戦後の日中の関係史②

(『現代中国を知るための55章』から抜粋)

中国は1978年12月から、「改革開放の政策」に転じた。

79年には、日本の経済援助が始まった。

1989年の天安門事件では、西側諸国は抗議のために経済制裁を行った。

日本はいち早く制裁を解除して、中国経済を助けた。

1980年代半ばになると、日本への中国人留学生が急増した。

バブル期には、重労働を厭わない中国人労働者が増加した。

中国人の犯罪が増えたために、日本人の対中感情が悪化した。

日本にとって中国は、生産基地と大消費市場として、極めて重要になった。
現在では、最大の貿易相手国になっている。

近年は、中国では日本への関心が高まっている。
日本製品は高く信頼されており、日本の映画・マンガ・アニメ・音楽・小説などは人気がある。

2006年の毒入り餃子事件は、中国食品への不信感を強めた。

最近の日本は、中国人旅行者の誘致に力を入れている。

日中両国は、歴史問題では対立が続いている。

1982年の日本の歴史教科書の検定では、中国への侵略を「進出」と書き換えたと報道され、中国は抗議した。

89年と01年には、日本国内でも批判が出るような歴史教科書が作られて、問題になった。

日本の有力政治家が「日中戦争は侵略ではなかった。正当な戦争だった」と主張するなどの失言は、枚挙にいとまがない状態である。

1995年8月15日に、村山首相は戦後50年にあたって、「植民地支配と侵略によって、アジア諸国民に損害と苦痛を与えた歴史を、反省しお詫びします」との談話を発表した。

戦後60年の2005年には、小泉首相が「村山談話」を踏襲する談話を発表した。

しかし小泉首相は毎年、A級戦犯を合祀している靖国神社に参拝した。
その結果、中国との関係は冷え切った。


世界情勢の勉強 中国 目次に戻る