南スーダンの内戦

(『毎日新聞2014年2月12日』から抜粋)

2011年7月に南スーダンは独立したが、2013年12月に内戦状態になった。

首都ジュバで始まった政府軍と反乱軍の戦闘は、各地に拡がり、死者は1万人以上で、難民・避難民が80万人以上となっている。

14年1月23日に、停戦合意が成立したが、先行きは不透明である。

今回の内戦は、「政府軍=ディンカ人」、「反乱軍=ヌエル人」という、民族争いとして見られがちだ。

しかし権力闘争を民族紛争に「すり替えた」と、私(服部正法・記者)は見ている。

内戦の発端は、与党「スーダン人民解放運動」のメンバーである、キール大統領(ディンカ人)とマシャール副大統領(ヌエル人)の権力闘争だった。

2015年の大統領選挙に出馬したいマシャールを、キールが突然に13年7月に解任した。
そして両陣営の話し合いが決裂し、13年12月14日に内戦が始まった。

地元記者は、「ディンカ人とヌエル人はたびたび衝突してきたが、今回は双方に両民族が交ざっていて、構図は単純ではない」と言う。

南スーダンの内情に精通する栗本英世・阪大大学院教授は、「キール大統領がマシャールとの対立を解決できず、ヌエル人を虐殺して民族問題化した」と解説する。

首都ジュバでは、キール大統領の警護隊らがヌエル人を虐殺し、ヌエル側が報復して争いが激化した。

知人のケニア人記者は、アフリカ人には「ビッグマン・シンドローム」があると言う。

人々が、政治指導者や地域の長老に従いやすい傾向のことだ。

これが、民族紛争に悪用されている。

とはいえ、指導者が民衆に冷静な行動を求めることで、暴動が起きない例もある。

どちらにせよ、リーダーの声の影響力が大きいわけだ。

(2022年10月3日に作成)


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