(『アフリカの曙光』松浦晃一郎著から抜粋)
(※以下の内容は2009年時点です。
現在では南部は南スーダンとして独立しています。)
スーダンは、アフリカ大陸で最大の面積(250万平方メートル)をもち、日本の7倍、隣国エジプトの2.5倍もある。
国名は、アラビア語で「黒い人」という意味に由来する。
独立したのは1956年1月だが、未だに政治は安定していない。
国内が安定しない理由は、北部にアラブ系、南部にアフリカ系という、「2つの民族を抱えていること」が大きい。
首都ハルツームに陣取る中央政府は、常にアラブ系の民族によって占められており、国際社会からはアラブ系の国と見られている。
しかし南部には、アフリカ系の民族が住んでいる。
国内が安定しないもう1つの理由は、「9つもの国と接していること」だ。
隣国から様々な介入を受けてきた。
地政学的には、北部が砂漠で、中部は半乾燥地帯、南部は湿地および熱帯雨林である。
基本的には農業国で、最大の輸出品は綿花だ。
しかし1990年代に石油の採掘が始まり、99年から輸出も始まった。
石油は南部で採れるため、石油収入の扱いが南北対立の原因にもなっていた。
さて。
スーダンは独立してしばらくすると、南部の反乱が始まった。
反乱は次第に組織化され、中央政府は軍事的に対抗したが、1972年には南部に自治権を与えるに至った。
しかし80年代に入ると、南部は現状に不満を持ち再び反乱軍を結成した。
そして90年代後半には、反乱軍は「スーダン人民解放軍(SPL)」として組織化され、南部を支配するようになった。
長く続く南北対立のために、150万人のスーダン人が死亡したと言われている。
国際的な圧力もあり、2005年1月に政府(北部)とSPLの間で和平協定が結ばれた。
この協定により、SPLの幹部を入れた国民政府が成立し、石油収入は南部と北部で折半することになった。
他方で、ダルフール地方(スーダン西部で、リビア・チャド・中央アフリカと接している)では、2003年に結成したアフリカ系民族を中心とする反乱軍が、政府軍と戦い自治権を要求している。
政府は軍を派遣し、アラブ系民族から成る民間軍も支援して、反乱軍の弾圧にかかった。
このダルフール紛争では、30万人の市民が殺され、200万人以上が難民化したと見られている。
(2016年10月17日に作成)