サッカーのブラジル代表の話

(以下は『フットボリスタ 2007年7月4日号』から抜粋)

ブラジル代表は、ドゥンガ監督になってから初のビッグイベントである「コパ・アメリカ2007」に挑む。

だがカカーとロナウジーニョが出場を辞退し、ルシオとジュリオ・セーザルもケガで欠場する。

ちなみに前回大会はブラジルが優勝しており、FWのアドリアーノが大活躍した。

(以下は『フットボリスタ 2007年9月12日号』から抜粋)

ドゥンガ監督が率いるブラジル代表は、先日のコパ・アメリカ2007で優勝し、チームの土台となるメンバーが固まった。

コパ・アメリカの出場を辞退して、ズル休みしたと見られているカカーとロナウジーニョは、代表でポジションを失いつつある。
コパ・アメリカの期間中にドゥンガは、「ここにいる選手たちはシーズンオフの休みを返上して戦っている」と述べ、暗にカカーとロナウジーニョを批判していた。

その後、8月22日のアルジェリアとの親善試合では、カカーとロナウジーニョは控え組となり、途中出場だった。

だがロナウジーニョは、後半から出場して1ゴール1アシストし、実力を見せた。

ドゥンガ監督は3枚のボランチを使っており、残りのMFのポジションは1つしかない。カカーとロナウジーニョがスタメンに入れるかは微妙だ。

(以下は『フットボリスタ AFCチャンピオンズリーグ特別号・無料版 2009年8月頃に配付』から抜粋)

◎リバウドの略歴

1972年4月19日生まれで、186cm、83kg。
(※思っていたよりも身長が高いなと感じた)

19歳でサンタクルスでプロデビュー。

1996年にスペインのデポルティーボに移籍し、ヨーロッパ挑戦の1年目に21得点した。

するとバルセロナに引き抜かれて、97~02年に在籍し、バルセロナのリーグ2連覇に貢献した。

98-99シーズンは、スペイン・リーグで24得点して、バロンドールとFIFA最優秀選手賞を受賞。

ブラジル代表では10番を背負い、1998年W杯で準優勝、02年W杯で優勝した。

ブラジル代表では74試合で34得点した。

バルセロナ退団後は、ミラン、クルゼイロ、オリンピアコス、AEKアテネと渡り歩き、2008年夏にウズベキスタンのブニョドコルに入団した。

リバウドが入団した時、ブニョドコルの監督はジーコだった。

ジーコの次は、フェリペ・スコラーリが監督となった。
スコラーリを推薦したのはリバウドで、スコラーリ監督の下でリバウドは2002年W杯で優勝している。

ブニョドコルは、 2005年に創設されたばかりのチームで、オイルマネーで大儲けしている「ウズ・ガズ・オイル社」が後援している。

2008-09シーズンにACLでベスト4まで進んだ。
所属するFWジェパロフは、このシーズンのAFC年間最優秀選手となった。

今シーズンのブニョドコルは、ウズベキスタン・リーグで開幕から18連勝中。
リバウドが得点16でランキングのトップにいる。

(以下は『フットボリスタ 2010年8月18日号』から抜粋
2011年9月22日にノートにとり勉強した)

マノ・メネゼス(48歳)がブラジル代表監督に就任した。7月26日に就任会見した。

メネゼスは、グレミオとコリンチャンスで2部降格直後に監督を引き受け、1部に復帰させている。
グレミオでは2007年にリベルタドーレス杯で準優勝した。

カカーが8月5日に左膝の半月板と軟骨を手術した。
2010年W杯前から故障を抱えていて、強行出場していた。

カカーは「ずっと腰痛があり、他の所にも痛みが生じることがあると言われていた。だから膝が重傷だと思っていなかった。」と説明した。

(以下は『フットボリスタ 2010年8月25日号』から抜粋)

メネゼス新監督は、ネイマール、ガンソら10人を初招集した。

2010年W杯では選手の平均年令は28.6才だったが、23.1才に若返った。

(以下は『フットボリスタ 2011年7月13、20日号』から抜粋)

もうすぐコパ・アメリカ2011年大会が始まるが、ブラジル代表は優勝候補の1つだ。

キャプテンはロビーニョで、彼は前回大会(2007年大会)では6ゴールをとり、得点王と大会MVPになっている。
(※この大会はブラジルが優勝した)

今大会のブラジルは、監督はマノ・メネゼスで、ロビーニョ、ネイマール、パト、ガンソの4人の「黄金カルテット」が期待を集めている。

ロビーニョは昨年夏にミランに移籍し、イブラヒモビッチと2トップを組んで、チーム最多タイの14ゴールをあげてリーグ優勝に貢献した。

ネイマールとガンソはサントスに所属し、コパ・リベルタドーレスで優勝したばかりだ。

またブラジル代表は、長年キャプテンを務めてきたルシオが、先日に代表に復帰した。

ブラジルは2010年W杯でベスト8に終わると、ドゥンガ監督が退任した。

ドゥンガは大柄で身体の強い選手を好んだが、現在のメネゼス監督は技術レベルの高い選手を好んでいる。

そのため2010年W杯のメンバーで今でも残っているのは、ジュリオ・セザール、ルシオ、ロビーニョの3人だけだ。

CBは、ミランで急成長したチアゴ・シウバがスタメンに定着した。

ガンソとパトは、負傷の回復途上だ。

期待を集める黄金カルテットの4人だが、4人が一緒にピッチに立ったのは2010年8月のアメリカ戦だけとなっている。

ゲームメイカーのガンソが左足の靭帯断裂で離脱すると、代役が見つからなかった。

またパトも故障が多い。

結果として、コパ・アメリカ前のオランダ、ルーマニアとの強化試合は、2試合でわずか1得点だった。

(2024年7月9日に作成)


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