(『プーチン 人間的考察』木村汎著から抜粋)
シロビキは、ロシア語のシーラ(力、暴力)に由来し、治安関連の官庁で働く人々やそのOBを指す。
具体的には、KGBとその後継組織であるFSBや、SVR(対外諜報庁)や検察庁や軍部の人々のことである。
プーチン政権では、シロビキが占める比率が極めて高い。
ウラジーミル・プーチンは、大統領に就任してまず行ったのは、エリツィン期に拡大した地方自治を縮小して、中央集権化を徹底することだった。
ロシア連邦の89の構成主体を7つの連邦管区に分け、それぞれの管区に大統領全権代表を配置して、地方自治体を監視させる事にした。
この大統領全権代表は、7人中で5人がシロビキだった。
クルイシタノフスカヤの研究によれば、7つの連邦管区に勤務するスタッフの70%がシロビキだという。
ロシアのエリードに占めるシロビキの割合は、ゴルバチョフ期には3.7%だった。
それがエリツィン期の1993年には11.2%、97年には17.4%と増えていき、プーチン期(2004年)には24.7%になった。
イーゴリ・セーチンは、プーチンと同じレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)の出身で、KGB職員としてアフリカ諸国で軍事通訳として働いた。
その後、ペテルブルク市役所でプーチンの個人秘書として働き、プーチンが大統領になると補佐官となった。
セーチンは、プーチン大統領とのアポイトメントを取り仕切る仕事をしており、「シロビキの総帥」とか「ダースベイダー」と呼ばれている。
イーゴリ・セーチンは、プーチン政権でナンバー・ツーの立場にいる。
ドミートリイ・メドベージェフよりも上と見られている。
2012年にプーチンが大統領に返り咲くと、セーチンはロスネフチの社長に再任された。
ロシアでは、輸出の65%、政府歳入の50%を、エネルギー資源が占めている。
ロスネフチ社は、石油大手の会社で、2013年12月に液化天然ガスの輸出権も獲得した。
この事は、「プーチンの側近中の側近」と評される関係なしには考えられない。
セーチンは2014年4月に、アメリカのオバマ政権がウクライナ問題で発動した対ロ制裁の対象者になった。
ロスネフチ社は同年8月に「ロシア国外での資金調達が不可能になった」と主張して、プーチン政権に『国民福祉基金』の半額以上にあたる490億ドルの資金援助を求めた。
セルゲイ・イワノフは、セーチンに劣らないほど重要なプーチンの側近である。
イワノフは1953年1月にレニングラードで生まれ、プーチンよりも4ヵ月だけ若い。
プーチンと同じレニングラード国立大学(LGU)の卒業者で、プーチンと同様に大学卒業と同時にKGBに入り、18年間働いた。
KGBの解体後は、後継組織の1つの対外諜報庁(SVR)に勤務した。
プーチンがFSBの長官になると、イワノフは副長官を務めた。
プーチンが大統領に就くと、ロシア初の文官出身の国防相になり話題をさらった。
その後、第一副首相に昇格し、もう1人の第一副首相のメドベージェフと激しく競争した。
プーチンが2012年に大統領に返り咲くと、イワノフは大統領府長官に任命された。
他にプーチンの側近と見なされているのは、ニコライ・パトルシェフである。
彼もレニングラードの出身で、プーチンと同様にKGBのレニングラード支部に就職した。
パトルシェフはFSB長官をつとめ、2015年には安全保障会議の書記をしている。
彼はしばしば訪日しており、2012年10月の来日時は日中間の領土紛争(尖閣問題)について「ロシアは日中のいずれにも肩入れしない」と発言し、注目を浴びた。
レニングラード出身ではないシロビキのプーチン側近には、セルゲイ・チェメゾフとニコライ・トカレフがいる。
チェメゾフは、プーチンがKGB時代に東ドイツのドレスデンで働いていた時、同僚だった。
プーチンはエネルギー資源の他には、兵器の輸出を基幹産業と見ている。
そのため兵器輸出を「ロスオボロンエクスポルト」と、次いでそれを中心にして結成された「ロステフノロギー」に、ほぼ独占させてきた。
この組織のトップにチェメゾフは任命されている。
ニコライ・トカレフもまた、ドレスデンでプーチンと一緒に働いた元KGBで、国営の石油パイプライン独占企業「トランスネフチ」の社長をしている。
プーチンは、己とクレムリンのボディガードを、ビクトル・ゾロトフに任せている。
ゾロトフも元KGBで、ペテルブルク市長のアナトーリイ・サプチャクを護衛している時に、サプチャクの右腕だったプーチンと知り合った。
プーチンが1999年にロシア首相に任命されると、ゾロトフはプーチンの護衛役を任された。
それからずっとクレムリンの警護をし、2014年5月に19万人を擁する内務省軍の司令官に任命された。
(2021年4月5日に作成)