(『プーチン 人間的考察』木村汎著から抜粋)
「カンディダート(準博士)」の学位を獲りたいというのは、ウラジーミル・プーチンの長年の夢だった。
プーチンは1997年6月にサンクト・ペテルブルク鉱山大学に論文を提出し、経済学の準博士の学位を得た。
ところがこの論文が、盗作あるいは代作だと疑われている。
盗作との結論を下したのは、クリフォード・ガディとイーゴリ・ダンチェンコで、2人はブルッキングス研究所(ワシントンDC)の人である。
ダンチェンコによると、プーチンの側近であるイーゴリ・セーチン(後にロスネフチ社長)も、1998年にサンクト・ペテルブルク鉱山大学から準博士号を取得した。
ガディとダンチェンコは、2006年3月25日付の「ワシントン・タイムズ」で、こう発表した。
「プーチンの論文は、米国学者ウィアム・キングとデービッド・クリーランド(共にピッツバーグ大学の教授)著作『戦略的計画と政策』を盗用したものだ」。
この著書はソ連でも刊行されており、プーチン論文の巻末の参考文献にも入っている。
ガディによると、プーチン論文は貧弱な内容だが、若干マシなのは第二章で、そのうち16ページが『戦略的計画と政策』のつまみ食いである。
プーチン論文は掲載している6つの図表も、同書からそのまま転載している。
一方、代作説を唱えるのがハーレイ・バルザー(ジョージタウン大学の准教授)である。
その根拠として、当時のプーチンの過密スケジュールを挙げている。
年表にするとこうなる。
1996年6月
ボスのサプチャク・ペテルブルク市長が落選し、プーチンも第一副市長を辞職する
8月 モスクワに移り、ロシア連邦大統領府の総務局次長に就く
97年3月 大統領府副長官および管理局長に就任
6月 上記の論文を提出
98年5月 大統領府の第一副長官に昇進
7月 FSB長官に就任
ハーレイ・バルザーによると、プーチンの論文を代作したのは、おそらくアレクセイ・クドリンが組織したチームである。
クドリンは、プーチンの8歳年下で、ペテルブルク市役所でプーチンと共に副市長を勤めた人である。
クドリンは、プーチンが大統領になると財務相になった。
実はプーチンが論文を提出したサンクト・ペテルブルク鉱山大学は、学長はウラジーミル・リトビネンコだが、リトビネンコは学界と政界をつなくブローカーで、プーチンとも親密である。
例えば2000年と04年にプーチンが大統領選に立候補した時、ペテルブルクで選挙対策本部長をしたのがリトビネンコである。
なんと選挙対策本部をキャンパス内に設置している。
03年にプーチンの秘蔵っ子のワレンチナ・マトビエンコがペテルブルク知事に立候補した時も、選挙対策本部は同キャンパス内に置かれた。
ロシアでは、ソ連時代から学位の売買が行われてきた。
『コメルサント・ブラスチ誌』で、ロシア教育科学省付きの論文審査最高委員会のミハイル・キルピチニコフ委員長が、こう証言している。
「ロシアの博士論文の3分の1はカネで売買されたものか、盗作されたものである。」
2006年4月4日付の『モスクワ・タイムズ』によると、博士論文の1本あたりの相場は4~7千ドルである。
ロシアの学界規則では、修士号あるいは博士号が授与されてから3年間が経過すれば、どのような理由であれ学位は撤回されない。
とはいえ、ロシアの大統領や財務相が盗作もしくは代作に関与しているとしたら大問題である。
ロシアの国営通信社「RIAノーボスチ」が2005年に報じたところによれば、ロシアにおける知的所有権の侵犯率は世界最悪レベルという。
侵犯率は米国が30%、ヨーロッパは37%だが、ロシアは88%である。
海賊版のソフトが広く売られている。
プーチンの準博士論文にあるエネルギー政策は、プーチン政権で実施されている。
論文にあるエネルギー政策のポイントは、次のとおり。
「ロシアは天然資源に恵まれ、エネルギー資源は世界一である。
これを効果的に利用するのは、ロシアの国益にとって最重要である。
だからエネルギー資源を民間企業にゆだねるのではなく、国家の管理下に置くべきである。」
上の考えをプーチン政権は実践している。
例えばユーコス社の没収は典型である。
ユーコス社は、ミハイル・ホドルコフスキイがCEOを務めるロシア最大の民間石油会社だったが、プーチン政権は没収・解体して、国営企業に吸収・合併した。
ホドルコフスキイは、ユダヤ系の人で、メナテップ銀行を設立し、1995年頃に民営化の波が来た時、「株式担保ローン方式」による競売を利用して、ユーコス社を格安で入手した。
そしてロシア1位の資産家になった。
ユーコス社は、米国の石油メジャーや中国との大型商談を進めるなど、ロシア政府に相談することなくエネルギー資源を外国に売り渡す動きを始めた。
2003年4月にユーコス社は、民間石油会社のシブネフチを吸収・合併する計画を発表した。
これが実現すればロシアで1位の石油会社となる。
これを見てプーチン政権は、03年7月にプラトン・レベジェフを逮捕した。
レベジェフはホドルコフスキイの盟友で、ユーコス社の持ち株会社である「メナテップ・グループ」の社長だった。
2003年10月25日に、ホドルコフスキイも迷彩服を着たFSB隊員たちに拘束された。
ユーコス社は、ロシア政府が突き付けた法外な税金を払えず、たちまち破産した。
国営石油会社「ロスネフチ」は、ユーコスを買収して、一気にロシア1位の石油会社となった。
プーチン政権のエネルギー政策を示すもう1つの例は、「サハリン2」の乗っ取りである。
2006年の7~12月にかけて、プーチン政権は「サハリン2」の乗っ取りを行い成功した。
「サハリン2」は、ロシアのサハリン州での石油と天然ガスの開発プロジェクトである。
具体的には、サハリン北東部の沖合の大陸棚にある石油と天然ガスを掘り出し、それを日本・韓国・米国などに出荷するプロジェクトである。
「サハリン2」の事業主体として、サハリン・エナジー社が創設され、ロイヤル・ダッチ・シェル(55%)、三井物産(25%)、三菱商事(20%)が出資して株主になった。
ロシア資本は入っておらず、エリツィン政権期に立てられたプロジェクトだった。
プーチンが大統領になると、外国の3企業がロシアのエネルギー資源を自由にするプロジェクトは許さず、ロシアのガス企業体「ガスプロム」を参画させようとした。
とはいえガスプロムは、採掘技術や販売ルート、LNGについての知識を有していなかった。
そこで3社を排除せず、ガスプロムが50%強の株主になり、残りの株を3社が持つことをプーチンは考えた。
そして「環境破壊」を口実にプロジェクトを非難した。
同プロジェクトのガス・パイプラインは、サハリン島を北から南に縦断する。
2006年12月21日に、ガスプロム、ロイヤル・ダッチ・シェル、三井物産、三菱商事の首脳が、モスクワのクレムリンへと召集させられた。
そして新しい株主比率が決められた。
プーチン政権は、「プーチンのお友達」にエネルギー資源の利権を集中させている。
例えばロスネフチの社長は、イーゴリ・セーチン元大統領府副長官である。
ガスプロムの会長は、メドベージェフ前大統領、次いでビクトル・ズプコフ元首相である。
石油パイプラインを独占する国営の「トランスネフチ」の社長はトカレフ、同社の子会社「トランスネフチ・プロダクツ」の会長はウラジスラフ・スルコフ前大統領府副長官である。
プーチン政権は、エネルギー資源を外交の道具としても活用している。
例えば2013年のウクライナ危機でも、天然ガスの供給を停止したり、再開したりした。
EU諸国に対しても同じ戦術を用いている。
だがロシアの西シベリアの油田は枯渇し始めており、世界的な再生可能エネルギーの開発もあって、EUはロシアのエネルギー資源を以前ほど必要としていない。
ロシアがいつまでも石油や天然ガスの輸出に依存する経済を続けるなら、やがて危機が訪れるだろう。
実際に原油の国際価格は、2014年6月の1バレルあたり115ドルをピークにして、本書の脱稿の15年1月には50ドルすら割っている。
この原油安は、米国やサウジアラビアなどが結託して石油を増産し、意図的に起こしているとの嫌疑がある。
これはどうやら真相に近いと思われる。
ロシア連邦の2014年度の予算は、1バレルあたり100ドルで均衡するように作成された。
原油価格が1ドル下がるごとに、ロシアの国庫収入は20億ドル減る。
すなわち1バレルで50ドルになれば、1000億ドルの減収となる。
とはいえロシアは、1998年の経済危機も、2008年の世界同時不況も乗り越えた。
そしてプーチン政権は、5000億ドルにも及ぶ「安定化基金」や「国民福祉基金」という外貨準備金制度も備えている。
プーチン政権の支持率は、ソチ五輪の成功、クリミア併合後に、86%という高さになった。
(2021年4月6日、5月21日に作成)