サッカー戦術の話

(以下は『Number 2005年4月7日号』から抜粋)

🔵サッキのプレッシング・サッカー

プレッシング・サッカーといえば、アリゴ・サッキの名が浮かぶ。

サッキは、1988-89、89-90シーズンにACミランを率いてチャンピオンズカップを連覇し、1994年W杯ではイタリア代表を準優勝に導いた名将である。

サッキは今、レアルマドリードのフットボール・ディレクターに就いている。

サッキは言う。

「私は、トータルフットボールの提唱者のリヌス・ミケルスに影響されました。

サッカー界に分岐点があるとすれば、彼が現れる以前と以後になります。
サッカー界にこれほど大きな変化をもたらした人は他にいません。」

リヌス・ミケルスは、1970-71シーズンにアヤックスをチャンピオンズカップで優勝させ、オランダ代表監督としては1974年W杯で準優勝、1988年ユーロで優勝している。

FIFAは、20世紀最高の監督として、ミケルスを表彰した。

サッキは言う。

「ミケルスは人格者で、哲学のある人でした。
彼のサッカーに影響されて、私は高い位置でボールを奪い、できるだけ長くボールを保持するサッカーを追求しました。

この攻撃的なサッカーは、簡単ではありません。
なぜかといえば人間の精神構造は基本的に、後ろに引いて構えるほうが楽にできているからです。

最終ラインを高く保ち、前に出てボールを奪うのは、努力と忍耐が必要です。」

現在バルセロナは、ライカールトが監督で、テン・カーテが助監督だ。

テン・カーテは今季はじめに、「目指すのはプレッシング・サッカー」と述べている。

サッキは言う。

「ライカールトは、私が築いたACミランのプレッシング・サッカーにおいて、中心選手でした。

今季のバルセロナは、攻撃的で効率的、組織もしっかりしている。彼は良い仕事をしていますよ。」

ACミランでサッキの後を継いで監督になったのは、ファビオ・カペッロだった。

カペッロは今、ユベントスの監督をしている。

サッキは、カペッロのサッカーをこう分析する。

「カペッロのサッカーは、高い位置からボールを奪いにいく所は私と似ていますが、ボール・ポゼッションにはあまり拘らない。

ボールを奪ったらいち早くペナルティエリア内に運び、勝負をしますね。」

サッキは自身のサッカー哲学を、次のように語った。

「CLはどんどん攻撃色を強めていますが、世界のグローバル化が大きく影響しています。

多くの国のサッカーファンが、テレビを通して色んな国のサッカーを見比べることで、守備的サッカーよりも攻撃的サッカーが面白いと気付きました。

保守的なイタリアでさえ、サッカーの内容が変わりました。

サッカーは、本来は攻撃的で、ゴールを奪うために生まれたスポーツだと思います。

ゴールの歓びを求めて、ボールを支配し、出来るだけ長く攻めるのが私の理想です。

攻撃サッカーをする上で、私が監督時代に基盤にしていたのは、攻守のバランスです。当時のミランには、それがありました。

大抵のチームは、ボールを持っている時は良くても、失った瞬間におかしくなる。
あるいはその逆のパターンです。

当時のミランは、中心にライカールトがいて、他にもファンバステン、フリット、バレージ、アンチェロッティ、マルディーニらがいました。

彼らは個人技にすぐれ、集団的プレーも得意だった。

現在のレアルマドリードは、個人技で勝つ試合ばかりです。
だから私はディレクターとして、個人技50%、集団性50%のチームへの脱皮を図っている最中です。」

モウリーニョ監督が率いるチェルシーについて、どう思うか聞いてみると、サッキは否定的だった。

「チェルシーのサッカーは好きになれません。
とても守備的で、見ていて楽しくない。

クオリティの高い選手が多くいるのに、ネガティブなサッカーです。ワクワクしません。

ファンは攻撃的な面白いサッカーを期待しており、攻撃サッカーに個人技のエキスが加わると、さらに大衆はヒートアップします。」

(以下は『週刊サッカーマガジン 2007年4月17日号 賀川浩の記事』から抜粋)

フェレンツ・プスカシュは、1950~60年代にハンガリー代表などで活躍した点取り屋だ。

当時の欧州では、イングランド流の「WMシステム」が主流だった。

これは2人のインサイド・フォワードと、2人のハーフ・バックがゲームを組み立てる。

そしてGKと3人のフルバックが守りを、3人のFWが攻めを担当した。

当時はポジションを流動的にすることは少なかった。

そんな時代に、ハンガリー代表は1952年のオリンピックで新しいサッカーを見せた。

まずGKは、時には高めの位置に出て守った。

FWの両ウイングも、時には味方のペナルティエリアまで戻り、守備に加わった。
また時には中央にも入ってくる。

センターフォワードも守備をして、1人をマークした。

1952年のハンガリー代表は、センターフォワードのヒデクチは低めに位置してプレーメイカーとなり、2人のインサイド・フォワードであるコチシュとプスカシュが2トップとなった。

ブダイとチボールの両ウイングは、やや低めの位置にした。

こうして「M型のFW」のシステムとなっていた。

ハンガリー代表は、1952年のヘルシンキ・オリンピックで優勝した。

(以下は『Number 2005年4月7日号』から抜粋)

🔵チャンピオンズ・リーグのチェルシー対バルセロナ

CLの決勝トーナメント1回戦で、チェルシーとバルセロナが対戦した。

チェルシーのモウリーニョ監督にとっては、古巣との対戦でもあった。

モウリーニョは試合前に選手たちに、各自の主なタスク、相手選手の長所と弱点を書いたリストを手渡す。
選手たちに書類と相手の研究用のDVDを手渡すのだ。

バルセロナでの第1戦の直前に、チェルシーはアリエン・ロッベンとウェイン・ブリッジに続けて、ダミアン・ダフとウィリアム・ギャラスもケガをした。

だが第1戦の日にはダフが回復したので、チェルシーは4-3-3で臨んだ。

前半はバルセロナのベレッチがオウンゴールして、1対0でチェルシーがリードした。

ハーフタイム中にバルセロナのライカールト監督が主審のアルデルス・フリスクに話しかけると、モウリーニョはそれを問題視した。

後半が始まると、10分にチェルシーのFWドログバが退場処分となり、バルサのマキシ・ロペスとエトーがゴールした。

第1戦は2対1でバルサが勝った。

モウリーニョは試合後の記者会見を拒否し、ハーフタイム中の件を翌日に記者にこう話した。

「主審は役割を全うしなかった。

ハーフタイム中にライカールトは、審判の控え室に入った。
その後にドログバが退場となっても、私は驚きはしなかった。」

UEFAは、モウリーニョが試合後の記者会見をすっぽかしたことと、ハーフタイム終了後にチェルシーの選手がピッチに戻るのが遅れたことについて、ペナルティを科すと通告した。

すぐ後にあったイングランドリーグ・カップの決勝戦で、モウリーニョは相手チームのファンに対して「黙れ」と言わんばかりに人差し指を唇に当ててアピールしたため、ファンを煽ったとして退場処分になった。

チェルシーは勝って優勝したが、モウリーニョは「あのジェスチャーはイングランドの 記者連中に向けたものだ」と述べて、マスコミを敵に回した。

バルセロナとの第2戦はチェルシーのホーム戦だったが、チェルシーは4-2-3-1の布陣で臨んだ。

スピードのあるケジュマンを1トップにし、グジョンセン、ダフ、ジョー・コールをその後ろに置いた。

チェルシーは前半に3点を取ったが、2点取られた。

後半に入りCKをとったチェルシーは、キャプテンのジョン・テリーがキッカーのダフに「ニアポスト」のサインを送った。

テリーのヘディングシュートが決まったが、バルセロナの選手たちはGKに張り付いていたリカルド・カルバーリョのファウルをアピールした。
だが主審のコリーナはファウルと認めず、ゴールと判定した。

その後にモウリーニョは、バルサのエースであるロナウジーニョのマーク役としてティアゴを投入し、守備を固めた。

そして4対2でチェルシーが勝ち、2戦合計で勝ち抜けを決めた。

試合後にジョン・テリーは、「カンプノウよりも狭いこのピッチで積極的にプレスをかければ勝てると確信していた」と語った。

第2戦でチェルシーは、試合開始直後から攻撃的に戦った。

モウリーニョは、バルサの左サイドバックのファン・ブロンクホルストが穴だと見た。

ブロンクホルストは、元々はゲームメイカーで、左サイドバックにコンバートされていた。

彼はチェルシーとの2試合の両方で失点に絡んだ。
第2戦では2失点に絡み、ハーフタイムにライカールトは交代させた。

記者にとってライカールト監督は、退屈なイメージがある。
それはマナーを憤重に守っているからだ。

ライバルを侮辱しないし、自チームの選手を批判することもない。

また勝利した後には、自分の戦術だけでなく、選手たちが注目されるようにする。

ライカールトは優秀な監督だが、まだ1つもトロフィーを手にしていないのも事実だ。

モウリーニョはライカールトの対極にいる監督で、500万ユーロの年棒はライカールトの4倍だ。

モウリーニョが第1戦のハーフタイムでのライカールトの行動を非難した時、ライカールトは落ち着いた口調でこう述べた。

「こんにちは、お目にかかれて良かったです、と言って、少し話しをしただけだ。」

ライカールトのバルサは、どんな相手でも4-3-3の布陣でほとんど臨んできた。

第2戦のテリーのゴールの時、カルバーリョがバルサのGKバルデスをゴールライン上で捕まえていた。
しかし主審のコリーナは見逃した。

試合後にライカールトは、誤審で敗れたと口にしなかった。
そこがモウリーニョ と違う所だ。

第1戦の終了直後、モウリーニョは「ライカールトにピッチから控え室に戻るトンネルで蹴られた」と主張し、「ライカールトはハーフタイムに審判の更衣室を訪れた」と非難した。

そして自身と選手への取材を一切拒否して、帰国の途についた。

この件について、バルセロナの主将プジョルは、次のように語る。

「現場に居たUEFAの役員は、『ライカールトの暴力は見ていない』と言った。

ライカールトが更衣室に立ち寄ったのは、挨拶するためだけだ。

ライカールトは静かな温厚な人で、八百長をもちかけたり、誰かに蹴りを入れるなんて想像もつかないよ。」

プジョルは第2戦のことは、こう話す。

「僕らはリスクの高いプレイに徹した。
僕らはバルサ流のスタイルでしか出来ないからね。

僕らの身上は攻撃で、守備位置は高くなる。
そこをチェルシーはカウンターと空中戦で突いてきた。

チェルシーの4点目は、GKバルデスへの明らかなファウルだった。
映像ではっきりしていたし、線審は旗を上げていた。

だけどコリーナ主審はゴールと認めた。この悔しさは言葉にならない。

バルサはこの試合、前半に3失点して明らかにバランスを崩していた。

ジュリーとマルケスが負傷でいなかったのは痛かった。
マルケスは最も危険なスペースをケアして、敵のボールを上手くカットし、シャビにつなげていたからね。」

第2戦(チェルシーのホーム戦)の終了後、ピッチサイドでプジョルを失望させる出来事があった。

プジョルは言う。

「チェルシー側のセキュリティの人が、エトー(アフリカ人の選手)に差別的な暴言を吐いていた。

バルデスは怒り狂っていて、僕は彼をつかんで更衣室に連れ帰ったよ。」

エトーも憤慨している。

「コリーナ主審はGKバルデスへのファウルを見逃すだけでなく、僕へのファウルも見逃していた。

もしもチェルシーがCLで優勝したら、CL史上の恥だと思う。

チェルシーはカネが余るほどあるチームだけど、品のなさも世界一だよ。
セキュリティ・スタッフの酷さには言葉もない。」

🔵クラウス・トップメラー監督の戦術話

クラウス・トップメラーは、戦術狂と評される監督だ。
相手チームの分析を得意とし、レバークーゼンを率いて2002年のCLで決勝戦まで行っている。

トップメラーは言う。
「相手チームの分析で一番大事なのは、弱点を見つけることだ。
例えば4バックの右サイドが弱いなら、そこにどうやってプレスをかけるか考える。」

トップメラーがレバークーゼンを率いていた時に主力選手だったバラック、 ゼ・ロベルト、ルッシオは、今はバイエルンにいる。

今季(2004-05シーズン)のCLについて、彼はこう分析する。

「バイエルンはDFに欠陥があり、優勝は無理だ。
CBのルッシオとコバチはタイプが似すぎている。

チェルシーのCBコンビ、テリーがカルバーリョをカバーするようなコンビの方が優れている。

ルッシオとコバチは、アーセナル戦でアンリに得点された場面でも、同じ動きをしてしまった。

バイエルンの長所はMF陣で、ドイツ・リーグのMFのトップ5が全てバイエルンにいる。

だがマガト監督はこれを活かさず、ゼ・ロベルトを先発から外したりしている。

バラックは、技術と当たりの激しさを併せ持っている。

マガト監督はバラックをトップ下で使っているが、トップ下はもっと攻撃的なダイスラーかショルを置いて、バラックはボランチで使うのがベストだ。
パスを出せるハーグリーブスとバラックをボランチで組ませて、前めにゼ・ロベルトとダイスターを使えば、新たなチームに化けるだろう。

優勝候補はACミランとチェルシーだ。

ミランは良いFWがいるし、DFラインが非常に堅い。

チェルシーはミランに似ていて、より規律がある。
戦術どおりに動くモウリーニョ監督のチームだ。

レアルマドリーとバルセロナは、守備が弱い。

レアルのジダン、ラウール、ベッカムは、身体をぶつけられたらすぐ倒れる。

バルサのロナウジーニョは、攻撃は世界一だが、守備は並の選手だ。

バルサのCBのプジョルは本来は右SBだし、左SBをするファン・ブロンクホルストはウイングの選手のような守備力しかない。

2006年W杯までは、攻撃的なサッカーよりも規律ある守備的サッカーが有利だろう。

だがこれではスタジアムの観客数は減っていく。」

(以下は『フットボリスタ 2007年8月15/22日号』から抜粋)

🔵フットサルの戦術

フットサルでは、右利きのアタッカーが左サイド、左利きのアタッカーが右サイドに置かれるのが基本となっている。

なぜならコートが狭いので、縦に突破してクロスボールを入れてもあまり得点につながらないからだ。

サイドアタッカーを利き足と逆サイドに置いて、中に向けて視界が開けた状態にし、 中に入ってシュートやパスをさせる。

FCバルセロナは左利きのメッシが右サイドにいて、右利きのロナウジーニョが左サイドにいるが、フットサルと通じる配置である。

メッシは中方向に体を開きながらドリブルし、中に切れ込んでのシュートや、ワンツーパスからのシュートをしている。
これは、フットサルの動きとリンクするプレイである。

(以下は『フットボリスタ 2010年2月10日号』から抜粋)

イングランド・リーグのマンU対アーセナルの試合は、マンUが3対1で快勝した。

この試合は、マンUのファーガソン監督は「4-5-1」の布陣を使い、中盤に人数を割いた。

パクチソンとナニーの両サイドMFは、上下動をくり返して、フレッチャー、スコールズ、キャリックの3人が中盤の底を固めた。

守備の時は、1トップのルーニー以外は自陣に戻って、スペースを潰した。

マンUは、攻撃時はセントラルMFの3人がパスをつないでアーセナルのプレスをいなし、ルーニーやナニーにパスを渡した。

マンUの1点目は、キャリックの効果的なパスが起点で、ナニーのドリブルでGKアルムニアのオウンゴールを誘った。

2点目はルーニー、3点目はパクチソンだった。
この2点は、アーセナルのCK後に、手薄になっていたアーセナルの守備を一気に突いたものだ。

アーセナルは、セスクがプレスをかわして前線にパスを出しても、マンUの分厚い守備を崩せなかった。

アルシャビンの突破力で打開を図るぐらいしかなかった。

リーグ4連覇を目指すマンUが、アーセナルを圧倒した試合だった。

(2024年6月28日、8月19日に作成)


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