習近平の政策

(『毎日新聞2012年11月』の記事から抜粋)

習近平の父は、副首相を務めたこともある習仲勲である。

近平のような高級幹部の子息は、『太子党』と評される。

習仲勲は文化大革命で失脚し、近平は15歳から7年間の間、『下放政策』によって農村生活をした。

『下放政策』は、文化大革命を実行中の1968年に、「知識青年は農村に行って、貧農たちの再教育を受ける必要がある」という毛沢東の号令で始まった。

『下放政策』は「都市の青年を地方へ移住させる政策」であり、1600万人の青年が半ば強制的に移住させられた。

この政策は、毛沢東の思想を信奉する「紅衛兵」と呼ばれる若者が暴走したために、青年たちを都市から追放する目的もあった。

文化大革命は毛沢東の復権運動の側面があり、党幹部の子息も下放の対象になった。

習近平は1974年に中国共産党に入党し、75年に清華大学の化学工程学部に入学した。
卒業後は、こうひょう副首相の秘書を務めた。

習近平は2008年に国家副主席に就任してから、40カ国以上を訪問して国際経験を積んできた。

中国のネット調査では、習近平の新指導部に期待するものは、1位は「民主政治」、2位は「腐敗対策」、3位は「国民生活」となった。

改革派の知識人は、「胡錦濤時代には、政治改革は進まなかった」と言う。

スローガンを掲げて官僚色の強い胡錦濤に対し、習近平は率直で人間味があり、形式よりも実を重んじる印象がある。

習近平は、総書記に選ばれた際の会見で、「人民」という言葉を19回も出した。
そして、国民の生活向上を前面に押し出した。

(『毎日新聞2012年12月9日』の記事から抜粋)

中国共産党の総書記に新たに選出された習近平は、就任演談で「中華民族の復興」を語った。

中国は、漢民族と55の少数民族から成ると、中国政府は発表している。

中華とは、歴史的には漢民族を表す。

少数民族たちは、漢民族への同化を強要され、宗教や言葉を守ろうとすると弾圧とされてきた。

習政権の言う中華民族の復興は、「アヘン戦争以前の中国を取り戻せ」との主張である。
歴史的に見ると、モンゴルや琉球の領土化(従属化)も狙うものといえる。

指導部の交代はあったが、経済政策は第12次の5ヵ年計画が2012年11月にスタートしたばかりだ。

この5ヵ年計は、胡錦濤・前総書記らが作成したものだ。

この計画の間は、経済政策に大きな変更ないと思われる。

習政権の独自色は、2016年から始まる次の5ヵ年計画からだろう。

中国では、金融部門を担当する共産党幹部が、中央銀行である中国人民銀行の総裁や、4大・国有銀行、証券・保険の監督機関を代わる代わる歴任する。

中国人民銀行の総裁は、205人いる中央委員の1人にすぎない。
省などのトップよりも格下で、発言力も低い。

中国人民銀行は、「国務院の指導を受ける」と法律で定められている。

金融政策を決めるのは、国務院である。

中国は2005年7月に、人民元と米ドルの交換比率を、固定相場制から管理変動相場制に変えた。

毎朝、交換比率を決めている。


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