FWの話

(以下は『週刊サッカーマガジン 2007年10月30日号』から抜粋)

○マルコ・ファンバステン(オランダ代表やACミランで活躍した選手)

マルコ・ファンバステンは、オランダのアヤックス時代に171試合で151得点して、オランダリーグの得点王に4回なった。

その実績が認められて、イタリアのACミランに加入したのは1987年で、彼は22歳だった。

ACミランは、1950年代にスウェーデン人のグレン、ノルダール、リードホルムの3人が活躍して、黄金時代をつくった。

だが1980年代には2部リーグ落ちも経験し、経営が行きづまった。
その時に会長になったのがベルルスコーニで、ミランは再興に向かった。

ベルルスコーニ会長は、プロ選手としても監督としても実績のないアリゴ・サッキを監督にすえた。

そして1950年代のスウェーデン・トリオにならって、オランダからファンバステン、フリット、ライカールトの3人の選手をむかえた。

サッキ監督は、オランダで生まれたトータル・フットボールの考えを取り入れて、ディフェンス・ラインの押し上げによる中盤のコンパクト化と、高い位置でのボール奪取で、攻撃的なサッカーを始めた。

フランコ・バレージという最高のリベロがディフェンス・ラインをまとめて、ラインを上下させて駆け引きし、巧みにオフサイド・トラップを取った。

ACミランのオランダ・トリオが現われるまでは、サッカー選手は身のこなしの早さが重視されて、長身の選手は少なかった。

オランダ・トリオは、3人共に長身で、技術、走力、身のこなしも良い点で画期的だった。

ただし長身の選手は、足のケガをすると、その大きさゆえに足に負担がかかるので、回復が遅いという弱点がある。

ファンバステンも、ミランに移った1887-88シーズンは、足首のケガで16試合しか出場できなかった。

(※ファンバステンは足のケガで若くして引退に追い込まれている)

(2024年6月26日に作成)


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