サッカーのイタリア代表の話②

(以下は『フットボリスタ 2010年6月16日号』から抜粋
2011年10月2日にノートにとり勉強)

◎バレージ(元イタリア代表、ACミラン)インタビュー

🔵1994年のW杯

私にとって最後のW杯だと思っていた。
グループステージの2戦目でひざを痛めて交代し、内視鏡手術をしたが、リハビリに励んだ。

決勝戦の2日前に、監督から「プレーできるか?」と訊かれた。
そして「君に先発してもらう」と言われた。奮い立ったよ。

決勝戦では、ブラジル代表のロマーリオと対戦したが、彼は後に「世界最高のDFに最高のプレーをされてしまった」 と語った。

でもロマーリオは信じられないテクニックを持ち、予測困難だった。

ベベットも抜け目がなく、一瞬も気を抜けなかった。
極限まで集中力を研ぎ澄ましたよ。

(0対0のままでPK戦になったが)PK戦ではいつも私は右に蹴っていて、そのつもりだったのだが、助走中にGKタファレウが少し右に動いた。
それで慌てて左に蹴ろうと思ったが、強く蹴りすぎて高く上がり外してしまった。
何事も途中で気が変わるとろくなことがない。

私たちは準優勝だったが、W杯で優勝するには優秀な選手と、戦術の浸透が重要だ。
あとは国際大会での経験がものを言う。

🔵自分のプレイ・スタイル

私はCBでは小柄だったが、動きの速さと頭の回転の速さの2つのスピードで補った。
30才を過ぎてからは頭脳が最大の武器だった。

経験によって相手の意図を予測できるようになる。
相手の癖や表情、その場の雰囲気からね。

ただし、ボール奪取やシュートブロックといった決定的な仕事には、生まれつきの才能が必要だ。コーチでも教えられない。

あとイタリア人の気質は、守ることに喜びと美を見出すんだ。もはや文化となっている。

🔵現在のイタリア代表について

守備は心配していない。
攻撃は傑出した個人能力を持つ者が少ないのは心配している。

🔵2010年現在の最高のCB

カンナバーロ、ジョン・テリー、ルシオだ。
若手ではピケとチアゴ・シウバだね。

🔵対峙した選手の思い出

プラティニ、ロマーリオ、カレッカが手強かった。

一人だけ挙げるならマラドーナだ。
全てで人間離れした技術の持ち主で、好調時は手がつけられなかった。

マラドーナクラスを抑えるには、こちらがベストフォームなのは最低条件となる。
スピードや技術ではかなわないから、常にポジションを微調整し先回りすることだ。

一人では抑え切れないから、チームメイトと連係してマークするしかない。

🔵現在最強のバルセロナを抑えるには

こちらのFW、MFが相手に圧力をかけて、ボール回しのペースを落とさせ、パスコースを限定することだ。

そしてキーマンのシャビとイニエスタに時間とスペースを与えないことだ。
彼らは小柄だからハードマークも有効。

🔵カウンターを抑えるには

こちらが攻撃時でもバランスを崩さないことだ。

そして相手のキーマンを徹底的にマークすること。

🔵子供時代

ジャンニ・リベラとルート・クロルが好きだった。
2人のプレーを観察したことが、後になってリベロとして攻撃に参加する時に役立った。

🔵選手引退後

6年間ACミランのユースを指導し、今はマーケティング部門で働いている。

(※最後にバレージの凄さを1つ挙げるが、W杯には10試合出場したが、1試合の平均失点はわずか0.3である。

ちなみにW杯は、1970年のブラジル優勝以後、優勝チームの1試合平均失点は2006年W杯まで1未満である。)

(以下は『フットボリスタ 2010年8月25日号』から抜粋
2012年9月25日にノートにとり勉強した)

イタリア代表のプランデッリ新監督は、リッピ監督時代には無視されていたカッサーノとバロテッリを招集した。

プランデッリは、「カッサーノを中心にしたチームにする」と述べている。

8月4日にイタリアサッカー連盟は、バッジョとサッキを雇った。
バッジョは監督養成スクールの責任者となり、サッキはU-21以下イタリア代表の責任者となった。

(2024年11月25日に作成)


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