ガボンの現代史と権力構造

(『アフリカの曙光』松浦晃一郎著から抜粋)

(※以下の内容は、2009年出版の本からの抜粋です)

ガボンはアフリカ大陸の中部の国で、大西洋に面しており、赤道直下にある。

国土の面積は26万7667平方キロメートルで、日本の3分の2ほどだ。

国土の8割を森林が占め、人口は144万人(2008年時点)だ。

ガボンはかつて、フランス領コンゴの一部だった。

ガボンなど旧フランス領の赤道アフリカ4ヵ国(ガボン、チャド、中央アフリカ、コンゴ共和国)は、アフリカにある他のフランス植民地と共に、1958年に「フランス共同体」の内で自治権を持つ国となった。

そして1960年にフランスから独立した。

フランス共同体として自治権を得た1958年に、ガボンの首相に就いたレオン・ムバは、独立後に初代の大統領となった。

ムバ大統領は、セネガルのサンゴール大統領、コートジボワールのボワニ大統領と並んで、親フランスの人だった。

1964年2月17日に、若手将校らが軍事クーデターを起こし、ムバ政権を倒した。

すぐにフランス軍が介入して、クーデターから2日後にムバ政権は復活した。

フランスの石油会社が1957年から、ガボンで石油を採掘しており、60年代に入ると海洋でも油田が見つかっていた。

採れた石油は全てフランスに輸出され、フランスにとって重要な石油供給国となっていた。

石油会社がフランスのドゴール大統領に働きかけて、軍事介入させたと言われている。

(※フランスは条約を結んで、ガボンの独立後もフランス軍を駐留させていた。驚くことに現在でも駐留させている。これを考えると、ガボンの独立は上辺だけのものだったとも言えそうである。)

その後、ムバ大統領は病気になり、後継者としてアルベール・ベルナール・ボンゴを副大統領に抜擢した。

1967年3月の大統領選挙では、ムバとボンゴが組んで立候補し、ムバは再選した。

しかし同年11月にムバは、パリの病院で亡くなった。

そして31歳のボンゴ副大統領が、大統領に昇格した。

ボンゴは大統領になってすぐにガボン民主党(PDF)を結成し、それから再選を重ねていき、40年以上も政権を維持していく。

なお、ボンゴは1973年にイスラム教へ改宗し、名をエル・ハジ・オマル・ボンゴに変えた。

1990年代に入って、アフリカ各地で民主化の運動が起きると、それまで一党独裁を敷いてきたガボンでも、ようやく複数政党制が導入された。

だがボンゴ大統領が率いるPDFが、議会で圧倒的多数を占めてきた。

ボンゴは2002年1月に、内閣に初めて野党から入閣させて、野党4党の代表を入閣させた。

ガボンは、旧フランス領の赤道4ヵ国(ガボン、チャド、中央アフリカ、コンゴ共和国)の中で、唯一、政治が安定しており、石油収入で繁栄してきた。

1人あたりの国民総所得(GNI)は2008年時点で7240ドルで、アフリカでは赤道ギニア、リビア、セーシェルに次ぐ4位である。

しかし、石油収入が国民全体に行き渡っていないとの批判もある。

私がユネスコの事務局長に就任して、2003年にガボンを訪れた時、ボンゴ大統領から2つの要請があった。

1つは「世界遺産への登録で力を貸してほしい」で、もう1つは「シシバ(CICIBA)の再興に協力してほしい」だった。

ガボンは人口が少ないのもあって、豊かな森林が残されており、象やゴリラが生息している。

13の国立公園が指定されたが、その広さは合わせると国土の10分の1にもなる。

そのうちの1つであるロペ・オカンダ国立公園は、2007年に世界遺産に登録された。

「シシバ(CICIBA)」は、ボンゴ大統領の主導で設立された組織で、彫刻などのバンツー文化の保護を目的にしている。

(※ガボンは、国民の3分の2がバンツー系の民族である。残りの3分の1はファン系)

シシバが上手く機能していないので、ユネスコは専門家を何度か送り、バンツー文化よりもユネスコの無形文化遺産を目指してはどうかと提案した。

だがシシバは7~8ヵ国から成る国際機関なので、全会一致しないと動かず、ユネスコの提案は実現していない。

アフリカ連合(AU)の委員長に、2008年1月にガボンの外相を長く務めたジャン・ピンが就任した。

ジャン・ピンは、中国人の父とガボン人の母を持ち、ユネスコの事務局員として働き、ボンゴ大統領に気に入られて様々な閣僚を歴任した上で、1999年に外相となった。

ピンは、2004~5年には国連総会の議長も務めている。

2009年5月に、「ボンゴ大統領がスペインのバルセロナの病院に入院した」との報道があった。

どうしてフランスのパリの病院でないのか、私は不思議に思った。

その後、6月に急逝したと発表があった。

ガボン憲法に従い、ロゴンベ上院議長が暫定で大統領に就き、45日以内に大統領選挙が行われる。

しかしボンゴが42年も大統領を続けて独裁体制を築いてきたため、。どうなるか分からない。

ガボンの政治は長らく、ボンゴとその一族が牛耳ってきた。

次の大統領選挙でも、有力な候補としてボンゴの長男であるアリベン・ボンゴの名が挙がっている。

アリベンは、与党である「ガボン民主党(PDF)」の副党首である。(党首は父オマル・ボンゴだった)

もう1人の有力な候補は、亡くなったオマル・ボンゴの長女の婿で、現在の外相である。

なお、この長女はボンゴ政権で大統領府・官房長をつとめていた。

長く外相をし、現在はアフリカ連合の委員長であるジャン・ピンも、大統領候補の1人と言われている。

ちなみに亡くなったボンゴ大統領の娘パスカリーヌは、ジャン・ピンと結婚していたが、離婚して現在の外相と再婚している。

(2022年3月21日に作成)


『ガボン』 目次に戻る

『世界情勢の勉強 中部アフリカ』 トップページに行く

『世界情勢の勉強』 トップページに行く

『サイトのトップページ』に行く