(『コロンビアを知るための60章』から抜粋)
1990年代になると、コロンビアの紛争には『パラミリターレス(右翼の準軍事組織)』が参戦した。
パラミリターレスは、反政府組織ではなく、左翼ゲリラの殲滅を目的としている。
コロンビアのパラミリターレスは、「ゲリラからの自衛のために市民が武装した自警団」と「ゲリラ殲滅のために国家から援助を受けた軍団」の2つの側面がある。
もともとコロンビアでは、地方の大農場主・大牧場主は、私兵集団を雇う習慣があった。
彼らの自衛権は法律でも認められており、これがパラミリターレスを生む土壌となった。
1980年代になると、麻薬マフィアは資金洗浄も兼ねて、土地を購入するようになった。
時を同じくして、左翼ゲリラは身代金誘拐に着目し始め、地方の大地主を標的とした。
誘拐された人の中に、麻薬マフィア(メジデン・カルテル)の大幹部(オチョア家)の家族もおり、麻薬マフィアと地主たちは私兵を雇って、ゲリラへの報復を開始した。
麻薬マフィアが設立した私兵組織「MAS」が、パラミリターレスのモデルとなり、各地に同じような組織が誕生していった。
やがて、各地のパラミリターレスが連合して、『コロンビア自警団連合(AUC)』を結成した。
AUCを立ち上げたのは、カルロス、フィデル、ビセンテのカスターニョ兄弟である。
彼らは、残忍な仕事ぶりで頭角を現した。
1997年にAUCが創設された時は、構成員は93人だった。
それが翌年には4000人、最盛期には2万人近くまで増えた。
AUCは、次第に退役および現役の軍人や警察官が、多数を占めるようになった。
AUCが短期間に肥大したのには、次の理由があります。
① 警察力を補うものとして、軍や警察が是認した
② 農村部では、人口の半分以上が貧困層のため、大地主・
企業家・麻薬マフィアの潤沢な資金で運営されるAUCは、
有力な就職先となった
③ 1990年代の自由党政権(特に94年からのサンペール
政権)に統治能力が無かった
2002年にウリベ政権が発足すると、AUCは停戦を宣言し、12月から政府と和平交渉を開始した。
この背景には、AUCの人権侵害に対する内外からの批判が強まった事と、02年に最高幹部たちがアメリカから麻薬犯罪者として身柄引き渡しを要求された事があった。
彼らにとっては、降伏すれば恩赦が与えられる上に、政治犯と認定されるために外国への引き渡しの対象にならないメリットがあった。
政府とAUCは2003年7月に、「サンタフェ・デ・ラリート合意」に調印し、AUCは05年末までに全員が投降する事を公約した。
政府側は05年に、「公正・正義法」を公布した。
これは、「今までの犯罪は、基本的に問わない」というものだったため、批判が噴出して、06年により厳しいものに改定された。
投降した兵士は、3万人にのぼる。
AUCのリーダーだったカルロス・カスターニョは、04年に実弟のビセンテらに殺害された。
新リーダーとなったサルバトーレ・マンクソは、08年にアメリカに引き渡された。
パラミリターレスは、ほぼ解体されたが、まだ消滅はしていない。
(2013年6月11日に作成)