サッカー戦術の話

(以下は『週刊サッカーマガジン 2007年4月17日号 賀川浩の記事』から抜粋)

フェレンツ・プスカシュは、1950~60年代にハンガリー代表などで活躍した点取り屋だ。

当時の欧州では、イングランド流の「WMシステム」が主流だった。

これは2人のインサイド・フォワードと、2人のハーフ・バックがゲームを組み立てる。

そしてGKと3人のフルバックが守りを、3人のFWが攻めを担当した。

当時はポジションを流動的にすることは少なかった。

そんな時代に、ハンガリー代表は1952年のオリンピックで新しいサッカーを見せた。

まずGKは、時には高めの位置に出て守った。

FWの両ウイングも、時には味方のペナルティエリアまで戻り、守備に加わった。
また時には中央にも入ってくる。

センターフォワードも守備をして、1人をマークした。

1952年のハンガリー代表は、センターフォワードのヒデクチは低めに位置してプレーメイカーとなり、2人のインサイド・フォワードであるコチシュとプスカシュが2トップとなった。

ブダイとチボールの両ウイングは、やや低めの位置にした。

こうして「M型のFW」のシステムとなっていた。

ハンガリー代表は、1952年のヘルシンキ・オリンピックで優勝した。

(以下は『フットボリスタ 2010年2月10日号』から抜粋)

イングランド・リーグのマンU対アーセナルの試合は、マンUが3対1で快勝した。

この試合は、マンUのファーガソン監督は「4-5-1」の布陣を使い、中盤に人数を割いた。

パクチソンとナニーの両サイドMFは、上下動をくり返して、フレッチャー、スコールズ、キャリックの3人が中盤の底を固めた。

守備の時は、1トップのルーニー以外は自陣に戻って、スペースを潰した。

マンUは、攻撃時はセントラルMFの3人がパスをつないでアーセナルのプレスをいなし、ルーニーやナニーにパスを渡した。

マンUの1点目は、キャリックの効果的なパスが起点で、ナニーのドリブルでGKアルムニアのオウンゴールを誘った。

2点目はルーニー、3点目はパクチソンだった。
この2点は、アーセナルのCK後に、手薄になっていたアーセナルの守備を一気に突いたものだ。

アーセナルは、セスクがプレスをかわして前線にパスを出しても、マンUの分厚い守備を崩せなかった。

アルシャビンの突破力で打開を図るぐらいしかなかった。

リーグ4連覇を目指すマンUが、アーセナルを圧倒した試合だった。

(2024年6月28日に作成)


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