(『現代中国を知るための55章』から抜粋)
ポルトガル領だったマカオは、1999年12月に中国に返還された。
しかし、マフィアの抗争による治安悪化が深刻な状況だった。
マカオは、香港の南西60kmにある。
人口は42万人、面積は18平方km。
住民の96%は中国人で、ポルトガル人が3%を占める。
1557年に、ポルトガルはマカオへの居住権を得た。
そして、1887年にポルトガル領になった。
1979年のポルトガルと中国が国交を回復した際に、主権は中国にある事が確認された。
1987年4月13日に、両国の間でマカオ返還に関する共同声明が成立した。
そして、「1999年12月20日から、香港と同様に特別行政区として、50年間『1国2制度』という高度の自治を保障する」と決まった。
親中派で占められているマカオ議会は、そのまま存続する事になった。
人民解放軍の駐留については、マフィアの抗争で治安が悪化していたので、住民は歓迎した。
1996年からマフィアの抗争は激化し、二大組織の「14K」と「水房」がカジノ利権を求めて全面戦争に突入していた。
返還前のマカオは、カジノと観光が政府収入の6割を占めていた。
新生マカオの初代行政長官には、マカオ最大手の大豊銀行の頭取である何厚カが選出された。
彼の父の何賢は、全人代の常務委員も務めた、親中派の大物である。
何厚カは記者会見で、「マカオでは、マフィアとの接触なしにはビジネスは出来ない」と述べて、自分がマフィアと関わっていると認めた。