(『プーチン 人間的考察』木村汎著から抜粋)
ウラジーミル・プーチン大統領は、2013年末にウクライナで民主化革命が起きると、ウクライナ南部のクリミア自治共和国に肩入れした。
クリミア自治共和国では、ロシアへの編入の是非を問う住民投票が、2014年3月16日に行われた。
同共和国は、人口は約200万人で、ロシア系の住民が約60%を占めている。
投票結果は、95%以上がロシア編入に賛成した。
この住民投票は、クリミアに送り込まれた「自警団」と称する覆面のロシア特殊部隊の兵士たちが住民に無言の圧力を加え、非ロシア系の住民はボイコットする者も多かった。
この住民投票は、ウクライナ憲法に違反していた。
同憲法(第73条)では、国境の変更はウクライナ全体の国民投票で可能と定めている。
プーチン大統領は、住民投票の2日後にクリミアの親ロシア派の指導者たちをモスクワに呼んで、クリミアのロシア連邦への併合を宣言した。
このクリミア併合は、ロシア国民の大喝采を浴びた。
プーチンの支持率は86%にまで跳ね上がった。
しかしながら、ロシアはクリミア併合で多くのものを失った。
第1に、ウクライナ国民はこれに危機感を持ち、14年5月25日の大統領選挙でペトロ・ポロシェンコを当選させた。
ポロシェンコ新大統領は、親欧米・反ロシアを明確にし、NATOへの加盟すら希望した。
第2に、プーチン政権は「ユーラシア経済連合」の構想をつぶしてしまった。
この構想は、かつてのソ連のような共同体を目指すものだが、ウクライナの参加を見込んでいた。
ウクライナは人口4500万人を擁する大国で、日本の1.6倍の面積を持つ。
第3に、ウクライナへの介入はロシアの国際的なイメージを大きく悪化させた。
「やはりロシアは民主主義の国ではない」と見られてしまった。
クリミア併合後、ロシアはG8から事実上追放され、G7は数々の制裁措置をとった。
すでに通貨ルーブルは下落し、米欧からの投資も減りつつある。
(2021年5月30日に作成)