(『プーチン 人間的考察』木村汎著から抜粋)
ロシアは汚職天国で、TI(透明度・インターナショナル)の2014年のレポートでは、175ヵ国中で136位の透明度である。
ロシアで汚職の撲滅に熱心なのは「パルナス党」で、そのリーダーの1人がボリス・ネムツォフである。
ネムツォフは、エリツィン政権で第一副首相をつとめ、その後に議席を失って下野し、2015年2月に暗殺された。
パルナス党のもう1人のリーダーのウラジーミル・ミロフは、元エネルギー省・次官である。
ネムツォフとミロフは、カシヤーノフ元首相やルイシコフと共に、『ロシア共和党、人民自由党』(略称はパルナス)を立ち上げた。
ただしパルナスは法務省から政党の登録が認められずにいる。
パルナスは、プーチン政権の腐敗を糾弾する小冊子を、毎年のように発表している。
その冊子によると、ウラジーミル・プーチンが着けている腕時計は高額なものばかりで、合計額は16万ドルにのぼる。
プーチンの側近たちも高額な腕時計をしている。
プーチンは400~500億ドルもの国家財産をくすねたという。
ベルコフスキイにいたっては、「プーチンはヨーロッパで一番の金持ち」と主張する。
スタニスラフ・ベルコフスキイは長年にわたりクレムリンのスポークスマンだった人だが、彼はプーチンの資産をこう述べている。
ロシア第4位の石油会社「スルグトネフチガス」の37%の株(時価200億ドル)。
天然ガス最大手「ガスプロム」の4.5%の株(時価130億ドル)。
柔道仲間のゲンナージイ・ティムチェンコが経営する石油販売会社「グンボル」の50%の株。
これらの資産を、スイスなどのタックスヘイブンの秘密口座に隠し持っていると、ベルコフスキイは言う。
ベルコフスキイは、「プーチンは恐怖政治の主役ではなく、むしろ典型的なビジネスマンである。プーチンも彼の側近たちも、カネ儲けだけに関心を持っている。彼らは単なる泥棒政治家にすぎない」と説く。
前述したパルナスの小冊子のうち、2012年の『ガレー船の奴隷の生活』はプーチンの奢侈な生活を暴露しており、出版が認められずインターネットで配布された。
それによると、プーチンは20ヵ所におよぶ豪邸を持ち、58機の飛行機、700台の自動車、4隻のヨットを利用可能な状態で待機させている。
プーチンは、エリツィン大統領から12の公邸と別荘を受け継いだ。
その中で主に利用しているのが、モスクワ郊外のノボ・オガリョーボにある大統領公邸である。
ちなみに黒海沿岸のソチにある公邸は、ソチ五輪のさいに安倍晋三・首相が昼食に招かれた。
プーチンはクレムリン内で仕事をするのを好まず、上記のノボ・オガリョーボの公邸で仕事をしがちだ。
メドベージェフに大統領職を譲った時期も、プーチンはその大統領公邸に居座った。
そのためメドベージェフは別の公邸を建設した。
大統領府の閣僚や官僚たちは、わざわざモスクワ郊外の公邸まで参上している。
しかも2~3時間も待たされるのが普通である。
プーチンはクレムリンで執務する時は、午前11時頃に登庁し、午後5~6時に帰宅する。
その際はノボ・オガリョーボの公邸と25~30km離れたクレムリンを結ぶ3つの主要道路は、1時間半にわたって通行止めになる。
そして一群の黒塗り車が、時速160kmの猛スピードで駆け抜けていく。
その車列の中心は、もちろんプーチンの乗る公用車である。
これを側近たちも真似して、青い回転灯を車に付けて、サイレンと共に信号を無視して進む。
プーチンは夜型の人間で、午前2時以前に寝ることはない。
森喜朗が特使として2014年9月10日に安倍首相の親書を手渡した時も、深夜であった。
プーチンの起床は遅く、朝食は正午以後になる。
朝食後は2時間は公邸のプールで泳ぎジムでトレーニングする。
プーチンと側近たちの公用車は、ほぼ外車である。
プーチンはロシア自動車産業の保護と復興を声高に叫ぶが、自身はベンツなどに乗っている。
批判を食らってロシア製の「ラーダ・ニーヴァ」も購入したが、そのエンジンはドイツ製に交換されているのがバレてしまった。
2011年にプーチンはラーダ車のショールームに姿を現わし、陳列中の車を運転しようとした。
ところが発進させることに失敗したのみならず、トランクを開ける事さえ出来なかった。
ロシアでは、スポーツ選手などを表彰する時に、決まって外車を賞品として与える。
ソチ五輪でメダルを獲ったロシア代表選手たちも、メルセデス・ベンツが贈られた。
2010年12月に、建設中の「プーチン宮殿」が明るみに出た。
場所は黒海沿岸で、広さは74ヘクタール。
その別荘はプール、劇場、カジノ、教会、ヘリポートなどを備え、10億ドルの価値と見られた。
これを暴露したのはセルゲイ・コレスニコフで、銀行「ロシア」の元幹部だった。
この銀行はプーチン大統領とつながり急成長したが、その癒着ぶりにコレスニコフは耐え切れなくなったのだ。
銀行「ロシア」はプーチンに多額の献金をしているが、その方法をコレスニコフは述べた。
「私はペトロメドという会社を経営し、ドイツのジーメンス社から医療器具を輸入して、40%にも上る高利益をあげていた。
その利益の一部を、無数のトンネル会社を経由して、ロスインベスト社に行き着くように工夫した。
私はロスインベスト社の2%の株式しか所有せず、ウラジーミル・プーチンが94%を所有していた。」
実は、上記した「プーチン宮殿」も、新興財閥からの献金の一形態にすぎなかった。
コレスニコフは、こう自問自答したという。
「我々があくせくと働いたのは、この種の別荘を建てるためだったのか?
この別荘に一体、1年に何人が訪れるのか。
おそらく数人だろう。
私の人生をこんな事のために捧げて終わってよいのだろうか?」
結局、この別荘は2011年春に、銀行「ロシア」の幹部のシャマロフが、アレクサンドル・ポノマレンコに売却してしまった。
シャマロフは「資金繰りに窮したので3.5億ドルで手放すことにした」と弁解した。
(2021年5月25&27日に作成)