(『コロンビアを知るための60章』から抜粋)
1998年の大統領選に勝利したパストラナは、政権の目玉として『プラン・コロンビア』を打ち出した。
そして、99年9月に政府によって策定された。
同プランは、「紛争や内戦の原因は、麻薬の密造・密輸である」と断定し、麻薬マフィアを壊滅させ、弱体化したゲリラとは和平交渉をする事を目指した。
現実的な目標としては、6年間で麻薬を5割減らすことが設定された。
プラン・コロンビアは、米国と協力体制を取った。
しかし米国の援助に頼った計画になってしまい、しかも米国からの援助は「武装ヘリコプターの供与」「軍事顧問の派遣」「コロンビア軍の訓練」など、軍事色の濃いものであった。
米国のクリントン政権が支援をした理由には、コカインとその廉価版であるクラックの蔓延があった。
米国に密輸されるコカインの80~90%が、コロンビア産と推定される状況を鑑みて、コロンビアの麻薬生産を撲滅しようとした。
2001年に9.11事件が起きると、息子ブッシュ政権は支援をさらに軍事的なものにし、コロンビアのゲリラ組織をテロ組織に指定して、殲滅しようとした。
これに対して、各国から「武力を用いるのは、紛争を激化させるだけだ」との批判が出た。
麻薬栽培への対策は、「上空からの農薬散布(枯葉剤の撒布)」が主力だったが、環境汚染と人体への被害が問題視されている。
さらには、紛争の原因には社会や経済の問題があるのに、原因を麻薬のみに単純化する事への批判もある。
プラン・コロンビアは2006年に終了したが、コカイン生産高は横ばいで、成功したとは言えない。
2007年にウリベ政権は、第二のプラン・コロンビアを発表した。
今度のプランは、社会開発に重点を置いたものになっている。
(2013年6月11日に作成)