サッカー選手育成の話②

(以下は『週刊サッカーマガジン 2008年1月22日号』から抜粋)

○北澤豪の話

僕は高校時代、異端児でした。

当時は、高校選手権はサッカーファンにとって頂点の大会で、日本リーグよりも注目されてました。
(※まだJリーグが無い時代の話である)

僕はその事を「どうなのかな」と疑問に思ってました。

僕は中学時代、読売クラブのジュニアユースに所属してましたが、父の転勤で読売でのプレーをあきらめて、修徳高校のサッカー部に入ったのです。

でも読売で良しとされた足技や横パスの遊びが、部活動では否定されました。

横につなぐと「縦に急げ」と怒られ、浮き球でパスをすれば「転がせ」と怒られるのが不満でした。

僕は「読売は日本一のチームで、そこのユースにいた」というプライドがありました。
(※読売クラブは、社会人のクラブの中でも強いチームだった)

だから高校サッカー部の人達と仲良くなれませんでした。

サッカー部の皆が、寄せ書きに「打倒帝京」と書いても、「最後の目標が帝京高校を倒すことなのか?」と思ってました。

僕は高2の途中までは、サッカー部に友達がいませんでした。

でも同じ時間を共有するなかで、ようやく「皆が高校選手権を目指すなら、僕もそこに乗っかる」と思えました。

僕にとっての最終目標は、高校選手権ではありませんでした。
志を高く持つのであれば、高校選手権は最後の舞台にはなりません。

(以下は『フットボリスタ 2007年7月4日号』から抜粋)

『U-20ワールドカップ』を制するチームは、テクニシャン揃いという共通点がある。

1979年大会で優勝したアルゼンチンにはマラドーナとディアスがいた。

87年大会で優勝したユーゴスラビアには、ボバン、プロシネツキ、ミヤトビッチがいた。

89、91年大会で連覇したポルトガルは、フィーゴ、ルイコスタらがいた。

97年大会で優勝したアルゼンチンは、カンビアッソとアイマールがいた。

2005年大会で優勝したアルゼンチンにはメッシがいた。
メッシは得点王とMVPをとった。

1999年大会で決勝に進出した日本(準優勝だった)にも、小野、稲本、高原らの黄金世代がいた。

まだ経験の少ない選手たちだから、攻守のバランスを求めても無駄で、単純にうまい選手を並べたほうが結果が出やすいのである。

1999年に準優勝した日本は、フラット3のDFに、遠藤保の1ボランチという、極端な前傾姿勢のフォーメーションだった。

この大会はナイジェリアで開催されたが、ホテルが少なくて、記者団と日本代表チームが同宿するのがしょっちゅうだった。
トルシエ監督はいつになく饒舌で、記者団を集めての食事会も行われた。

今回の2007年大会は、メキシコは、2年前のU-17世界選手権で優勝した時に中心メンバーだった、ドスサントスとベラが健在だ。

ブラジルには、パト、ルーカス、マルセロがいる。
MFのルーカスは、リバプール入団が決まっており、「ファルカン2世」と呼ばれている。

アルゼンチンには、サラテ、エスクデロ、アグエロがいる。
バネガ、インスアもいる。GKはロメロだ。

アルゼンチンは、メッシも出場資格を満たすが、同時期に行われるコパ・アメリカに出場するので招集されなかった。
またイグアインは「疲れているから」と言って辞退した。

余談だがアメリカ代表のフレディ・アドゥ(18歳)は、今回が3回目の出場となる。(アドゥは14歳の時から出場している)

U-20ワールドカップ2007の日本代表は、柏木陽介と梅崎司が攻撃の中心で、SBの内田篤人と安田理大の攻め上がりがキーポイントになる。
キャプテンはCBの福元洋平だ。

監督の吉田靖は、「人とボールとが動くサッカー」を提唱している。

チリ代表のアレクシス・サンチェスとアルトゥーロ・ビダルは、すでにA代表入りしている。

A代表を率いるアコスタ監督は、コパ・アメリカにこの2人を連れて行こうとした。
しかしU-20監督のスタンライもこの2人を欲した。
そこで両監督が交渉したが、平行線をたどった。

最終的に選手本人の意思を尊重することになり、サンチェスとビダルはU-20W杯に出場することを選んだ。

U-20チリ代表は、他にもビダンゴッシー、ニコラス・メディーナというスペインリーグ移籍を決めた選手がいる。

ビダルはすでにドイツのレバークーゼンへの移籍が決まっている。

カルロス・ベラはメキシコ人で、2005年のU-17世界選手権で5得点し、得点王となって優勝に貢献した。

この大会では、同じくメキシコ代表のドスサントスがアシスト王となった。
メキシコ代表は、16得点3失点と圧倒的な数字で優勝した。

ベラは、同年11月に200万ポンド(4.5億円)の移籍金で、イングランドのアーセナルに入団した。

だがイングランド・リーグには、「EU圏外の選手の登録は、その選手が過去2年のA代表公式戦で75%以上に出場していること」という条件がある。

ベラはこの条件を満たさないので、06年2月にスペインリーグのセルタにレンタルで出された。
しかしセルタはEU圏外の選手枠が一杯だったので、ベラはベンチ入りできず、シーズン終了まで試合に出られなかった。

2006-07シーズンは、ベラはレンタル移籍の形でスペインリーグ2部のUDサラマンカでプレーした。このシーズンはベラは8得点した。

現状ベラは、まだアーセナルに所属している。

(2024年6月26日、11月22日に作成)


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