フォルクスワーゲン、ポルシェ(以下は『ウィキペディア』からの抜粋
2012年1月28日、3月29日にノートにとり勉強)
🔵フォルクスワーゲン
ドイツの最大手メーカーである。
8つのブランドを持ち、19ヵ国に44の工場を持つ。
2008年の販売は世界第3位。
持っているブランドは、アウディ、シュコダ、ベントレー、ブガッティ、セアト、ランボルギーニーなど。
2005年9月にポルシェは、フォルクスワーゲンの株式を20%を取得し、筆頭株主になった。
09年1月には株保有率が50.7%となり、子会社化を完了した。
その一方で、09年10月にフォルクスワーゲンは、ポルシェ社の株の49.9%を取得した。
その後、2011年半ばに、フォルクスワーゲンはポルシェを買収する形で経営統合した。
2012年現在、ポルシェの親会社である「PAHSE」は、議決権のある株式の90%以上をポルシェ創業者一族で保有し、ポルシェとフォルクスワーゲンを支配する状態にある。
🔵日本での展開
1953年よりヤナセによって日本に輸入され、輸入車のトップシェアを長く続けた。
1989年に自社の販売店をオープン。
1992年にトヨタが、フォルクスワーゲンとアウディの販売店「DUO」をスタート。
2009年12月にフォルクスワーゲンは、スズキとの提携を発表し、スズキ株の19.9%を取得した。
だが11年9月に提携は解消された。
2010年12月現在、日本において輸入車のトップシェアをとっている。
🔵他の国での展開
中国では、中国初で国外メーカによる合弁企業を設立した。
中国大手の上海汽車と1984年に提携し、中国に進出した。
アメリカには1949年に輸出をスタートし、大人気となる。
だが70年代後半から失速し、2007年には2%のシェアに落ちている。
ブラジルでは5つの工場を持ち、一大拠点にしている。
🔵歴史
ヒトラーが政権をとると、彼は国民車(フォルクスワーゲン)の計画を立てて、フェルディナンド・ポルシェにリア・エンジン小型車を開発させた。
これが「フォルクスワーゲン・タイプⅠ」の元になる。
1936年に試作車が完成し、この車の生産のために37年5月28日に 「フォルクスワーゲン準備会社」が創設された。
これがフォルクスワーゲンの誕生である。
この車は38年に、「KdF」と命名された。
しかし39年9月に第二次大戦が始まると、フォルクスワーゲンも軍用車の生産に移行し、 国民車計画は立ち消えた。
ドイツの敗戦後、KdF工場の重要性に気づいた英軍は、工場を管理下に置いた。
そして「KdF市」は「ヴォルフスブルク」に改名された。
英軍少佐のアイヴァン・ハーストが工場の管理者となり、復興させた。
KdFは「フォルクスワーゲン・タイプⅠ」に改名され生産を再開した。
フォード社のトップだったヘンリー・フォード2世らが参加する、連合国のフォルクスワーゲン検討会議が、1948年末に行われた。
フォード2世らは「フォルクスワーゲンは無価値」と判断し、このためフォルクスワーゲンは設計や設備を収奪されずにすんだ。
1948年1月に、戦前にドイツ最大の自動車メーカーだったオペルの幹部をしていたハインリッヒ・ノルトホフが、ハーストの後任としてフォルクスワーゲンの社長に就いた。
「フォルクスワーゲン・タイプⅠ」は大ヒットし、世界中で売れ、西ドイツの復興に貢献した。
この車の累計販売台数は1972年に1500万台を超え、T型フォードの記録を破った。
2003年の生産終了までに2152万台を売り、これは未曾有の記録である。
フォルクスワーゲンは1960年までは国営であり、民営化にあたり「フォルクスワーゲン法」を制定した。
投資家は議決権の20%までしか保有できないようにし、筆頭株主をニーダーザクセン州にした。
同社は1965年に、アウディの前身である「アウトウニオン」を買収した。
タイプⅠの空冷リアエンジン方式が古臭くなったことで、1960年代の後半以降は長く低迷した。
69年に初の空冷フロント駆動モデルを出す。フロント駆動化を進めてゆく。
80年にディーゼルエンジン車の最速記録362km/hを樹立した。
84年に上海汽車と提携して中国に進出した。
2004年 アブダビ首長国がフォルクスワーゲン株の13%を取得した。
2007年 欧州委員会が「フォルクスワーゲン法」は違法だとし、ドイツ政府は廃止を余儀なくされた。
フォルクスワーゲンは安定株主を求めた結果、つながりの深いポルシェ社に提携を要請した。
そして両者は経営統合することになった。
🔵ポルシェ
ポルシェは元々、1930年か31年に、フェルディナンド・ポルシェによってデザイン事務所として設立された。
1948年9月に、息子のフェリー・ポルシェが自動車の製造をスタート。
1971年に、ポルシェ一族は経営から手を引いた。だが大株主ではあり続けた。
フェルディナンド・ポルシェの孫であるフェルディナント・ピエヒ(後にフォルクスワーゲンの会長になる)も、この時に会社を去った。
ポルシェは1990年代の前半に低迷したが、96年に低価格のロードスターを発売し、97年には911を発売して好転した。
03年には初の5ドアSUVのカイエンを発売した。
2005年 フォルクスワーゲン株の20%を取得。
2008年11月 フォルクスワーゲン株の43%を取得し、傘下に収めた。
だが、その後にポルシェは資金繰りに行き詰まり、逆にフォルクスワーゲンが買収する形で2011年半ばに経営統合した。
(以上は2026年1月1日に作成)