(『アフリカの曙光』松浦晃一郎著から抜粋)
ダルフール紛争とは、2003年にスーダン南部においてアフリカ系の住民が、アラブ系が牛耳る中央政府に対して反乱を起こした事から始まる。
中央政府は正規軍とアラブ系の民兵組織を使って、反乱軍を弾圧した。
この過程で、民兵組織が住民への略奪・強姦・殺害を行い、死者は30万人、難民は250万人にも上った。
難民の多くは、隣国のチャドに逃れている。
西部地域で飢餓まで発生すると、国連とNGOが援助をするようになった。
2004年に入ると、アフリカ連合(AU)は平和維持軍(7千人)を送り込んだが、民兵組織の暴行を止めることは出来なかった。
これを見て国連安保理も動き出し、国連も2.1万人の平和維持軍を送ることを決めた。
スーダン政府は、国連軍の受け入れは拒否していたが、国連軍もアフリカ人が中心になることを条件に受け入れた。
こうして、08年初めに国連・AU合同ミッション(UNAMID)が発足した。
この間、国連安保理は2005年に、ダルフール問題を発足したばかりの国際刑事裁判所(ICC)に付託した。
ICCは02年に設立され、2009年時点で108ヵ国が参加しているが(日本も加わっている)、アメリカや中国は参加していない。
(ICCにダルフール紛争を委ねながら、そこに参加していないアメリカや中国って、無責任の極みですね)
2009年3月にICCは、スーダンのバシール大統領を戦争犯罪者として訴追することを決めた。
容疑は「ダルフールのアフリカ系住民を襲撃するように命じた」というものである。
現職の国家元首が起訴されたのは初めてのため、国際的に大きな反響をよんだ。
しかしアラブおよびアフリカ諸国は猛反発し、スーダンの首都ハルツームでも大規模な抗議デモが起きた。
バシールの逮捕状が出てから1週間後に、AU委員長のジャン・ピン委員長は次にようにICCを非難した。
「世界では様々な人道に対する犯罪が行われているが、
なぜダルフールだけが取り上げられるのか。
公平を期すならば、まず南アフリカのアパルトヘイト時代の
残虐行為を取り上げるべきだ。
その他にも、イラクにおける米軍の武力行使や、イスラエル軍
のガザにおける残虐行為もある。
国際社会は、もっと公平な正義を進めるべきである。」
ICCが公平に運営されているというイメージは、私もぜひ作ってほしいと思っている。
現時点(2009年)でいうと、バシール大統領に逮捕状を出したことで、かえってダルフール紛争はこじれてしまった。
スーダン政府は非協力的になり、国際NGOをダルフールから追放してしまった。
バシール大統領の任期は2010年に切れ、同年2月に大統領選挙と議会選挙が行われる。
2011年には、南部において将来を決める国民投票も行われる予定だ。
その結果が注目される。
(※この後、南部で行われた住民投票において独立が選択され、南スーダンは2011年7月9日に分離独立した)
(2016年10月17日に作成)