(以下は『フットボリスタ 2007年2月21日号』から抜粋)
ドイツサッカー協会が揺れている。
同協会は2011年までアディダスと、年間1100万ユーロの契約をしている。
そこにナイキが年間5000万ユーロのオファーを提示したのだ。
アディダスはドイツのメーカーで、1954年W杯でドイツが初優勝したのはアディダスがスパイクを提供したのが一因と言われている。
アディダスは、ドイツ代表にスパイクやユニフォームを提供してきた。
同社は、バイエルンの株主でもある。
一方ナイキは、アメリカの会社だが、ドイツ代表のマネージャーのビアホフと親しい。
ナイキの今回のオファーは、ドイツサッカー協会のツバンツィガー会長も「すばらしいオファー」と述べた。
これに激怒したのが、アディダスのお世話になってきた者たちで、バイエルンのルンメニゲ理事長は「ビアホフはナイキの手先になっている」と批判した。
(以下は『フットボリスタ 2008年3月26日号』から抜粋)
1954年のW杯で、西ドイツ代表は優勝候補のハンガリーを決勝戦で破り優勝した。
この時に西ドイツの国民は狂喜したが、それはヒトラー政権時代の侵略に対する罪からの心理的解放があったからだ。
抑圧されていた国民が、一時の解放感に酔ったのである。
当時の代表監督ゼップ・ヘルベルガーは、優勝できた理由として、①技術 ②チームの一体感 ③運を挙げた。
決勝戦の前に、雨になることを考えて、参謀役のアディ・ダスラーはアディダス製のスパイクに長めのスタッドを用意していた。
(※アディ・ダスラーはアディダスの創業者だが、西ドイツ代表のサポート・スタッフの1人だった。アディダスはスパイクを代表に提供していた。)
さらに早めに現地入りして、ピッチの状態を調べていた。
(以下は『フットボリスタ 2008年4月2日号』から抜粋)
ドイツ代表は、2002年日韓W杯では3-5-2の守備的な陣形を用い、準優勝した。
だが、そこから戦術の学習を怠り、EURO2004ではグループリーグで敗退した。
EURO2004が終わると、クリンスマンが代表監督に就任し、改革を始めた。
まず戦術コーチに無名のレーブを抜擢し、フィジカルコーチもアメフトやバスケで実績をあげたアメリカ人を起用した。
クリンスマンの人事は批判も強かったが、自国開催の2006年W杯でドイツは魅力的なサッカーをし、3位になった。
ドイツW杯後に、レーブがコーチから監督に昇格した。
レーブは4-4-2を使っており、守備時はダブルボランチになるが、攻撃時はボランチの1人がトップ下に移動して中盤をダイヤモンド型にする。
これはバラックが担当している。
今(2008年)のドイツ代表の見所は、攻守の切りの早さで、守備時は中央に皆が集まって密になり、ボールを奪うと選手はピッチ全体に広がる。
EURO2008に臨むドイツ代表の不安要素は、正GKのレーマンがアーセナルでポジションを奪われて試合に出てないことと、フリンクス(ボランチ) とメッツェルダー(CB)の負傷だ。
(2024年7月9日に作成)