手になると見られてました。」
ヴェルディのユースチームは、U-15の世界大会であるナイキ・プレミアカップに出場し、5位となった。
5位決定戦ではレアルマドリードと対戦し、カンプノウで勝利した。
ちなみにこの大会でMVPになったのは、バルセロナのMFアンドレス・イニエスタだった。
玉乃はナイキ・プレミアカップで活躍した事により、複数の海外クラブからオファーがあった。
そしてスペインのアトレチコ・マドリードに入団した。
玉乃は、アレトレチコ時代を、こう話す。
「フェルナンド・トーレスが同じユースにいたけど、最高の人間性の持ち主でした。
彼は家族と一緒になって、東洋人の僕に優しくしてくれた。
でもトーレスたちは自宅から通う選手で、僕はアフリカや南米から来た人と寮生活です。
寮生活は地獄でした。
アフリカや南米から来た選手からは、からかわれるし、人種差別を受けました。
特にアルゼンチンの選手は、ピッチでは骨を折ろうとしてくるし、僕は携帯やTシャツを盗まれました。
僕から盗んだTシャツを平気で着てましたよ。
振り返ってみて、よく自殺しなかったなと思います。
ピッチ上では、U-16までは皆が敏捷性がなくて、僕は簡単に抜けました。
でもその上の年代までくると、皆が敏捷性を付けてきて、急に抜けなくなり、体を入れられて弾き飛ばされるようになりました。
僕は筋トレをしても、彼らと同じメニューは無理でした。
僕が動けなくなるほどのメニューでも、彼らはやり切った上に、寮のジムでも筋トレできるし、深夜にフットサル大会をやる余裕まであった。
アトレチコのコーチやトレーナーは、『こんなのが持ち上げられないの?』、『何でこいつの体は大きくならないんだ?』という感じでした。
僕は特別メニューを組んでもらって試行錯誤したけど、成果はありませんでした。
自分では最大の努力はしてました。
なぜなら、1回でもレギュラーから外されたら、帰国になるからです。
毎月1人くらい帰国してましたよ。」
結局、玉乃は18歳の夏に帰国させられた。
帰国すると読売ヴェルディの選手として、Jリーグにデビューした。
だが、すぐに足をつる癖が治らず、2009年に引退した。
玉乃は次のように話をまとめた。
「アトレチコ時代は、思い出すだけでゾとする。2度と行きたくない。
でもスペインに行ったからこそ、その後にJリーグで8年間プレーできたと思います。」
○日本の少年サッカーの問題点
私がフェイスブックにある投稿をしたところ、コメントやシェアで多くの反響があった。
日本の小学生のサッカーチームで起きている問題を取り上げたのだが、不満を持っている人が多いのが反響から分かった。
投稿したのは、次の内容だった。
「神奈川県横浜市A区のサッカーチームにいる小学生の親からの相談です。
他チームに移籍しようとしたら、『A区は移籍できない』と言われたと。
A区以外でも、『移籍したら半年間、公式戦に出場停止』といったルールがあります。
プロでもないのに、おかしくないですか? 」
日本サッカーの選手育成の諸問題の根源は、リーグ戦の文化が確立されてないことに尽きると、私は思っている。
日本では、小学生から高校まで、大会のほとんどがトーナメント方式だ。
欧州では、リーグ戦が主体になっている。
その理由は、全ての選手が平等に週末のリーグ戦に出られるからだ。
サッカー選手は、試合に出てこそ成長していける。
だがトーナメントだと、1回戦で負けたら終わりで、弱いチームだと真剣勝負の試合が少なくなる。
リーグ戦ならば、直剣勝負の試合が一定数、確保される。
日本の強豪校だと、選手が100人を超える所もあり、全く公式戦に出られない選手が出てくる。
試合に出られない選手たちは、経験を積めず成長できない。
リーグ戦ならば、ホーム&アウェイで対戦するので、1度目の対戦で出た課題を、次の試合で修正できる。
トーナメントだと1回限りの対戦なので、選手に課題を修正しろと言っても、現実味を帯びない。
欧州では、リーグ戦で育つから、選手の戦術経験に日本と大きな差が出ている。
リーグ戦にして、1部、2部、3部に分ければ、実力のある選手は1部でプレーしたくなる。
クラブを自由に移籍できるシステムにして、自分に合ったレベルのリーグ、チームで、毎週末に公式戦でプレーできる体制にすべきだ。
現状だと、プロになりたい子とサッカーを楽しみたい子が同じチームにいて、お互いに不満があったりする。
トーナメントは、全て廃止でいい。
トーナメントだと、1試合の重みが大きすぎて、試合に勝つために極端な戦い方をすることが多い。
リーグ戦の方が、選手も指導者もトライ&エラーをくり返して成長できる。
リーグ戦にすると、試合数が増えるので、グラウンドが足りなくなる問題が生じる。
グラウンドの数を増やすことも必要だ。
○アルゼンチンの育成
アルゼンチンは、優れたストライカー(点取り屋)が次々と出てくる国だ。
バティストゥータ、クレスポ、ディエゴ・ミリート、テベス、メッシ、イグアイン、アグエロ、イカルディ、ディバラは代表例だ。
なぜこれほどFWの宝庫かと考えてみると、まず思い浮かぶのは、少年たちがFWをやりたがることだ。
各クラブの入団テストにやってくる少年の7割がFWだという。
もう1つ思い浮かぶのは、個を重視する国民気質だ。
アルゼンチン人は一般的に、自分が一番になりたいという思いが強い。
ストライカーに必要なエゴイズムを、アルゼンチン人は持っている。
さらに、過去に優秀なストライカーを生み出してきた歴史も、大きく影響している。
サッカー解説者の都並敏史は、こう話す。
「アルゼンチンのストライカーは、GKと1対1のシーンで得点する技術を持っている。
それも1つのパターンだけではなく、各選手がたくさんの引き出しを持っている。
彼らは、すばらしいゴールを日常的に見て学んでいる。
その歴史が技術に反映されている。」
あのディエゴ・マラドーナも、子供の頃は名ストライカーたちのシュートを頭の中に描いて真似したと語っている。
逆にアルゼンチンでは、センターバックとサイドバックの人材が不足しがちで、近年は才能の発掘に力が入れられている。
○なでしこジャパンの高倉麻子・監督の話
2016年4月27日に、日本のA代表監督に初めて女性が起用された。
なでしこジャパンの高倉麻子・監督である。
高倉は、これまではユース代表の監督をしており、2014年のU-17W杯で日本を初優勝させ、2015年のU-19・AFCでも優勝していた。
質問者
2014年のU-17W杯では、登録メンバー23人が全員ピッチに立ち、複数のポジションをこなしましたね。
高倉
選手たちには、「他人を認めよう」と言い続けました。
チームメイトのプレーの癖を観察し、それを認める力を養ってほしいと。
逆に自分からも得意なプレーや個性を表現する。
そうやって理解を深め、認め合うことが、ピッチ内のコンビネーションにつながると思っています。
今の子供たちは、自己主張をあまりしません。
でもやり方が分からないだけだと思うんです。
だから、「お互いに要求しよう!」、「頭にきたら怒れ!」と言い続けました。
そうしたら、だんだん思ったことを口に出すようになりました。
皆が個人では強い思いを持っている。それを引き出してあげたい。
質問者
高倉さんは、「賢くやること」と、「フィジカルの壁を越えること」を説いていますね。
高倉
日本選手は、駆け引きや、状況を見てのプレー選択が、まだまだ足りないと感じてます。
相手にしろ味方にしろ、何をしたいと思っているかを考えること。
そうやって予測を立てておくことが重要です。
そうすればプレーのスピードが上がります。
質問者
「フィジカルの壁を越えること」とは?
高倉
海外の選手は体が大きいので、日本選手が同じタイミングで走ったりぶつかれば、勝つのは難しい。
だから先を読み、駆け引きをする。
ボールを動かして、ぶつかって来るのをかわす。パスでかわす。
でもぶつかる場面はあるし、フィジカルも鍛えないといけない。
どちらに比重を置くかと言ったら、先を読む力です。
質問者
A代表監督に就任した時の会見では、「思考を停止しないサッカー」を掲げましたね。
高倉
何がピッチで起きていて、何を選択するのか。
どうやって先手をとるか、タイミングをずらすか。
そういった事をずっと判断し続けるサッカーを目指しています。
私は、子供たちがサッカーを始めた時点から、考えさせるように指導したほうがいいと思ってます。
選手たちに自分で考えさせることです。
○本田圭佑とSVホルン
オーストリアの3部リーグのチーム「SVホルン」。
このチームの経営に、本田圭佑の会社が参画し、本田が実質的なオーナーになった。
2015年6月のことである。
本田は、5年でチャンピオンズリーグの出場権を得る、という計画を公言している。
SVホルンは、2016年4月にクレア監督を解任し、日本人の濱吉正則を後任にした。
濱吉は、元名古屋グランパスのコーチで、静岡でサッカースクールを開いていた人だ。
このクラブは現在、GKの権田修一など、日本人選手を6人抱えている。
3部リーグで優勝し、来期は2部でプレーすることが決まった。
FC今治のオーナーをしている岡田武史(元日本代表監督)は、本田をこう評している。
「サッカー選手に必要なのは、技術、情熱、ものの見方・捉え方だ。
本田は、技術や平均よりやや下で、情熱はそこそこ。
だが、ものの見方・捉え方は天才だ。」
(2024年6月10~14日に作成)