(以下は『フットボリスタ 2011年6月29日,7月6日合併号』から抜粋)
2010-11年シーズンをもって、ポール・スコールズ(36歳)が引退した。
マンチェスターUでのキャリアは18年間に及んだ。
ジダンは、「私たちの世代でスコールズは最高のMF」と評した。
シャビも、「最高のMFの1人で、スペイン人ならばもっと評価されたはず」と語った。
スコールズは、プロサッカー選手協会が選ぶ年間ベストイレブンに、3回選出されている。
だがイングランド代表では不遇で、ジェラードとランパードに押し出される形で、中央ではなくサイドでプレーさせられた。
それもあったのか、ユーロ2004の終了後に、29歳で代表を引退した。
スコールズは、バスの正確さやミドルシュートが印象的だが、守備のタックルの激しさも代名詞だった。
中には悪質なタックルもあった。
チャンピオンズリーグでは、史上最多の32枚のカードをもらっている。
エドウィン・ファン・デル・サール(40歳)も引退した。
ファンデルサールは、1990-91シーズンにアヤックスでプロデビューした。
1999-2000シーズンからはユベントスでプレーしたが、01年夏にユベントスがブッフォンを55億円出して獲得すると、すぐさまフルアムに移籍した。
2005-06シーズンから引退するまでは、マンチェスターUに所属した。
そして2008-09シーズンには、それまでチェフが保持していたイングランドリーグの無失点記録を更新(1311分)した。
オランダ代表でも活躍し、史上最多の130試合に出場したが、W杯出場は2度にとどまった。
(オランダはW杯の本大会出場を逃すことがあった)
ヨン・ダール・トマソン (34歳)も引退した。
引退会見で彼が最高の思い出に挙げたのは、2001-02年シーズンのUEFAカップ優勝と、ACミランでのCL優勝(2002-03)だった。
UEFAカップの決勝では、小野伸二のパスを受けてゴールを決めている。
2002年には日韓W杯にデンマーク代表で出場し、4ゴールをあげて、チームをベスト16に導いている。
トマソンは、2010年W杯にも出場したが、日本戦でPKをけった時に右足をケガした。
それでもGK川島が弾いたボールを押し込んでゴールを決め、試合終了までプレーした。
だがその影響で、2010-11シーズンはプレーできず、そのまま引退となった。
クロード・マケレレ(38歳)も引退した。
マケレレはワールドクラスの守備的MFで、レアルマドリード、チェルシー、パリSGで活躍した。
フランス代表でも活躍したが、1998W杯とユーロ2000ではメンバー落ちしている。
当時の守備的MFにはデシャンらがおり、マケレレの居場所はなかった。
しかし2000-01シーズンにレアルマドリードに加入して、ジダンらとプレーすると、フランス代表にも定着して、ユーロ2008までプレーした。
イバン・デラペーニャ(35歳)も引退した。
デラペーニャは非凡なパスセンスを持つが、最高のパスの受け手を得た2つの時期に輝いた。
1つ目は1996-97シーズンで、バルセロナで19歳のロナウドと組んだ時だった。
ロナウドは得点王(34ゴール)になったし、バルセロナはコパ・デルレイとカップウィナーズカップをとった。
2つ目は、エスパニョールでタムードと組んだ時期だ。
2004-05シーズンにチームはリーグ5位になり、デラペーニャは28歳で初めてスペイン代表にデビューした。
2005-06にはコバ・デルレイ、06-07はUEFAカップを獲得している。
最後の2シーズンは、ケガのため合計7試合しか出場できなかった。
サミ・ヒーピア(37歳)も引退した。
ヒーピアはフィンランド人のCBだが、1999年から2009年までリバプールで活躍した。
00-01にはイングランドの3冠(リーグ優勝など)を、04-05にはCL優勝を達成した。
クリスティアン・パヌッチ(38歳)も引退した。(※パヌッチは2010年に引退した)
パヌッチは、ミラン、レアルマドリード、ローマなどでプレーしたDFである。
1993年にカペッロ監督のミランに移籍し、1年目にCLと国内リーグの2冠を達成した。
パヌッチは1996年にレアルマドリードに移籍し、カペッロ監督の下でリーグ優勝して、翌年にはCLで優勝した。
イタリア代表では、はっきり言う性格が嫌われたことで、あまり活躍できなかった。
ユーロ1996は、サッキ監督と対立して落選。
1998年W杯も、チェーザレ・マルディーニ監督と対立して落選だった。
イタリア代表が優勝した2006年W杯も、リッピ監督と対立して落選。
ユーロ2008には出場した。
パヌッチはインタビューで次のように語った。
「僕の長所は、ポジショニングの良さと、フリーゾーンでうまく動けることだった。
それは攻撃でも生きて、50得点くらい決めた。DFとしては得点が多い。
(※クラブでは58得点、代表では4得点している)
ミランでCL優勝したけど、バルセロナとの決勝戦では、カペッロ監督は僕を左SBで使った。
僕は世界的なスターだったストイチコフとマッチアップして、止めたんだよ。
ローマですごした8年も思い出深い。
2つのコッパ・イタリアとイタリア・スーパーカップしか取れなかったけど、ローマの街がくれた震えるほどの感動は、記憶から消し去れない。
対戦したFWで一番すごかったのはロナウドだ。
まさに怪物で、スピードに乗った時はもちろん、止まった状態でも抑えられなかった。
捕まえたと思っても、はね返されてしまうんだ。
イタリア代表では、僕ははっきりと思ってることを口に出すので、監督とうまく行かず、57試合しか出場できなかったし、W杯も1度しか出られなかった。
でも後悔はしていない。大事なのは自分に正直なことだ。
僕が1993年にACミランに加入して数ヶ月たった時、カペッロ監督から君は戦術的な柔軟性がないと言われた。
僕は口答えしたよ。ところがこれによってお互いにはっきり口にするタイプだと分かった。
それから僕らに強い結びつきが生まれた。
僕らは性格が似ていて、怒って感情的になるけど、水に流せるんだ。
カペッロは僕を息子のように扱ってくれて、戦術を多く教えてくれた。
彼の下で4バックの全てのポジションでプレーし、右SMFもやった。
カペッロはレアルマドリードに僕を引き抜いてくれたし、ローマでも再会できた。」
○プロサッカー選手の引退後
イングランドでは、4部リーグまでプロ選手がいる。
だから戦力外としてチームを追われるプロ選手は、多い年には600人ほどになる。
10代でプロ契約しても、21歳までに契約解除される者が7割を超える。
PFA(イングランド選手協会)は、100年以上の歴史を持つ労働組合だ。
PFAは基金を運用して年金制度を設け、再就職のあっせんもする。
シーズンオフのセミナー開催や、コーチングの教育コースも用意している。
イタリアは、選手協会や選手組合はあるが、引退した選手のケアはほとんどない。
引退後の定職率は10%という惨状だ。
スペインも引退選手に冷たく、引退者の実態調査すらしていない。
失業率が20%を超えるスペインで、第二の人生を送るのは難しい。
ドイツでも、選手のセカンドキャリアへの支援はほとんどない。
だがドイツは絆を大事にする国柄で、長くプレーしたクラブだとポストを用意してくれたりする。
とはいえ1990年W杯で優勝したメンバーでも、仕事がなく行き詰まっていることが今話題になっている。
フランスは税率が他国よりも高くて、所得税は月2万ユーロ以上稼ぐと60%になる。
しかし労働組合がヨーロッパで群を抜く強さで、サッカー選手も年金が充実している。
とはいえサッカーの現役時代に納めた年金の積み立て分だけで、その後に一生暮らせる者は一握りだ。
リーグ1とリーグ2で千人ほどのプロ選手がいるが、引退する選手は毎年50人ほど。
失業率が9.2%のフランスで、第二の職を探すのは容易ではない。
イタリアでは、引退後にサッカーに関わる仕事に就ける元プロ選手は、全体の10%にすぎない。
ジュビロ磐田でもプレーしたスキラッチは、その数少ない1人である。
彼はシチリア島パレルモで暮らしているが、「日本で富を築いた成金」と地元で呼ばれている。
スキラッチは1999年にパレルモ(出身地)で、子供向けのサッカースクールを始めた。
スキラッチは、地元のセリエAクラブのパレルモとは距離をとっている。
彼が日本から帰国した時に、「タダでいいからプレーさせて」と頼んだのに断われたからだ。
さらに彼のスクールをパレルモが吸収しようと画策したことで、敵対関係になっている。
元プロ選手の窮状といえば、1966年W杯で優勝したイングランド代表選手たちが印象的だ。
2010年にノビー・スタイルズが優勝メダルを競売にかけたため、先発イレブンのうちメダルを換金していないのは2人だけになってしまった。
スペインでは、高給取りの選手は不動産投資をするケースが多かった。
だが不動産バブルの崩壊で、大損した選手が出ている。
ドイツのプロサッカー選手組合(VdV)は、深刻なデータを発表した。
「ドイツのプロサッカー選手の20~25%は、キャリアを終えると同時に破産か債務超過になっている。」
現役時代に貯蓄する選手は10%だけで、ほとんどが高級車を乗り回すなどぜい沢な暮らしをしてしまう。
だから引退すると、破産まで行かなくても、妻の収入や国の生活保護に頼る者が多い。
ブラジルは、1000を超えるプロクラブがあり、外国でプレーする者を入れて4万人ものプロ選手がいる。
毎年、千人を超える選手が外国クラブへと移籍している。
このうち毎年6000人ほどが引退する。
大多数は引退するとサッカーと関係ない仕事を探すことになるが、選手の多くは過去に学業を放棄しているので、安定した職につくのは容易ではない。
ブラジルの選手協会は再就職のあっせんはしないし、プロ選手たちの年金制度もない。
一方で引退後に名士となる者もいて、元ブラジル代表FWのベベットとロマーリオは議員になっている。
ロマーリオは不審な点があればブラジルサッカー連盟の会長も追及するなど、正義感の強さを見せている。
アルゼンチンは、各業界に労働組合がある。
サッカー選手協会も労働組合という位置づけで、他の労働組合と同じく給料の3%を納める。
サッカー選手協会は、選手と家族が無料でかかれる病院を運営したり、所属先を失った選手向けにグラウンドを提供し、週1~2回の練習試合を開催している。
この試合は、スカウトも注目するトライアウト的なものだ。
選手協会は他にも、通信教育で高校、大学の授業をしたり、引退後のための職業訓練もしている。
アルゼンチンでは、大金を稼ぐと親戚や友人に頼られたり、投資話でだまされる事も多い。
マラドーナは莫大な借金を抱えているし、マリオ・ケンペスも一時期は困窮していた。
(2024年6月27日に作成)