(『南アフリカを知るための62章』から抜粋)
デビアス社は、世界最大のダイヤモンド会社で、40%のシェアを握っている。
「ダイヤモンドは永遠の輝き」というフレーズは、デビアスが広告を打って広めたものである。
デビアスの長年のパートナーが、資源3大メジャーの1つであるアングロ・アメリカン社である。
アングロ・アメリカンの創業家は、オッペンハイマー家で、南アで随一の富豪である。
デビアス社は、1888年にセシル・ローズらの手によって、南アのキンバリーで設立された。
キンバリーでは、1867年にダイヤが発見されていた。
セシル・ローズは英国から南アに渡り、ダイヤ鉱山を次々と買収していった。
彼に資金を提供したのは、「ロスチャイルド家」である。
セシル・ローズは、英国のケープ植民地の首相となり、現在のザンビアとジンバブウェに攻め込んで占領し、自らの名を冠した「ローデシア」を建国した。
アングロ・アメリカン社は、金鉱山の開発をするために、1917年にユダヤ系ドイツ人のアーネスト・オッペンハイマーによって設立された。
アーネストは、1902年に南アに移住し、キンバリーのダイヤ投資で財を成した。
アングロ・アメリカンは、1926年にデビアスの筆頭株主になり、アーネストはデビアスの会長を兼務するようになった。
それ以降、両者は株の持ち合いをした。
1957年にアーネストが他界すると、息子のハリーが両者の会長を継いだ。
アングロ・アメリカンは、60年頃からバナジウムの採掘と鉄鋼生産に乗り出した。
アングロ・アメリカンは、1980年代に金融業に進出し、南ア有数の保険会社サザン・ライフと南ア随一の銀行であるバークレイズ銀行を買収して、傘下に入れた。
アングロ・アメリカンは南アで最大の企業体となり、1987年には上場株式の60%を支配した。
ダイヤでは、世界シェアの8割を押さえた。
創業者の孫であるニッキーが、80年代に両者の副会長となった。
1998年10月には、アングロ・アメリカンは本社をジョハネスバーグからロンドンに移した。
これは、資金調達コストの低いロンドンに、機能を移すためだった。
2001年に、アングロ・アメリカンとデビアスは株の持ち合いを解消し、デビアスは非上場となった。
2009年3月には、アングロ・アメリカンは世界第2位の金採掘・精錬企業である「アングロ・ゴールド・アシャンティ」を売却し、金ビジネスから撤退すると発表した。