(以下は『毎日新聞 2013年6月4日』から抜粋)
パキスタン南部にある大都市カラチの周辺は、武装勢力「パキスタン・タリバン運動」に支配されている事が、分析で判明した。
タリバンはカラチを標的にしており、市内の治安は戦場と同じになっている。
2万人の武装勢力がカラチの内外に潜伏しているという。
パキスタン・タリバンは、2012年7月頃からカラチでテロを激化させた。
パキスタンで最大の商業都市であるカラチが武装勢力に支配されると、経済は大打撃となる。
カラチでは、過去2年で3千人以上がテロの犠牲になっている。
パキスタン・タリバンはスンニ派のため、シーア派の住民を攻撃している。
昨年は400人以上のシーア派住民が殺害された。
今年もすでに300人近くが殺されている。
国の人口の2割にすぎないシーア派は、各地に居住区を作っている。
その居住区がターゲットになっている。
宗派間の対立は、1947年のパキスタン独立の頃には無かった。
建国の父ジンナーは、シーア派であった。
それが、ソ連のアフガン侵攻(1979年)からおかしくなった。
ソ連と戦わせるために、アメリカはパキスタン政府に巨額の資金を渡して、イスラム聖戦士(ムジャヒディン)を集めさせた。
(※このムジャヒディン集団で財務を担当したのが、オサマ・ビン・ラディンである)
当時のハク大統領は、社会のイスラム化を進めて、過激な思想を広めた。
そしてパキスタンに入った聖戦士たちは、過激なスンニ派思想をもたらした。
いま首相復帰が予想されているシャリフ首相(63歳)は、ハクに気に入られて台頭した人物である。
アフガニスタンのタリバンを1997年に政権として承認したのは、当時の首相だったシャリフである。
(以上は2016年10月31日に作成)
(以下は『毎日新聞 2013年6月8日』から抜粋)
ナワズ・シャリフは、このほど3度目のパキスタン首相に返り咲いた。
彼は1999年に軍事クーデターで首相の座を追われ、サウジに家族と共に追放されたが、そこからの復活である。
5月の下院選挙で、自らが率いる野党「イスラム教徒連盟」が大勝利となり、首相就任の運びとなった。
パキスタンは経済が破綻しており、1日20時間も続く停電などに人々はうんざりしている。
1990年代に首相として経済改革を進めたシャリフに、国民は期待を寄せている。
シャリフは裕福な家の出身で、鉄鋼企業などを経営しており、国内有数の資産家である。
彼は縁故主義や腐敗ぶりが、かねてから批判されている。
この体質からの脱却が課題だ。
ラヒムラ・ユスフザ氏のコメント
「軍は1999年の軍事クーデターでシャリフを追放して以来、彼を信頼していない。
シャリフは大統領については、意中の人物を候補に立てることができる。
しかし彼は、陸軍参謀長と最高裁判官については、「最もキャリアの長い人物を昇進させて任命する」と言っている。
軍や司法とのあつれきを避けるためだ。
シャリフは選挙公約で『タリバンとの協議』を掲げたが、和解は困難だろう。
パキスタンの平和は、アフガニスタンの情勢次第だ。
アフガンから駐留外国軍が撤収する2014年末までは、パキスタンにも大きな動きはないだろう。」
(以上は2025年5月9日に作成)