(『南アフリカを知るための62章』から抜粋)
BHPビリトンは、2001年にBHP社とビリトン社が合併して誕生した。
合併により、それまで首位であったアングロ・アメリカン社を抜いて、資源会社で世界一の規模になった。
この合併を主導したのは、ブライアン・ギルバートソンである。
ブライアンは、1943年に南アで生まれた、生粋の南ア白人である。
1992年に鉱山会社ジェンコーのトップとなった。
ジェンコーは、アフリカーナーの資本が作り上げた会社である。
アパルトヘイトの廃止は、南ア企業に自由な国外進出とグローバル化の機会を与えた。
それにより、グローバル企業に成長する会社が生まれたが、ジェンコーはその代表だった。
1994年にジェンコーは、ロイヤル・ダッチ・シェルから、ビリトン社の株を購入した。
ビリトンは、インドネシアのビリトゥン島の錫鉱山を開発するために、1860年に設立された会社である。
97年にジェンコーは、貴金属部門を除いたすべての資産をビリトンに移し、ビリトン社はロンドン市場に上場した。
こうして、ジェンコーはビリトンに衣を替えて、グローバル企業になった。
三菱商事が25%出資して、当時日本で最大の対アフリカ投資となった、モザンビークのアルミ精錬工場モザールは、ブライアンの企画した案件であった。
BHPは、オーストラリアのブロークンヒル銀鉱の開発のために、1885年に設立された会社である。
BHPは1990年代には、世界第2位の銅の採掘量を持つに至り、オーストラリア随一の資源企業体であった。
2001年のビリトンとBHPの合併は、世界を驚かせた。
この合併で生まれたBHPビリトンは、世界最大の資源企業体となった。
03年からは、資源ブームもあって、資源業界のM&A旋風が巻き起こった。
その引き金となったのが、ビリトンとBHPの合併だった。
ブライアン・ギルバートソンは、経営方針の対立から、合併後わずか半年でBHPビリトンを去った。
その後は、ロシアで第2位のアルミニウム会社であるスアルに招かれ、ロシア第1位のルサールとの合併を実現させ、世界最大のアルミ会社「UCルサール」を誕生させた。
ジェンコーの親会社だったサンラム・グループの元会長マリナス・ダリングは、南アの財界において伝説的な人物だった。
アパルトヘイトの廃止後は、南アの財閥たちは資本再編を行って、外資の参入に対応する必要が生じた。
この資本再編をリードしたのが、マリナス・ダリングだった。