ロシアのアタッシュケース・サイズの核爆弾

(以下は『YouTube 前田日明チャンネル』の
「都市伝説 あの話は想像つかないくらいヤバかった…」から抜粋
2026年5月11日に作成)

🔵ペレストロイカでハイパー・インフレのロシア

1991年にリングスを旗揚げしたが、私(前田日明)はその年の9月に初めてロシアへ行った。

ロシアに行ったのは、リングスに出場してくれる選手を探すためだった。

当時のロシアはペレストロイカの真っ最中で、ハイパー・インフレだった。

首都モスクワに行ったのだが、ドルと交換したら3500ルーブルだった。
それが1週間経ったら、5800~6000ルーブルになっていた。
それほどのハイパー・インフレだった。

当時のロシアは経済が疲弊し、日本で言うと終戦直後の物不足、これに似た状況であった。

品不足で長蛇の列が至る所にできていた。
生活に困窮したおばあちゃんが手編みのスカーフを路上で売っていたり、小学生の女の子が路上でリコーダーを吹いてお金を恵んでもらったりしていた。

ロシアでは、ペレストロイカまではスポーツ選手に「スポーツマスター制度」という年金制度があった。

スポーツ選手は政府に支援され、オリンピックでメダルをとる活躍をした人は、その制度によって富裕層の暮らしをしていた。

だがペレストロイカで、スポーツマスター制度は廃止になった。

これで一番割りを食ったのがサンボ。
サンボはオリンピック種目ではないので、スポーツマスター制度が完全に廃止された。
オリンピック種目ではなくメダル争いができない選手と見られ、支援が無くなった。

私はそうした不遇の選手に会って交渉したのだが、当時は総合格闘技がまだメジャーではなくて、リングスに出てくれと交渉しても半分くらいの選手がOKしなかった。

エカテリンブルクにサンボの強い道場があると聞いて、そこに行った。

ニコライ・ズーエフなどの選手がその道場にいて、後に日本に来てコーチもしたアレクサンドル・ヒョードロフが専任コーチをしていた。

🔵クレメンチェフとアタッシュケース・サイズの核爆弾

冷戦時代は、東側世界では、空手は日本の武道だからといって禁止されていた。

禁止なのに隠れて空手をやってきた連中がいると、エカテリンブルクで私は聞いた。
「そいつらを君の力で日本の極真会館とつなげてくれないか」と依頼された。
それで会ったのが、バロージャ・クレメンチェフだった。

クレメンチェフは、リングスに参戦してくれた選手の1人である。

クレメンチェフの率いる道場名は「カラテ・クラブ」で、ビデオとか技術書を基にしてトレーニングしていた。

練習を見たら、「本当に自分たちだけでここまでやったのか?」と思うほどしっかりしていた。

このロシア行きの後、リングスに1991年12月からロシア人のヴォルグ・ハンが参戦し、92年からはエカテリンブルクの選手たちも参戦した。

それからかなり経った1998年頃、私は家でTV番組を見た。
たしかテレビ朝日の番組で、ピーター・バラカンが出演しておりCBSドキュメントというタイトルだった。

海外のドキュメンタリー番組を紹介する内容で、その日はロシアがテーマだったから見た。

するとペレストロイカやクーデター騒ぎのドサクサの中で紛失した、アタッシュケースに収まる核爆弾を取り上げていた。

紛失した核爆弾の数については、5つという説と、10数個という説があると述べていた。

もう1つ、ウラン濃縮の作業で使う溶媒用の物質は、ロシアで最も良質なものが採れるが、それがロシア・マフィアを通じて国外に売られたと述べていた。

私は知り合いのロシア人からそういう話をすでに聞いていたので、「やはりあるんだな」と思いながら見ていた。

この放送では、「この犯罪に関わっているのはエカテリンブルクにいるマフィアだ」と説明していた。
さらに、そのマフィアが関わっているものに「ウラル・メタリック」があると。

ウラル・メタリックとは、ウラル山脈で採れる金銀などの貴重な鉱物のこと。
ウラル山脈はこうした資源の宝庫といわれている。

放送を見ながら、 「この話、(リングスに参戦した)ズイエフとかクレメンチェフに聞いたら詳しく分かるのかな」と思った。

そのまま見ていると、すでにパリにある国際刑事機構は、エカテリンブルクのマフィアのうち何人かを指名手配しているという。

そのマフィアの名前は「カラテ・クラブ」と言うんだと。
これを聞いた時、「えーー!!?」と思った。パッとクレメンチェフの顔が浮かんだ。

指名手配犯たちの写真を見たら、4人共、クレメンチェフの人脈で私が会ったことのある人だった。

このメンバーが、シリア、イラク、北朝鮮(正しくはリビア)のどこかに核爆弾を売ったんじゃないかと疑って捜査しているという。

この放送の翌月に、クレメンチェフの誕生日パーティがあるので来てくれと言われて、ロシアに行った。

この時のクレメンチェフはすごい羽振りが良くて、エカテリンブルクの郊外に大きな建物を建てていた。
そこに招待されたが、1階はクラブ、 2階は床が大理石で金のシャンデリアがダーと設置された部屋になっていた。

その2階に真っ白なスーツを着て、主人の席にクレメンチェフがいた。

私はとなりの席に座らせてもらったが、彼は英語ができるので色々と話をした。

私は「日本のテレビ番組で、エカテリンブルクでアタッシュケース・サイズの核爆弾に関わっている組織があり、それがカラテ・クラブというマフィアで、核爆弾を売却したと言ってたぞ」と伝えた。

「お前の連れの△○と××が指名手配になってるぞ」と知らせた。

そうしたらクレメンチェフは平気な顔で、「指名手配の奴は、あそことあそこにいるよ」と指し示した。

「大丈夫か!?」と聞いたら、「エカテリンブルクにいれば絶対に大丈夫だ。俺たちのグループでここを守ってるから。」と。

当時のクレメンチェフはベンツのゲレンデワーゲンに乗っていたが、特注品の防弾装甲で、タイヤを撃たれてもパンクしない作りになっていた。

窓ガラス全部に黒いシールドを張って、運転席の目の前のバレーボール位の大きさだけ、運転しやすいように黒いシールドを張っていない。

住んでいるエカテリンブルク郊外のこの建物は、周りは何もない原っぱ。
元々は農場だった所で、自分の配下たちを置いて守らせていた。

クレメンチェフは「今度、時間がある時に1ヵ月くらい遊びに来いよ。北極圏に猟に行こう。態やオットセイを撃ちに行こう」と、私を誘ってきた。

「俺は今、軍用ヘリも持っているんだ。それで北極圏に猟に行こう」と。

これが1998年の頃だ。

🔵クレメンチェフが暗殺される

2000年にプーチンが大統領になると、状況が変わった。

プーチンはロシア国内のマフィア活動を禁止して、警告に従わないマフィアはどんどん暗殺していった。

それでプーチン政権になって少ししたら、「クレメンチェフが死んだ」 と知らせがあった。

クレメンチェフの死に方は、例の車を運転して家に帰ってきたところ、運転席の黒いシールドのない所に16発の弾を撃ち込まれて死んだと。

遠くから、防弾ガラスを貫通する弾で撃たれ、首から上が無くなって即死だったと。

🔵後日談

私がクレメンチェフに「核爆弾をどこに売ったんだ」と聞いた時、彼は答えなかった。

米国はリビアが買ったと思って、リビアを攻めてカダフィ大佐を殺した。でも核爆弾は無かった。

イラクにあると考えてイラクを攻めたが、そこにも無かった。

私の想像だが、北朝鮮が買ったのではないか。

クレメンチェフに核爆弾の大きさを聞いた時、ゼロ・ハリバートンのよくある大きさのアタッシュケースのサイズだと。

そのサイズだと大陸間弾道ミサイルに乗るサイズである。

クレメンチェフの四十九日の法事に私は行った。(※ロシアにも四十九日がある)

そこで彼の父親と話したら、その代からウラル・メタリックとつながる経済マフィアだったと知った。

クレメンチェフの墓参りに行くと、そこはマフィア専用の墓場で、墓の石碑にレーザー彫刻で写真の様に生前の姿が彫られていた。

あちこちにそういう石碑が立っていて、ギョッとする景観だった。


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