(『コロンビアを知るための60章』から抜粋)
1970年代の半ばに、コロンビアの麻薬産業はマリファナから、利幅の大きいコカインにシフトした。
この背景には、コカイン市場を牛耳っていたキューバで1959年に革命が起き、キューバでコカインを取引できなくなった事があった。
コロンビアでコカイン取引が活発になると、その中で「メジデン・カルテル」と「カリ・カルテル」が台頭した。
メジデン・カルテルは、1980年代初めにパブロ・エスコバルをボスにして、巨大組織に成長した。
コロンビアは、コカインの原料であるコカの大産地であったペルー&ボリビアと、コカインの最大消費国であるアメリカの、中間に位置している。
二大カルテルは、この地の利を生かして、コカインの流通を支配した。
メジデン・カルテルが重武装するきっかけとなったのは、1981年末にオチョア一家のボスであるルイス・オチョアの妹が、M-19(ゲリラ組織)に誘拐された事だった。
メジデン・カルテルは、MASという武装集団を組織して、M-19に報復をした。
数十人以上のM-19メンバーが殺されたという。
(オチョア一家は、メジデン・カルテルの重要なメンバーだった)
1989~93年には、「麻薬戦争」が起きた。
この戦争の起こりは、84年にロドリゴ・ララ法相が暗殺された事件である。
1979年にトゥルバイ大統領は、アメリカと「麻薬関連犯罪人の引き渡し協定」を結んだ。
(これは、重要な麻薬犯罪人を捕まえた時はアメリカに引き渡す、という協定である)
当初は、カルテルは政治家や役人を買収して凌いでいた。
しかし82年に法相となったロドリゴ・ララは、「協定を厳格に適用する」と宣言した。
アメリカに引き渡されるのを恐れたマフィア達は、買収の効かないララを暗殺した。
ララの暗殺により、ベタンクール大統領は、マフィアとの全面対決を明言した。
この後、カルテルによるテロの嵐が吹き荒れた。
1985年には、カルテルから巨額報酬をもらったM-19は最高裁判所を襲い、77名が犠牲になった。
87年には、オヨス検事総長が暗殺された。
89年には、大統領の最有力候補となっていた、故ララの盟友ガランが暗殺された。
政府はカルテルと闘い、87年にはメジデン・カルテルの最高幹部カルロス・レデルを逮捕して、アメリカに引き渡した。
89年にも、同カルテルの最高幹部ロドリゲス・ガチャを殺害した。
政府は91年に憲法を改正して、アメリカへの引渡しを禁止した。
これにより、マフィアの投降が相次いだ。
最後まで抵抗していたパブロ・エスコバルは、1993年に特殊部隊に射殺された。
オチョア兄弟も投獄され、メジデン・カルテルはほぼ壊滅し、麻薬戦争は終結した。
エスコバル射殺の陰には、カリ・カルテルからの情報提供があったという。
カリ・カルテルは、メジデン・カルテルが壊滅したために、90年代前半にはコカイン密輸の8割を押さえ、一気に世界最大の麻薬組織になった。
カリ・カルテルは、犯罪集団「ロス・チェマス団」がその前身で、ロドリゲス兄弟を中心にしていた。
1994年に当選したサンペール大統領は、カリ・カルテルから600万ドルもの選挙資金を受け取っていたという疑惑が明るみにでた。
サンペールは疑惑を払拭するために、ロドリゲス兄弟を含む最高幹部を逮捕した。
これにより、カリ・カルテルは90年代後半には解体した。
これ以後は、麻薬マフィアは群小組織による割拠状態である。
マフィアたちは、「小回りのきく組織の方が得策だ」と判断しているようだ。
現在では、コカイン産業はマフィアよりも反政府ゲリラと結びつき、ゲリラが資金源として活用している。
(2013年6月8日に作成)