戦術リストランテから学ぶ①
ユベントス、ミラン

(以下は『フットボリスタ 戦術リストランテ第43回』から抜粋)

○2008-09シーズンのユベントス

イタリアのクラブチーム「ユベントス」は、2006年のスキャンダル(八百長の発覚)で、セリエB(2部リーグ)に降格した。

ユベントスは昨季にセリエAに戻り、今季(2008ー09シーズン)はCLにも復帰した。

現在の監督はクラウディオ・ラニエーリで、4-4-2の布陣で戦っている。

ユベントスは今、イブラヒモビッチやカンナバーロといった選手が移籍した後で、2軍のチームと言える。(それでもネドベドやブッフォン、デル・ピエーロは残っている)

セリエBに降格していたのだから仕方ない。

イタリアのチームは伝統的に、「まず守備ありき」で考える。

先制点を取ったら、守備重視になり、SBは上からなくなり、SMFも前に出る回数を減らす。

ユベントスもそうで、「攻撃は2トップでやってくれ」と割り切る。

ユベントスの2トップはデル・ピエーロとアマウリだが、この2人だけでフィニッシュまで持っていく。

普通はトップの選手にボールが入ったら、一度中盤に落とす。

しかしユーベは、誰も後ろから上がって来ないので、FWがそのまま行くしかない。

デル・ピエーロは、ボールを持ってからフィニッシュに行くまでの動作が理詰めで、DFは分かっていてもなかなか止められない。

彼は「デルピエーロ・ゾーン」と言われる、左サイドのペナルティエリアやや外の位置で、ボールを受けたがる。

そこから右足のインフロントでファーポストに巻いていくシュートを打つか、縦に突破して左足で強烈なシュートを打つ。

2つの選択肢があるので、DFは対応策を絞れない。

日本代表の玉田圭司は、縦に突破してニアに打つショートは世界レベルだが、ファーサイドに打つシュートの質が低い。

デル・ピエーロは縦に突破してから、ニアにもファーにも打てる。

さらに玉田は、縦に突破するパターンしかなく、読まれると辛い。

デル・ピエーロは前述のとおり、ファーポストに巻くシュートも持っている。

今季のユーベは、CLの第3節でRマドリードと対戦し、Rマドリードのホームだったが2-1で勝った。

この試合、Rマドリードはものすごく攻撃的で、FWにファン・ニステルローイ、ラウール、イグアインを起用した。

この3人は、全員がペナルティエリアの中でプレーするタイプだ。
だからサイドのスペースが空き、そこにSBが上がる戦術だった。

これに対しユーベはSMFの戻りが早くて、Rマドリードはサイド攻撃が形にならなかった。

ただしロッベン(ウイングの名選手)を投入してからは仕掛けが早くなり、ロッベンにマークが集中してスナイダーが空き、ロッベン→スナイダーの形で立て続けにミドルシュートを打たれた。

Rマドリードは、左SBにエインセを起用したのが失敗だった。

攻撃力のマルセロを使うべきで、シュスター監督の采配ミスだった。

あとは使えるならロッベンはスタートから使いたかった。(※Rマドリード時代のロッベンは怪我がちだった)

○ミシェル・プラティニ(フランスの名選手)の特徴

プラティニは、自身が「9.5番の選手」と言っているように、プレイメイカーとストライカーの両方の資質を持っていた。

そして中盤にいる時とゴール前にいる時では、人が変わったようにプレイした。

中盤にいる時は、遠藤保仁みたいにのらりくらりとパスを散らす。
少ないタッチで効果的にパスをさばく。

中盤でのプラティニは、接触プレーは皆無で、体に触られるのも嫌という感じだった。

ところがゴール前だと、強引なプレーをガンガンする。

プラティニはユベントスで活躍した選手だが、トラパットーニ監督はアウェイではプラティニをFWで、ホームではMFで起用していた。

さらに試合中にも、よく役割を変えていた。

同点かリードしている時は、プラティニは中盤でパスワークの中心になり、ゲームを落ち着かせる。

リードされていたり、点が欲しい時は、前線でガンガンやる。

状況に応じて戦い方を変えるのがユーベの特徴で、「常勝チーム」になる勝負強さにつながっている。

プラティニの持つ2二面性は、ユーベのスタイルと合っていた。

さらにプラティニは、イタリア人の血も引いている人だ。

(以下は『フットボリスタ2010年9月29日号 戦術リストランテ第78回』から抜粋
2011年10月2日にノートにとり勉強)

○アレグリ監督のACミラン

昨季のACミランは、FWロナウジーニョとパトの代役がおらず、パトが負傷離脱したシーズン後半に一気に失速した。

今季はFWにイブラヒモビッチとロビーニョが加入し、タイトルも夢でなくなった。

不安材料は司令塔となるピルロの代わりがいないこと。

アレグリ監督はSBを攻撃に参加させるので、このポジションのアントニーニとアバーテの成長も重要となる。

アレグリは、前任者レオナルドの攻撃型を引き継ぎ、昨季の4-2-1-3から「4-1-2-3」に少し変えた。

センターサークルをピルロに任せた点が大きな違いで、彼を中継してきちんとビルドアップして攻めるということである。

レオナルド監督の時は、4バック+2ボランチで守備を固める、攻守分業型だった。

だがアレグリ監督は、2人のCBとピルロ以外は前に攻めていく。

ピルロの前にいる2人のMFは、攻守両面を担う。

ピルロは、前の2人のMFではなく前線ヘロングパスを出し、2人のMFはそのこぼれ球を狙う。

だから攻撃時は完全に前がかりになる。

ピルロがマークされた時は、ピルロはセンターサークルから出てスペースを空け、そこに他のMF2人のうち1人が入る。

コンセプトはライカールト時代のバルセロナに似ていて、ロナウジーニョがいるからだろう。

イブラヒモビッチは多彩なFWで、4パターンの働きができる。

①CFでフィニッシュ役 ②CFでおとり役
③セカンドトップでフィニッシュ役 ④セカンドトップでおとり役

パトは、イブラがおとり役となって空けたスペースに走りこむのが有効だ。
ロビーニョは、イブラをポスト役に使ったり、ドリブルで引きつけてイブラにパスを出すのが有効だ。

イブラは、クロスボールをもらう時はファー・サイドにいる。
そしてハイ・ボールならばヘディングを狙う。

特筆すべきはグラウンダーのボールの時で、普通は大外にひらいてボールを待つが、イブラはパワーとリーチによりCBの前に出てボールに触ることができる。

ファー・サイドでヘディングとCBの前を両方狙えるのは、彼の特殊能力である。

現在のミランは、レベルの高い選手は特徴がはっきりしているので、お互いのやりたいプレーのすり合わせが重要となる。

イブラにはすでにパスが集まっており、名門ミランでこんなに偉そうな新加入選手は記憶にない。

ここからはMFの司令塔について解説する。

レシャックは横浜フリューゲルスの監督をしていた時、MFの山口素弘に「センターサークルから出るな」と指示していた。

レシャックは、バルセロナでクライフ監督のアシスタント・コーチだったことがある。
当時のバルサでは、司令塔はグアルディオラが務めていた。

彼らは、山口やグアルディオラのポジションを「4番」と呼んだ。

1980年代に入ると、FWは2トップが主流となり、守備は4バックではなく3バックで対処するようになった。
そこでCBの1人が中盤にポジションを上げて、司令塔になった。

アヤックスやバルセロナはこれを行い、「3-4-3」のシステムをとった。

このためオフト監督は、グアルディオラを「センターバック」と呼んでいた。
「4番」は、上がったCBとして捉えられる。

他方で、CBの1人が攻撃時に前に行き、ビルドアップの中心となるスタイルがある。

これは西ドイツのベッケンバウアーが創始したもので、リベロと呼ばれた。

(2024年6月15日、10月3日に作成)


『サッカー』 目次に戻る

『サイトのトップページ』に行く