(『プーチン 人間的考察』木村汎著から抜粋)
ウラジーミル・プーチンが大統領に就任する直前の1999年12月に、彼は『世紀の境目にあるロシア』と題する論文を発表した。
その中で、「GDPを年に8%ずつ増やし、15年後にはポルトガルもしくはスペインの国民1人あたりのGDPに追いつく」を述べた。
それから13年後の2013年時点で、ロシアのGDPは世界8位まで上昇した。
しかし国民1人あたりのGDPはまだ52位で、ポルトガル(39位)、スペイン(29位)に届いていない。
ロシアのGDPの伸びは、主として「国際原油価格の高騰」に依っている。
ロシアは資源大国で、輸出に占めるエネルギー資源の割合は65%に上り、政府歳入の50%にも当たる。
プーチンがラッキーだったのは、1999年に1バレルあたり17.37ドルだった原油価格が、2008年7月には147.27ドルまで上昇した事である。
このためプーチンと側近たちは、オイル収入で成金になり、笑いが止まらない境遇をエンジョイした。
しかも利益の一部は国民にも分配されたため、プーチンはロシアの経済を立て直した救世主との評価を得た。
プーチン政権の下では、次の社会契約が成立していると言える。
すなわち、プーチンは国民に一定の物質的な収入を保証する、その代わりに国民は政治的な要求をしない、という取引である。
これを一言でまとめると、「君たちの経済的な所得は増えるが、政治的な自由は減少する」だ。
上の契約は、1999年から2008年まではロシア社会でおおむね受け入れられた。
ロシアの国民1人あたりの年収は、2000年には1771ドルだったが、2014年には14000ドルと8倍近くに増えた。
この驚異的な伸びゆえに、国民の多くはプーチン政権の汚点に目をつぶった。
ところがロシアのGDPは、2000~08年には平均で7%の伸びだったが、08年のリーマン・ショックで下落し、09年にはマイナス7.8%となった。
その後もGDPは低迷し、12年は3.4%、13年は1.3%である。
プーチンは2012年5月に大統領に復帰したが、上で述べた「プーチン式の社会契約」はもう通用しないだろう。
なぜなら、物質的に満たされた人は、次は政治への参加を要求するからである。
ロシア政府の経済発展省によると、中産階級(1000ドル以上の月収、自動車、住宅、貯金を持つ人々)はロシア人口の「20~25%」を占めるという。
さらに高学歴でインターネットを使う若い世代は、政治参加を要求する者が多い。
とはいえ、中産階級の全員が民主改革派になるとは限らない。
2011年12月から翌年春にかけてモスクワで反プーチンの集会やデモに参加した人は、最大時でも10万人だったという。
(当時はメドベージェフ大統領がプーチンに職を譲ると発表した直後である)
モスクワの人口が1千万人を超えるのを考えると、100人に1人の数である。
2012年3月の大統領選挙で、プーチンは64%の得票率で当選した。
ただしモスクワ市では47%と過半数に届かなかった。
プーチンの支持層は、主として軍人、公務員、学生、年金生活者である。
年齢でいうと中・高齢者が多く、地方に住む人々である。
プーチンは2012年3月の大統領選で、これらの人々に大盤振る舞いの政策を掲げた。
給与の増額や年金の増額を打ち出したのである。
プーチンの人気は、軍人で図抜けて高い。
ロシア軍は100万人から構成されているが、軍産複合体や軍関係者の家族まで含めると550万人に上る。
プーチンが上の大統領選で公約したバラマキの総額は、1610億ドルに上るが、実現性は低い。
というのは、2014年7月以来、原油安とロシア通貨ルーブルの急落が起き、クリミア併合に対する米欧の経済制裁も効いたからである。
ロシアのGDP成長率は、2015年はマイナス3%、16年はマイナス1%と予想されている。
苦境にあるプーチン政権だが、「保守主義」という新イデオロギーを打ち出している。
2013年12月12日の大統領・年次教書で、「保守主義」を採用すると宣言した。
これはメドベージェフ大統領の時代に唱えられた「欧米化」の放棄ないし否定だった。
プーチンの説く保守主義は、「ロシア独自の価値観の尊重」「物質よりも精神の重視」「急進ではなく漸進でいく」「男女平等やLGBTの尊重といった思想の否定」「米国化の否定」といった内容である。
この路線に対しては、ロシア国内でも賛否両論である。
プーチンは2013年9月に、ニューヨーク・タイムズに次の米国批判を寄稿した。
「米国は、己を例外的な存在と見なし、世界の警察官になると言って他国の内政に干渉する。
米国は他国の内政への軍事干渉がごく普通になっているが、オバマ大統領が米国のものは他国の干渉と異なる(だから許される)と述べて、米国を例外にするのは非常に危険である。」
このプーチンの発言の裏には、米国の支援を得て起こる民衆の反乱への恐怖がある。
プーチンは、グルジアやウクライナでの「カラー革命」や、アフリカ北部や中東で起きた「アラブの春」を、米国の支援で起きたと考えている。
だからプーチンは2012年5月に大統領に復帰するや、ロシアでNGO(非政府組織)やNPO(非営利組織)が外国(主に米国)から支援を受けるのを禁じようとした。
発足したプーチン政権はロシア議会に対し、NGOに次のことを義務づける法の成立を促した。
① 外国から支援を受けて政治活動をする場合、ロシア司法省に登録する
② NGOは、己が外国のエージェントである事を、ウェブサイトや出版物に明記する
③ 資金活動報告を、司法省に年2回提出する
④ ①~③に違反したNGOは、最高100万ルーブル(当時のレートで243万円)の罰金、または3年以下の投獄が科せられる
上の内容は、ロシア憲法に違反している。
憲法は「社会団体は法律の下で平等である」(第13条)と記しているからだ。
だがロシア議会はこの法案をすぐに可決成立させた。
その結果、「アメリカ国際開発庁」は12年10月1日をもってロシアでの活動停止を命じられた。
同組織は、ソ連の解体後の1992年からNGOなどに資金援助していた。
プーチン政権は、自国で開かれる2014年のソチ五輪や2018年のサッカーW杯などを使って、自らの失政や改革の遅れから国民の目を逸らすことを狙っている。
ソチ五輪では、妨害工作を防ぐために、警察や軍などから4万人をソチに送った。
ソチの人口は35万人だから、10人の1人の割合である。
プーチンはソチ五輪を自らの威信を高める機会にしようとし、予算は510億ドルにまで膨れ上がった。
(2021年5月29~30日に作成)