サッカーのスペインリーグの話②

(以下は『フットボリスタ 2010年6月16日号』から抜粋)

スペイン代表FWのビジャ(28歳)は、バレンシアからバルセロナへの移籍が決まった。

(以下は『フットボリスタ 2010年6月24日号』から抜粋)

モウリーニョ監督の下でインテルでプレイしたルッシオは言う。

「モウリーニョは明確な考えを持ち、緻密な練習を重ねる。
選手の特徴を見抜く目がすばらしい。」

(以下は『フットボリスタ 2010年8月11日号』から抜粋)

◎バルセロナ

7月13日に会長選挙があり、サンドロ・ロセイが圧勝した。

ラポルタの後継者は、10.8%の票しか得られず落選した。
ラポルタ前会長は、クライフ以外の助言をきかず独裁者となっていた。

ロセイは元々はラポルタの右腕で、副会長を務め、ナイキ社とのコネでロナウジーニョらを獲得した人だ。

しかしラポルタと対立しバルセロナを去っていた。
ロセイはスポーツ・マーケティング会社のオーナーをしている。

一方ラポルタは、離職の翌日にカタルーニャ民主党という新党を立ち上げ、選挙への出馬を表明した。

カタルーニャの独立を目指すが、支持されていない。

(以下は『フットボリスタ 2010年8月18日号』から抜粋)

モウリーニョは、2010年5月31日にレアルマドリードの監督就任会見をした。

マケレレの自伝によると、2007年9月のモウリーニョのチェルシー監督辞任はジョン・テリーとの確執が原因だった。

テリーをスタメンから外そうとしたところ、テリーは「ベンチに座らせるなら放出してくれ」とオーナーのアブラモビッチに訴えた。

アブラモビッチはモウリーニョの更迭を即断し、テリーには「君なしなどありえない、残ってくれ」と説得した。

(以下は『フットボリスタ 2010年9月15日号』から抜粋)

◎夏のオフシーズンの選手移籍

〇バルセロナ

アドリアーノ(25)←セビージャ

ビジャ (28)←バレンシア 4000万ユーロ

マスチェラーノ(26)←リバプール

イブラヒモビッチ (28)→ミラン 2400万ユーロ

フレブ(29)→バーミンガム(レンタル)

カセレス(23)→セビージャ(レンタル)

トゥーレ・ヤヤ(27)→マンC

チグリンスキー(23)→シャフタール 1500万ユーロ

アンリ(33)→アメリカ

マルケス(31) →アメリカ

〇レアルマドリード

R・カルバーリョ (32) ←チェルシー 800万

エジル(21) ←ブレーメン

ケディラ (23)←シュツットガルト 1200万

P・レオン(23)←ヘタフェ

ディ・マリア(22) ←ベンフィカ

カナーレス(19)←ラシン

グティ (33) →ベスタクシュ

ラウール(33)→シャルケ

メッツェルダー (29) →シャルケ

ファンデル・ファールト(27) →トットナム

ドレンテ(23)→ エルクレス

〇A・マドリード

ゴディン (24)←ビジャレアル 800万

M・スアレス (23) ←マジョルカ

メリダ(20) ←アーセナル

〇バレンシア

ソルダード ←ヘタフェ 1000万

(以下は『フットボリスタ 2011年5月25日号』から抜粋)

レアルマドリードのモウリーニョ監督は、バルダーノGMと対立しており、シーズン途中にバルダーノのロッカールーム出入り禁止をペレス会長に直訴した。

(以下は『フットボリスタ 2011年6月8日号』から抜粋)

去る5月25日にレアルマドリードのバルダーノGMは解任された。理由はモウリーニョ監督との不和である。

バルダーノは「話し合いを何度も求めたが不可能だった」とコメント。

今後はモウリーニョがスポーツ部門をまとめ、イングランド式に改める。
そしてジダンがSDに任命された。

(2024年11月23日に作成)


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