イタリアリーグ「セリエA」の話

(以下は『Number 2005年4月7日号』から抜粋)

CLの決勝トーナメント1回戦で、ACミランとマンUが対戦した。

マンUは11月からイングランド・リーグで無敗を続け好調だったが、ミランが2試合とも1-0で勝利した。

ミランの勝因は、マンUの中盤を形成するロイ・キーンとスコールズを封じ込めて、FWのルーニーとファン・ニステルローイにボールを渡さなかったことだ。

現在のミランは、DF陣が強力で、かつてCLを獲った時の守備にも劣らないレベルだ。

移籍してきたヤープ・スタムが、ミランの守備をさらに固くした。
弱点だったロングフィードの対応も、彼が入ってから脆さが見られなくなった。

スタムは2001年夏に、マンUからラツィオに放出された。

ミランのガッリアーニ副会長は、スタムを移籍金1000万ユーロでラツィオから手に入れた。

スタムは今32歳だが、活躍しているのでミランは2007年までの契約延長で合意した。

スタム、ネスタ、マルディーニらのいるミランのDF陣は、直近の9試合で3ゴールしか許していない。

ミランのFWは、シェフチェンコとインザーキがケガで離脱しているが、クレスポが代わりにゴールを獲っている。

クレスポはチェルシーからレンタル移籍中で、アンチェロッティ監督の希望で入団した。

アンチェロッティはパルマの監督時代に、アルゼンチンからやって来たクレスポを育てている。

チェルシーで出場機会のないクレスポを見て、アンチェロッティはミランの幹部に獲得を求めたのだ。

ミランは来季の新戦力として、パルマにいるジラルディーノの獲得契約をすでに成立させている。
だからクレスポがミランに完全移籍するには、ゴールを量産するしかない。

ミランはこの2年間で、CL、イタリア・リーグなどで優勝している。

(以下は『フットボリスタ 2007年3月7日号』から抜粋)

ACミランにロナウドが加入して1ヵ月弱だが、彼は4kgの減量に成功し、身体の動きは回復しつつある。
(※ロナウドはレアルマドリードから冬の移籍期間の1月末に移籍してきた。)

だが1対1やワンツーでの突破は、ここまでの2試合はすべて失敗している。
とはいえ2得点した。

ロナウドはインテルにいた1997~2002年の5年間、ミラノに暮らしたので、ミラノは馴染んだ街だ。

セリエAのトリノは6連敗中で、ザッケローニ監督の解任が現実味を帯びてきた。

ザッケローニはシーズン当初から3-4-3の布陣で攻撃的なサッカーを目指したが、トリノの3バックは平凡で、広い守備範囲をコントロールできない。

そのため後手に回り、結局は5-3-2で守ることになっている。

守備の人数は足りているが、マークの受け渡しが上手くいっていない。

攻撃する時もFW3人だけとなっている。

(以下は『フットボリスタ 2007年7月4日号』から抜粋)

スパレッティ監督が率いるASローマは、2006-07シーズンにセリエA2位、コッパ・イタリア優勝、CLはベスト8と、すばらしい成績をあげた。

スパレッティは、ウディネーゼの監督だった頃から、独自のカウンター・サッカーを見せていた。

現在のローマの「ゼロトップ・システム」は、パターン化された攻撃を使い、ワンタッチパスを多用して、徹底してDFラインの裏を狙う戦術だ。

その攻撃パターンは次の3つだ。

①DFラインの裏へロングボールを入れる

②くさびのパスを前線のトッティに入れて、トッティがDFラインの裏へパスを出す

③くさびのパスを前線のトッティに入れて、トッティが味方に落とし、そこからDFラインの裏へパスを出す

①は、キブ、メクセスといったパスの上手いDFが、早いタイミングでDFラインの裏へロングパスを出すものだ。

②と③は、トッティにパスが入った時に、相手選手が寄せてくるかどうかで選択が変わる。
寄せてこなければトッティは前を向き、DFラインの裏へ走る味方にラストパスを出す。
寄せてきたらトッティはダイレクトで2列目に落とし、受け手は再びダイレクトパスでDFラインの裏へラストパスを出す。

スパレッティの攻撃は、機械的で非常に速い。
パターン化されているので、トッティがケガで不在でもマンシーニやペロッタが代わりをできる。ただしトッティよりもプレーの質は落ちてしまう。

ローマの攻撃は読まれているのだが、それでも試合中に何回かうまくいき、1~2点は取れる。
数打ちするのである。

(以下は『フットボリスタ 2007年8月29日号』から抜粋)

ユベントスは八百長事件の罰として、昨季はセリエBで戦ったが、1年でセリエAに戻ってきた。

ユベントスは昨季の赤字穴埋めと、選手補強のカネを作るため、1億ユーロもの第三者割当増資をした。

そして約5千万ユーロを投じて、ティアゴ、アルミロンの2人のセンターハーフや、CBアンドラーデ、 FWイアクインタを獲得した。

ユベントスは2部リーグに落ちた昨季に主力選手がかなり移籍した。
だが残った選手もいて、FWにデルピエロとトレゼゲがいるし、サイドMFにはネドベドとカモラネージ、 DFにキエッリーニ、 GKにブッフォンがいる。

ナポリが6シーズンぶりに、セリエAに帰ってきた。

昨シーズンはセリエBにいながら1試合平均3.5万人の入場者数と、イタリア屈指の人気チームである。

イタリアは南北で経済格差があり、南部は貧困地域だ。
ナポリはそんなイタリア南部を代表するチームとなっている。
セリエAに南部のチームは少ない。

ナポリには、19歳のMFハムシクや、MFガルガーノ、FWラベッシがいる。

昨季の王者インテルは、ローマからキブ、カリアリからスアソ、ラツィオからヒメネスを獲得した。
放出したのはグロッソ(リヨンへ)のみだ。

クリスティアン・キブは、守備力も一級品だが、左足で長短のパスを出して最終ライン から攻撃を組み立てる展開力が世界最高峰のレベルにある。

インテルがフィーゴの流出を防げたのは大きい。フィーゴは守備的に挑んでくるチームたちを崩せる貴重なドリブラーだ。
昨季同様に、試合途中から登場し大仕事を見せてくれるだろう。

インテルの不安要素は、FWが多すぎること。
イブラヒモビッチ、スアソ、クレスポ、レコバ、アドリアーノと5人いて、出場できない者が不満を爆発させる恐れがある。

ACミランは、エメルソンを獲得したがっていたが、レアルマドリードとの交渉がまとまらず見送りになった。

ロナウジーニョとシェフチェンコの獲得も狙っていたが、これも実現しなかった。

17歳のブラジルFWパトは獲得したが、来月1月からの選手登録となる。

昨季のミランはCLで優勝したが、セリエAでは早々に優勝争いから脱落した。
ガッリアーニ副会長は、「今季の第一目標はクラブW杯の優勝、第二目標はCL優勝」と述べ、セリエAは軽視している。

昨季のミランは、カカーの守備負担を軽くした4-4-1-1もしくは4-3-2-1でCLを制した。

だが今季は、FWロナウドがCLに出場できるので、4-3-1-2になるだろう。

ローマのアクイラーニ(23歳)は、各年代のイタリア代表に選ばれ、A代表入りもした選手だ。
しかし昨年11月に膝のケガを離脱した。
復帰した今季は、ローマで準レギュラーの位置から再スタートする。

トリノにいるFW大黒将志は、厳しい状況にある。
3人のFWがチームに新加入し、出場機会はほぼ無い。

ノベッリーノ新監督は、4-3-2-1の布陣を使っており、大黒は構想外に見える。

ノベッリーノ監督は、サンプドリア時代に柳沢の会話能力を問題視したように、日本人選手に厳しい。

サンプドリアは、レアルマドリードからカッサーノ(25歳)を移籍金ゼロで獲得した。
買い取りオプション付のレンタルである。しかも年棒の半分以上をレアルマドリードが 負担する条件付きだ。

この好条件はサンプドリアのマロッタGMの手腕による。
もちろんカッサーノは問題児なのでリスクもある。

(以下は『フットボリスタ 2007年9月5日号』から抜粋)

ユベントスの監督に就任したクラウディオ・ラニエーリは、昨シーズンはパルマの監督としてセリエA残留を果たした人だ。

ラニエーリの今季の年棒は、100万ユーロ+ボーナスと推定されている。

ラニエーリ監督はチームをじっくり育てるタイプで、彼が去った後にチームがビッグタイトルを獲ることが多い。

ラニエーリは1980年代の末に、カリアリをセリエCからセリエAまで2年で引き上げて注目された。

1993-94シーズンは、セリエBにいたフィオレンティーナを率いて、1年でセリエAに復帰させた。

フィオレンティーナ時代は、バティストゥータ、ルイ・コスタ、トルドをワールドクラスの選手に育て上げている。

ラニエーリ監督は、バレンシア時代はメンディエタを右SBから中盤にコンバートしたし、チェルシー時代はジョン・テリーを大黒柱に育て上げ、ランパードとGKクディチーニを獲得した。

ラニエーリが育てた果実を摘み取ったのが、後任監督のクーペルやモウリーニョだった。

ラニエーリは、オーソドックスな4-4-2で守備を固めるスタイルだ。

しかし柔軟性があり、昨季のパルマでは才能ある若手のジュゼッペ・ロッシを生かすため4-3-3に変更した。

今季のユベントスでも、ラニエーリは記者たちをあっと言わせた。

右SBに本来は中盤に入るサリハミジッチを使い、中盤の右には本来はボランチのノチェリーノを入れたのだ。

ラニエーリの率いる現在のユベントスは、システムは4-4-2の感じで、2トップのトレゼゲとデルピエロと、左サイドMFのネドベドが自由に動いて攻撃をする。

ボランチは、ザネッティとアルミロン。

CBはアンドラーデとクリッシト。

右SBのサリハミジッチと、右サイドMFのノチェリーノは守備がいまいちで、グリゲラとカモラネージの復帰待ちなのかもしれない。

セリエAの開幕戦で、カターニアにいる森本貴幸(19歳)が1ゴール1アシストの大活躍を見せた。

(以下は『フットボリスタ 2007年9月12日号』から抜粋)

ロベルト・マンチーニは選手時代から、「ピッチ上の監督」「実質的な監督」と言われていた。

引退すると、翌シーズンにライセンスを取得していないのにフィオレンティーナの監督に就任して物議をかもした。
だが破産寸前のチームでコッパ・イタリアを獲った。

続けて指揮をとったラツィオでも4位、6位と良い成績をあげたので、監督になって4年でインテルの監督に選ばれた。

マンチーニのサッカーは、「どんな時も受けに回らずボールを支配し、引き分けで満足せずに勝ちを狙う」という、イタリア人には珍しい攻撃重視のスタイルだ。

テクニックのある選手を好み、ミハイロビッチ、ベロン、スタンコビッチといった、お気に入りの元チームメイトをインテルに呼び寄せてチーム作りした。
そして2006-07シーズンにインテルは優勝した。

だか今季は、マテラッツィとビエラという守備の主力が故障中で、攻撃もイブラヒモビッチ頼みだ。

インテルからトリノに移籍したレコバが、さっそく活躍している。

だがトリノには、同じレフティのファンタジスタであるロジーナがいる。
2人共に守備はしないタイプで、共存は難しい。
ノベッリーノ監督がどう2人を使いこなすか注目だ。

ナポリは3-5-2という古典的なシステムで、守りを固めて、人数も手数もかけない速攻のチームだ。

ウルグアイ人のゲームメイカーであるガルガーノと、アルゼンチン人のFWラベッシという無名の新戦力が活躍している。

クリスティアン・キブは2007年夏に、行きたかったインテルにようやく移籍できた。
以下はキブのこれまでのストーリーである。

インテルがキブを最初に獲ろうとしたのは2003年夏で、キブはアヤックスにいた。

キブの代理人であるヨアン・ベカリが話をつけたのだが、インテルのクーペル監督が「CBにはすでにカンナバーロ、マテラッツィ、コルドバがいる。だから要らないが、もう1人とるならスタムが欲しい。」と言って、破談になった。

2003年夏の当時、ローマはキエーボにいるレグロッターリエを獲ろうとしたが、ユベントスにさらわれたので、カペッロ監督はキブの獲得を希望した。

こうして2003年夏にキブはローマに加入した。

2005年夏にカペッロ監督がユベントスに移籍し、大きな混乱がローマに起きた。
ギブもローマを出たかったが、契約はまだ3年残っていた。

インテルのマンチーニ監督がキブを欲しがったので、オーナーのモラッティは1800万ユーロの移籍金を用意した。
ところが契約目前になって、欧州スポーツ裁判所は前年のメクセス獲得をめぐる不正について、ペナルティとしてローマに1年間の選手獲得を禁じた。
このためローマは、キブを放出したら穴を埋められない状態となった。

さらにローマは、オーナーのフランコ・センシが病気で倒れた。
これを見てモラッティはキブの獲得をあきらめた。

2006年夏になると、今度はミランがキブの獲得に動いた。

ミランの選手のコスタクルタとマルディーニは、キブを高く評価していて、 「ミランに来ないか」と誘った。

「ネスタとキブをCBで組ませれば、世界一の最終ラインになる」とコスタクルタとマルディーニはミランの首脳部に説いたが、首脳部は1800万ユーロの移籍金は高すぎると断わった。

2007年夏になると、今度はレアルマドリードがキブ獲得に動いた。
1800万ユーロの移籍金をローマに提示した。

ところがキブの代理人ベカリは、インテルと話を進めるようキブに説いた。

ベカリはインテルに移籍することを求めており、ローマとの契約が残り1年のキブに「レアルマドリー行きを断り、契約更新しなければ、(1年後にはフリーの選手になり移籍金がとれないから)ローマは困るはずだ」と説いた。

それでキブはローマに残り、契約更新せずにプレシーズンキャンプに参加した。
するとローマのサポーターは、キブに「裏切り者」「恩知らず」「金の亡者」と罵りの言葉を投げた。

ローマ・サポーターの機関誌「イル・ロマニスタ」は、紙上でキブの住所を公開し、抗議活動を煽り立てた。
キブにとって地獄のような日々になった。

こうしてローマは、キブを放出するしかなくなり、1300万ユーロでインテルに移籍が決まったのである。

(以下は『フットボリスタ 2007年9月19日号』から抜粋)

セリエAでは2006-07シーズンに、監督のクビ切りはのべ14回行われた。

監督のクビ切りをする理由は、成績不振の批判を経営陣がかわすためだ。

だかクビ切りは多くの場合、悪い結果となる。

セリエBに降格になったチームは、いずれも監督を更迭していたし、監督を代えて混乱が生じ前任者を呼び戻すドタバタも3例あった。

(以下は『フットボリスタ 2007年11月14日号』から抜粋)

ACミランのMFセードルフは、トリノ戦でアンチェロッティ監督に反抗した。

ミランは63分にFWインザーギを投入し、システムを4-3-2-1から4-3-1-2に代えたのだが、セードルフはトップ下に居座ったため、ミランの攻守が機能不全となった。

(※セードルフは4-3-2-1の2の所にいて、システム変更で4-3-1-2の3に行くよう指示されたが、無視したのである。)

アンチェロッティは、たまらずセードルフをベンチに下げた。

セードルフは背番号10番にこだわることが示すように、トップ下が自分のポジションと確信している。

単なる我儘ではなく、カカーと共にトップ下で並んでプレーした昨季は、CLで優勝した。

トリノ戦も、カカーとセードルフがトップ下に入り、ミランはチャンスを多く作ったが、前半だけで1トップのジラルディーノが3回、カカーとピルロは1回ずつ、決定機をふいにした。

それで後半に入り、前述の選手交代とシステム変更があった。

結局、0対0で引き分けた。

ACミランは今季、ここまでのリーグ戦9試合で2勝しかできず、セリエAで13位に低迷している。

この理由には、CLや12月に行われるクラブW杯で勝つことを重視している事がある。

負傷中のFWロナウドが戻ってくれば、リーグでも勝率は上がるだろう。

ミランは2002-03シーズンにCLを制した時から、サッカー・スタイルが変わっていない。

システムは4-3-2-1、または4-3-1-2で、ウイングを置かずに中央を厚くするのが特徴だ。

これは司令塔のピルロを守りつつ、彼のパス能力を活かすことが狙いだ。

(以下は『フットボリスタ 2007年12月19日号』から抜粋)

FIFAクラブワールドカップ2007に出場する、南米王者のボカ・ジュニオールが、12月7日に来日した。
出場はできないが、リケルメも同行している。

ボカは、DFはイバーラ、マイダナ、パレッタ、モレルの4バックだ。
前線はパレルモとパラシオの2人。
MFのレデスマは恥骨炎で万全ではない。ボランチはバネガとバタグリアの2人である。
監督はミゲル・アンヘル・ルッソ。

リケルメは、最初の30人のリストに入ってなかったため、今大会は出場できない。

ヨーロッパ王者のACミランは、12月6日に来日した。

ミランは現在、セリエAで首位インテルに16ポイント差の8位と低迷中だ。

FWのロナウドがケガで欠場を続けており、MFのエメルソンも故障がち。

ミランは、最近はハイペースのサッカーはできない状態で、守りを固める相手を崩せない。

セリエAでは、アウェイ6試合で17得点しているが、ホーム7試合では相手が引いて守るのでわずか3得点だ。

正面から挑んでくる相手には、格の違いを見せている。

ミランでコンディション不良の選手は、DFはヤンクロフスキとシミッチ。MFはエメルソン、FWはロナウドだ。
文句なしの絶好調の選手はいない。

アドリアーノ・ガッリアーニ副会長は、こう語った。

「ACミランがクラブW杯に参加するのは6回目で、すごい記録だと思う。
我々は今シーズンの最大の目標を、この大会にしている。

前回の出場では、到着した翌日に試合があった。
選手たちは準備不足で良い成績が残せなかった。

近年、この大会で南米のチームが多く優勝しているのは、そういう理由もあると思う。

だから今回は、我々は何ヶ月も前から準備し、70%の状態で来日した。」

ACミランの選手たちは、ほとんどが各国の代表に入っていて、代表戦もこなしている。
このため選手は休むひまがない。

カカーらブラジル代表選手は、代表戦のたびに片道8時間のフライトと時差を体験する。

こうした選手を支えるのが、コンディション管理センターの「ミラン・ラボ」だ。

ミラン・ラボは、定期的に選手の状態をモニターし、管理する。
メンタルのデータでは、脳波や心拍数、瞳孔反射によるストレスのテストをする。

ポイントは、ベストを100とするパーセンテージで数値化されるところだ。

ミラン・ラボは、疲労や小さな故障や心理的ストレスを読み取り、先回りして対応することで、故障を未然に防いでいる。

ACミランは来日する直前の12月4日に、CLのグループリーグでセルティックと戦い、1対0で勝って決勝トーナメント進出を決めた。

この試合、セルティックは自陣に引きこもって守りを固めた。
だがゲルト・ミュラーの持つ欧州カップ戦の最多得点記録 (62点)に並んでいるインザーギが得点した。

何度も右サイド深くまで侵入してクロスボールを供給していたカフーが、カカーとのコンビネーションからクロスボールを入れ、インザーギが決めた。

インザーギは34歳で、欧州カップ戦にデビューしてから13年目にして63ゴールの新記録を達成した。

ちなみに彼は、CLでは72試合で46ゴールをあげている。

なおセルティックにいる中村俊輔は、左膝靭帯の負傷で離脱中だ。
復帰時期は未定となっている。

イタリアリーグのセリエAにいるパレルモは、11月26日にコラントゥオーノ監督が解任された。

パレルモは、ザンパリーニ会長が就任してから、5年で9度目の監督更迭となっている。

後任監督は4度目の就任となるグイドリンだ。

キャプテンのDFバルザーリは、「少し負けると大騒ぎするサポーターと会長が問題だ」と吐き捨てた。

なおパレルモは、FWにアマウリとカバーニがいる。

フィオレンティーナは、昨シーズンは最前線にトーニがいた。

DFを背負って易々とボールをキープできるトーニがいれば、チームは押し上げる時間を作れる。

トーニが移籍して、パッツィーニが代わりに入った。
だがパッツィーニはDFを背負ってキープできず、トーニのように密集の中でも体格を生かしてスペースを作りシュートを打つことができない。

パッツィーニは、裏に抜け出してパスをもらうタイプだ。

フィオレンティーナの4-3-3システムに合うCFは、パッツィーニよりもビエーリだ。
事実ビエーリは、出場時間はパッツィーニの半分以下だが、3得点している。パッツィーニは4得点だ。

プランデッリ監督は、パッツィーニを生かしきれていない。

(以下は『フットボリスタ 2008年1月16日号』から抜粋)

セリエAの八百長事件を首謀しサッカー界から追放されたルチアーノ・モッジが、暗躍していることが、警察の盗聴から明らかになった。

裁判に提出された盗聴記録によると、イタリア・サッカー協会(FIGC) のタベッキオ副会長は、「あなたの復権に全力をつく」とモッジに約束した。

レーガ・カルチョのロバーティ登録部門責任者も、モッジとの複数回の通話記録がある。

モッジとロバーティの会話には、「レーガ・カルチョ会長のマタレーゼから電話があり、私の支持者だと述べた」とのモッジの一言もあるという。

今季(2007-08シーズン)の開幕戦ではパルマとカターニアが対戦したが、カターニアのバルディーニ監督が相手監督を蹴り、1ヵ月の出場停止となった。

今季の前半戦で目立ったのが、監督の解任だ。
第17節の時点で、リーグの4分の1以上の監督がクビになっている。

かつて中田英寿が所属したイタリアのチーム「ペルージャ」は、2005年に破産してセリエC1に降格した。

シルベストリーニ会長の下で新会社となって再出発したが、上手くいってない。

成績不振に怒った会長が合宿を行うよう求めると、監督と選手は練習をストライキし、現在もストライキが続いている。

◎レオナルドのインタビュー

「僕はこの5年間、ACミランで働いている。
チームマネジメント、選手の移籍、マーケティング、ミラン財団まで、色んなプロジェクトに助言している。

その実体はガッリアーニ副会長に直属するアシスタントだ。

ロナウドのミランへの移籍とか、ミランが大きなマーケットにしているブラジルのプロジェクトに関わってきた。

僕は、カカーとパトの移籍(ミラン加入)にも関わった。

カカーはミランに来る時、W杯のメンバーに入っていたけど、評価は定まってなかった。

僕がカカーと知り合ったのは、ミランからブラジルに戻ってサンパウロで6ヵ月プレイした時で、カカーはサンパウロにいたんだ。
その後、僕はひょんなことからカカーのミラン移籍交渉に関わった。

パトは、ミランに来る前にすでにスター選手になっていて、ミランに来たがっていた。 ミランにはカカーという前例があるし、ブラジル人が8人も在籍しているからだよ。

ミランは選手の獲得では、サッカーの上手さだけでなく、人間性や規律を守れるかも重視している。

もう1つは、ミランは選手やスタッフの忠誠心を重視している。
今のミランには、5年以上在籍している選手が11人もいる。」

カカーはクラブW杯で1ゴール2アシストの活躍をし、ミランを世界一のクラブへ導いたばかりだ。

バロンドールも受賞したが、このところセリエAではキレがいま1つだ。

(以下は『フットボリスタ 2008年2月6日号』から抜粋)

ディエゴ・マラドーナ・ジュニアは、セリエDのベナーフロでプレイする21歳だ。

彼の父はあのディエゴ・マラドーナで、ナポリでプレイしていた1986年に生まれた婚外子である。

マラドーナは父子関係を15年以上も否定し続けたが、裁判の結果、自分の息子だと認めた。

マラドーナ・ジュニアは、こう話す。
「父のことはもう興味がない。
父親は僕の側にいてくれる人のことであって、遺伝子をくれた人じゃない。
あの人は家族じゃないし、父親でもない。」

マラドーナ・ジュニアは、ナポリの下部組織で育ち、18歳の時にセリエBのジェノアでプロデビューした。

マラドーナ・ジュニアは言う。

「ジェノアでデビューした後、『カンピオーニ』 というTVのリアリティ・ショー番組に参加するため、6部リーグのチームに移籍した。

この番組は、プロを目指す仲間と一緒に暮らしながらサッカーをする番組だった。

だからあえて下部リーグのチームに移ったけど、自分のサッカー・キャリアがめちゃくちゃになってしまった。」

彼は番組中に膝のケガをし、それもキャリアが低迷した理由だ。

彼は15歳の時にイタリア代表のU-17に選ばれたことがある。
今はセミプロのチームにいるが、セリエAのナポリでプレーするのが夢だと言う。

セリエAで、審判の誤審が相次いでいる。

フィオレンティーナのプランデッリ監督は、「(八百長事件に絡んで資格停止者が多く出たことから)若い審判が多くなっている。彼らには経験を積む時間が必要だ。」と説明した。

セリエAとBの審判たちは今、八百長事件を受けて改革中だ。

ルチャーノ・モッジと親しかった何人かの大物主審が失脚し、有名な審判だったピエルルイジ・コッリーナが責任者となって若手審判を育成している。

今季のセリエA・Bの審判は、平均年齢が34歳と史上最も若い。
そのため誤審が増えるのは仕方ない。

ところがイタリアのマスコミたちは、ミスをした審判やトップにいるコッリーナを悪者にして叩きまくっている。

イタリア以外の多くの国では、審判が時にミスをするのは自然なことと受け入れている。
だがイタリアは、そうではない。

(以下は『フットボリスタ 2008年2月13日号』から抜粋)

セリエAのナポリは、映画プロデューサーが本業のデ・ラウレンティス会長がヒット作の連続で儲けたためか、冬の移籍市場に大金を投じた。

総額2200万ユーロを投じて、ダニエレ・マンシーニやサンタクローチェらを獲得した。

ミラン対フィオレンティーナの試合で、後半に入りミランのアンチェロッティ監督はシステムを4-4-1-1に変更し、トップ下のセードルフに左サイドMFに移るよう指示した。

しかしセードルフが無視したため、アンチェロッティは66分にセードルフを下げてパトを投入した。

パトのゴールで、ミランは1対0で勝利した。
パトは18歳だが、ここまで5試合で4ゴールだ。

レアルマドリードに移籍したが試合に出られず、臨終したかに思われたアントニオ・カッサーノ。
彼がレンタル先のサンプドリアで復活した。

サンプドリアの最高責任者マロッタは、「君を信じているから、それに応えてくれ」とカッサーノに話した。

カッサーノは大切な選手として扱ってもらったと感じ、ダイエット・メニューを守って7kgの減量に成功した。

練習もきっちりこなし、「練習が楽しいと思ったのは生まれて初めて」とコメントした。

カッサーノの活躍を見て、マロッタは「レアルマドリードからカッサーノを買い取る」と発言した。

セリエAで、17歳のマリオ・バロテッリがデビューし話題となっている。
189cm、87kgの黒人選手で、高いフィジカルとテクニックを備えている。

バロテッリはシチリア島のパレルモで、ガーナ人の両親の下で生まれたが、1歳半でブレシア近郊に住むイタリア人の養子となった。

ブレシア県のセリエCのクラブ「ルメッザーネ」で15歳でデビューし、インテルに引き抜かれた。

イタリアでも移民が増加していて、低所得者が住むエリアの小中学校では、クラスの半分近くが移民系の所もある。

(以下は『フットボリスタ 2008年3月26日号』から抜粋)

2007年10月27日のナポリ対ユベントスで、不可解な判定で2度のPKをナポリに与えたマウロ・ベルゴンツィ主審。

審判委員会は協議して、ベルゴンツィの1ヶ月の活動停止と、セリエBへの降格を決めた。

その後、ベルゴンツィに顔が似ている一般人が、間違われてサポーターから暴行を受けた。

イタリアでは、サポーターによる暴行事件が多発している。

(以下は『フットボリスタ 2008年4月2日号』から抜粋)

イタリアのユベントスは、ついに新スタジアムを建設するらしい。

スタジアム「デッレ・アルピ」の建て替え案は15年前からあったが、ここに来て話が進んだのは、大型スタジアムが儲かると分かったからだ。

イングランドのアーセナルは、新スタジアムの効果で収益を大きくアップさせている。

クラブがスタジアムを所有するようになったドイツ勢も、このところ躍進が目立つ。

ユベントスもすでに、2500万ユーロを支払って市からデッレ・アルピの所有権を買っている。

スタジアムの完成は、2011年の夏という。

イタリアリーグ・セリエAの八百長事件で首謀者だったルチャーノ・モッジが、 来シーズンからセリエAに戻ってくるという。それもACミランで。

公的には、モッジは先日に5年間の資格停止への異議申し立てが、裁判所によって却下されたばかりだ。

表立っては復帰できないので、モッジは片腕のジーノ・ナターリをミランに送り込む。

ジーノ・ナターリは、オリンピア・ミラノというプロバスケ・チームのゼネラルマネージャーをしていた人で、ACミランのガッリアーニ副会長と親しい。

ミランのベルルスコーニ会長は、モッジの人脈を使うため、ナターリを仲介役にするようだ。

ガッリアーニは、2008年4月の選挙でベルルスコーニらが勝ち、ベルルスコーニが首相になったら、アントニオ・マタレーゼに代わってレーガ・カルチョの会長になるという。

ちなみにガッリアーニは、以前にミラン副会長とレーガ・カルチョ会長を兼務していた事があり、その時は独占禁止法違反として糾弾された。

(以下は『フットボリスタ 2008年10月15日号』から抜粋)

セリエAはラツィオが好調で、第6節を終えて首位にいる。
サラテ、パンデフ、フォッジャのいる前線が機能している。

昨年のU-20W杯で優勝したアルゼンチン代表にいたサラテは、ラツィオに加入してここまで6試合で6得点。

ラツィオにはシモーネ・インザーギもおり、第6節で4年ぶりにゴールを決めた。

ナポリにいるハムシク(21歳)も、すでに3得点している。

ハムシクはスロバキア人で、17歳でスロバキア・リークにデビューしたところ、その試合を見ていたブレシアのスカウトの目にとまり、50万ユーロの移籍金でブレシアに引き抜かれた。

ハムシクは母国リーグで1試合プレーしただけで、イタリアに渡ることとなった。
その後、19歳の時にナポリに移籍した。

(以下は『フットボリスタ 2010年6月16日号』から抜粋)

カンナバーロ (36歳)が、ユベントスからUAEのアルアハリへ移籍した。

彼は故郷のチームであるナポリ復帰を求めていたが、ナポリは若手中心のチーム作りをしており、オファーしなかった。

(以下は『フットボリスタ 2010年6月24日号』から抜粋)

◎ルッシオのインタビュー

2009年6月にバイエルンから契約更新を断わられた。
妻は涙ながらに励ましてくれた。

その後インテルからオファーをもらい入団した。
モウリーニョ監督から「君の能力を全面的に信頼している」と言われ、期待に応えようとベストを尽くした。

そしてインテルでCLなど3冠をとった。すべては神のお導きだったと思う。

DFが攻撃参加すると、相手チームはそれを誰がケアするかで混乱し、大きなチャンスになることが多い。
自分はDFだからよく分かる。

2006W杯のブラジル代表は、周囲の楽観ムードがチームに伝染してしまった。
自分たち自身に負けたんだ。

でも今のブラジル代表は、これほど結束が固いチームは見たことがないほど。
ドゥンガ監督とアシスタントのジョルジーニョの手腕だ。

◎インテル

インテルの監督にラファエル・ベニテスが就任することが決定し、6月10日に正式に発表された。

年棒は400万ユーロだが、前任者のモウリーニョは倍額をもらっていたという。

(※モウリーニョはレアルマドリードの監督に移籍)

(以下は『フットボリスタ 2010年6月30日号』から抜粋)

ユベントスのGKブッフォンがヘルニアの手術をしたため、ユベントスは6月17日にミランから500万ユーロでGKストラーリを獲得した。

(以下は『フットボリスタ 2010年7月6日号』から抜粋)

ミランの新監督がアレグリ(42歳)に決まったと、6月25日に発表された。

(以下は『フットボリスタ 2010年8月11日号』から抜粋
2011年12月16日にノートにとり勉強)

◎ユベントス

ユベントスは、2006年の不正発覚(八百長事件)で幹部のモッジとジラウドが失脚し、セリエB降格になった。

クラブ再建のためフランス人のジャンクロード・ブランに経営をゆだねた。

ブラン体制の下で、06-07シーズンにセリエBで優勝。07-08はセリエAで3位に入った。

しかしその後は低迷し、毎年5千万ユーロを補強に投じたが世代交代に失敗。

09-10シーズン終盤にブランは、新監督にベニテスを招いて自らの片腕にしようとしたが、ベニテスに断わられた。

ユベントスは、オーナーはフィアット・グループのボスであるアニエッリ家だ。

アニエッリ家の若き当主ジョン・エルカンは、親族のアンドレア・アニエッリ (35歳)を新会長にすることを決めた。

アンドレアは、GDにサンプドリアを再建したマロッタを招き、監督もサンプドリアのデル・ネーリを招いた。

ブランは、ビジネス・マーケティングだけを担当することになった。

アニエッリ家がユベントスを買収したのは1923年と古く、会長にエドアルド・アニエッリが就いた。
その後ずっとアニエッリ家が支配してきた。

◎ASローマ

ASローマは、1993年に石油・不動産会社を持つセンシ家が買収した。

センシ家の会社は、2000年頃から経営が悪化し、ついにイタリア最大の銀行ウニクレーディトの管理下に入った。

2010年7月26日にウニクレーデイトは、ASローマの売却を決定した。
買い手探しはロスチャイルド・イタリアに委託された。

ASローマは、2004年からの改革で収支はトントンに改善されている。

◎ACミラン

アレグリ新監督になってから練習量が増え、午前・午後共に2時間を切ることはない。

ジムには70台以上の新マシーンを入れた。

アレグリは、パトに期待をしている。
パトは3年前にイタリアに来た時は172cm/71kgだったが、今は180cm/79kgだ。

(以下は『フットボリスタ 2010年9月15日号』から抜粋)

◎夏のオフシーズンの選手移籍

〇インテル

カステラッティ (35) ←サンプドリア

バロテッリ (20)→マンC

クアレスマ(23) →ベスタクシュ

〇ユベントス

M・モッタ (24) ←ウディネーゼ(レンタル)

ぺぺ(26) ←ウディネーゼ(レンタル)

アクイラーニ (26) ←リバプール(レンタル)

クアリアレッラ(27)←ナポリ(レンタル)

A.トラオレ(20)←アーセナル(レンタル)

クラシッチ(25) ←CSKAモスクワ

マルティネス(27) ←カターニア

ジョビンコ (23) →パルマ(レンタル)

トレゼゲ (32) →エルクレス

ジエゴ(25) →ボルフスブルグ

C:ポウルセン (30)→リバプール

〇ミラン

アメーリア (28) ←ジェノア(レンタル)

P・ボアテンク(23)←ジェノア(レンタル)

イブラヒモビッチ (28)← バルセロナ 2400万ユーロ

ロビーニョ(26) ←マンC  1800万ユーロ

ジェペス (34) ←キエーボ

ボリエッロ (28) →ローマ

カラーゼ (32)→ジェノア

フンテラール(27)→シャルケ

マンシーニ(30)→インテル(レンタル・バック)

〇ローマ

アドリアーノ(28) ←フラメンゴ

ボリエッロ(28)←ミラン

(2024年7月9&15日および11月に作成)


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